1997年生まれ。ホーチミン市師範大学日本語学部卒業。文部科学省日本語・日本文化研修留学生として国立和歌山大学に一年間留学後,ベトナム国家大学ホーチミン市工科大学日本語専門の職員を経て,大阪教育大学大学院卒業。2024年4月〜’25年3月当クラブ受入れ。’25年4月,中西金属工業(株)入社。次年度大阪帝塚山RAC会長。
皆さま,こんにちは。私はベトナムのホーチミン出身です。去年10月の卓話の時に在籍していた大阪教育大学の大学院は3月25日に無事,卒業できました。大学では日本語教育を学びながら,大阪市などの小中学校で母語支援をしていました。好きな場所はテーマパークで,家族も大好きです。
大学院では,日本で働くベトナム人の家族のための母語教育を研究しました。親は仕事で忙しく,子供と簡単な会話もできないので,言語や認識の発達を考える必要があります。そんな子供のために学校の「保健室」では心のケア,メンタルケアをしていますが,保健室の先生は日本語でコミュニケーションをとろうとします。外国がルーツの子供は日本語をしゃべろうとしません。
私が日本の保健室での支援のあり方を研究しようと思ったのは,まず,日本には若い人が少ないので,外国にルーツのある子供に将来日本で働いてもらえるようにしたいと思ったからです。次に,ベトナムと日本の「保健室」の違いを実感したことです。多くの国同様,ベトナムの保健室には「看護師」しかいないので日本の「保健室の先生(=養護教諭)」のような声かけはしません。
まず保健室で必要な日本語は,痛みの場所です。おなかの奥や外,のどや首など,どこが痛いかはっきりしないと先生が困ります。また,問診で転んだ場所や保健室からどこに戻りたいかを聞く時,たくさん選択肢をあげて,子供は選ぶだけにします。質問は長い文章を避けて,どこで,何が,何を,どうしたと疑問詞を使うとよいことがわかりました。今後も日本語能力試験がN4やN5レベル(5段階中,易しいほうの2つ)の外国人には短い文章でコミュニケーションしようと思います。保健室の先生はメンタルケアをしてくれるという説明も必要です。
自分が一番気に入った研究は,オノマトペでした。日本は世界でも韓国の次にオノマトペが多く,さらに関西ではよく使われます。「頭をポ-ンと叩く」とか「雨がザーザー降る」といった言葉の感覚は外国にはありません。また,ベトナム語には痛みのオノマトペはなく,めちゃくちゃ痛い,非常に痛い,まあまあ痛い,と言います。このため日本語の「頭がガンガンする」とか「ズキズキする」は「頭がぶつかって痛いですか?」というやさしい日本語に言い換えてもらいます。
4月からは中西金属工業の人事部で働きます。人事部では,マネジメントやビジネスの基本的な知識を得たいと思っています。7月には大阪帝塚山RACの会長になります。米山バンドで一緒の泉パストガバナーに,セブ島の子供たちとの英語での交流会に招待されたのですが,それがきっかけでRACの会長に誘われました。また私は語学が大好きなので英語と中国語を頑張りたいです。
私は暇な時間があるのは好きではないので,週末はベトナム語レッスンのボランティアをしています。万博でもベトナムのブースの通訳ボランティアに申し込んでいます。他には学校の懇談や進路の説明会で通訳をやります。
私が奨学生になって一番成長できたのは,チームワーク力だと思います。他の奨学生との意見交換や発表で実感したのは,人間関係でした。「これは言って大丈夫かな」,「宗教や政治に問題あるかな」と考えます。ベトナムでは自由に政治のことを話さないので,私も政治について意見を出すことは避けています。もう一つは協調性です。奨学生が集まる米山学友会では,初心者として相手の意見を大切に聞くことを大事にしました。
また私が奨学生で叶えた夢は,米山学友会の感謝祭で司会者になり,友達がたくさん増えたことです。日本では一人で住んでいるので誰とでも友達になるのは危ないのですが,米山奨学生は保証されています。もう一つは小浦カウンセラーと出会えたことです。本当のお父さんみたいに趣味の会「山遊会」でトレッキングに行く服を店に行って考えてくれました。就職の会社選びでも教育系か,そうでないところにするのかアドバイスをいただきました。今後,奨学生のカウンセラーになる方は家族の一員になってあげてください。日本にいるとホームシックになったり,仲間がいなくて寂しくなったりするので,心のケアが必要だからです。
大阪RCの例会では事務局の方が笑顔であいさつしてくれました。会員の方々は社長や偉い方ばかりで,大学院生の自分は何も持っていないと思った時もありましたが,誰かがすぐ話しかけてくださり,本当に感謝しています。
日本語学習者が初めに勉強するひらがな表には大事な話が一つあります。奨学生の修了式で聞いた話です。それは最初の2文字の「あ・い」と最後の2文字の「を・ん」です。つまり「愛」で始まり「恩」で終わります。私は大阪RCに注いでいただいた愛に対して,奨学生が終了しても恩で返したいと思います。
私にできることは,日本の社会とベトナムの社会に貢献することです。まずボランティア活動を続けます。ベトナムの子供に勉強を教えたときの笑顔を見て,良いことができたなと思いました。また,大阪教育大学のベトナムの学生向けSTEAM教育の通訳を手伝っています。プログラミングの勉強も必要なのですが,これも続けていきます。就職で困っている人にはアドバイザーとして支援します。日本では就活に黒いスーツで髪の毛をアップにしてカバンが必要なことが外国人の留学生にはわかりません。そのようなことも支援したいなと思っています。
(スライドとともに)