1955年東京生まれ。國學院大學文学部神道学科卒業。神社本庁に勤務。’85年から丹生都比売神社の権禰宜兼務を経て,2006年に宮司就任。累代の惣神主家から九州に分家した血筋にあたる。また,和歌山の観光誘致活動や地元交通機関の活性化に取り組むなど,活動の幅は広範にわたっている。
「神仏融合・祈りの心にみる日本の文化」というテーマでお話させていただきます。神仏「融合」という言葉を意識的に用いています。これは世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に日本人の信仰の源泉があるということです。ユネスコは神道と仏教の融合した文化的景観である,と述べています。
私は東京に居ながら丹生都比売神社のことを兼任した時期を経て,20年前に神社の方に住むようになりました。最初は1日10人ぐらいしかお参りがありませんでした。その状態から関西エアポートの山谷佳之社長(当時)とお会いし,助けていただきました。
「神仏融合」は世界遺産の文脈で用いられる言葉です。一般的に「神仏習合」と表現されます。仏教伝来は538年とされ,日本人はすぐに受け入れました。黄金に輝く仏像があり,それに手を合わせると今の世を幸せに暮らすことができ,来世も安泰になる―これは良いね,ということです。
でも自分の国には昔からの神様がいらっしゃいます。神社があるわけです。これをどうするか後から考えます。走りながら考えて神仏習合という手段を用います。ここが良いところだと思います。
神社の隣にお寺を建てて一緒に運営する。神様と仏様は表裏の関係であるという論理展開をしていきます。これは大きな特徴です。
島国のなか皆で仲良くしていきたい,良いものは取り入れたい,でも昔から持っているものは大事にしたい。仏教の伝来から神仏習合というのは,このような流れだったと思います。
神社に隣接してお寺が建てられ,神社とお寺のホールディングスです。阪急と阪神の阪急阪神ホールディングスのように,昔のお寺と神社は両方で運営する形になりました。
神仏習合から神仏融合へ,という点についてお話します。神道があり,仏教が入ってきて日本に神仏習合が根付いたのは,1,200年前に空海と最澄が,新しい仏教「真言密教」あるいは「天台密教」をもたらしたのが大事なポイントです。
最澄は日吉大社の山に比叡山延暦寺を建てます。京都の鬼門に比叡山があります。そこの鎮守神は日吉大社の大神です。これに対して空海は,私どもの丹生都比売神社の山に金剛峯寺を開山します。両方とも神社の神様の山にわざわざお寺を建てるわけです。意図的にそうして仏教と神道の関係を深める。神道を土台とした仏教との,ユネスコが言う「神仏融合」が形成されるのです。
1,000年以上続く神仏共存の信仰観は,今もいろいろな側面で残っています。
文化庁の宗教統計によれば,日本国内の神社とお寺の信者数は8,600万人と8,500万人です。足すと1億7,000万人。日本の人口より多くなる。神仏両方に祈る,数字の面でも神仏融合の状況といえます。
一方で世論調査をみると宗教を信じる人は20%程度です。我々は「いわゆる欧米のいう宗教と,我々が信じているものは少し違うのではないか」と思っているようです。
世論調査では「自然の中に人間の力を越えた何かを感じることがあるか?」という質問に56%の人がイエスと答えています。宗教は信じないけど,何か目に見えないものはあるのでは,という認識があるようです。欧米の価値観からすると宗教を信じない人は無神論者です。死後の世界はなく,先祖に手を合わせることもない,という考え方になるようです。
神道は「先祖を大切にし,自然を大事にする」ものですが,欧米ではこれを「アニミズム」に分類するようです。アニミズムは全てのものに霊魂が宿るということです。19世紀の人類学者,タイラーという人が「進化論的人類学」という考えを提唱しました。野蛮から未開,そして文明に達すると。それが先進国であると考えます。宗教の形態はアニミズムから多神教になり,一神教に帰結する。一神教ではない宗教は未開で,宗教とは呼べないという考え方をしていたようです。
すると,日本の神道は宗教以前の未開な信仰と位置づけられてしまいます。神仏の融合した形について留学生と話をする機会がありました。なかなか理解してもらえません。宗教は一つという考え方なのです。それが二つあったらもう宗教ではない,と言われまして,メールで随分やり取りした結果,途中で留学生から「もういい」と言われました。
丹生都比売神社は大阪府から和歌山県に入ってすぐ,紀伊山地の入口にあります。神社から町石道などの参詣道があり,上に金剛峯寺があって,その南に熊野があります。紀伊半島の山中に霊場・神社・お寺があり参詣道で結ばれています。
高野山の土地について,高野山では神様から「献上された」と記しています。一方で私どもの神社は弘法大師に「お貸ししました」,今もそのまま使っておられますとお話をしたことがあります。この違いについて「どちらが本当ですか」と指摘する声がございました。
それで高野山と話をしました。「些細なことだから,神様から授かったってことにしますか」「それでいきましょう」となり,公式には「授かった,でいいですよね」という話でずっと来ています。お互いの立場を思いやることが良かったなと思います。
「自然の中に神々が宿る日本人の信仰の源泉」,この自然観が大変大事であると思います。人間が主導権を持って開発する,自然を思うようにしてもいいという考え方ではありません。仏教では「即身成仏。宇宙の魂になれば六道の世界を超越して成仏することができる」とも言っています。神道は人間と自然を区別していません。人間も自然の一員であり,人間は神からの「使命」と「生業」を授かり自分の仕事で頑張る,そして神のもとに帰るという形です。ご清聴ありがとうございました。
(スライドとともに)