1969年京都府宇治市生まれ。東京女子大学で哲学を学び,卒業後の’93年に公益財団法人日本YMCA同盟に就職。
国内外の人道支援に携わり,2019年から社会協働プロジェクトの責任者。ロシアのウクライナ侵攻後,ウクライナ避難者支援プロジェクトを立ち上げる。’22年7月から東京都と協定を結び,東京都ウクライナ避難民マッチング支援事業も行う。
YMCAは180年前にロンドンで創立され,現在では120カ国で6,500万人が活動する世界最大級の青少年育成団体です。日本でも14万人が参加しています。
2022年2月24日,ロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。ウクライナのお母さんたちが国境を目指して子どもの手を引き,半ばパニックとなって避難していました。欧州のYMCAは迅速に国境で情報提供や宿泊の提供,カウンセリングなどに当たりました。日本のYMCAの支援についてNHKの報道動画をいくつか,ご覧ください。
(動画)64歳の女性が2週間でようやく日本にたどり着きました―17歳のマリレンコさんは日本語の習得に時間がかかり,大学にいける見通しが立っていません―侵攻から半年,1,700人以上の人が日本に避難してきました。子どもたちのためにYMCAは手作業でウクライナ語の絵本を作っています―来日から4カ月が過ぎました。東京都では体の不調の訴えが増えています―侵攻から1年が経ち避難者は2,300人を超えました。日本での共生のチャレンジの正念場です―侵攻から2年。日本語の習得が難しく,危険を顧みず故郷に帰った人もいます。(動画終了)
支援のきっかけは,侵攻直後にYMCAの事務所に掛かってきた渡航を手伝ってほしいという電話でした。キーウに一人で住む高齢な母親を安全な日本に呼び寄せたいとのことでした。私には避難させた経験もノウハウもなかったのですが,電話の声が非常に切迫していたので,その場で「やってみましょう」と返事しました。この一言でおばあさんはカバン一つで家を出発したので,私はすぐに欧州のYMCAに連絡を取り,2週間かけて日本まで来ました。この件が報道されたことで相談が殺到し,爆撃のさなかの地下壕からもSOSの電話があり,これまで166人を支援しました。
現在は1,974人のウクライナの方が日本で生活されています。都営住宅を無償提供している東京都は,孤立したり事件に巻き込まれたりしないかと危惧しました。このためYMCAは「ポプートヌィク(伴走者)・トーキョー」という事業で,1軒ずつ訪問して行政につなぐマッチング支援を行い,またウクライナ大使館が受けた多額の寄付を基金に,絵本を作る事業などもしました。
避難者は女性の割合が75%ですが,最近は10代,20代の男性も増えています。避難者は「こんなに長引くとは考えなかった」と口を揃えて言います。私たちは手書きの書類の手続きや,生活に必要な言葉,夏物の衣類の支援,仕事探しや病院への同行,子どもの学校転入を支援しました。医師,弁護士など高い専門性を持つ女性も多いのですが,来日1年が過ぎた頃から,それが活かせない悩み,子どもの進学の悩み,日本語が上達した子どもとの会話が難しいジレンマなど,簡単には答えの出ない相談も受けるようになりました。昨年からは日本定住も視野に入った相談が増えました。政府は2023年から希望者に最大5年の定住ビザを出しています。
避難者には心の折れる時期があります。家族をウクライナに残した罪悪感や,日本語ができずコミュニティでの役割もなくなり自分を無価値だと感じて抑うつ状態となっていきます。私たちは避難者を訪問して一緒にごはんを食べ,いただいた手作りのものを喜んで使うことで信頼を得ます。それが自尊心の回復や,悩みを打ち明けてくれることにつながります。
小・中学生は朝,日本語の勉強で始まり,日中,日本の学校での授業,夜にウクライナの学校のオンライン授業と続きます。爆撃で画面が突然消えたり,サイレン音が聞こえたりするハードな生活が続くと,ドロップアウトしたりや引きこもり,愛国心を振りかざすなど,体や行動に変化が現れます。
最近の避難者には,安全な日本へと送り出された若い女性や,徴兵が近い16,17歳の男性が増えました。今日はロベルト・トカチェンコさんを紹介します。
(ロベルトさんのあいさつ)私は都立高校の1年生で,東京に一人で住んでいます。ウクライナの男性は大人になると徴兵されるルールができました。僕は人を殺すことができません。僕はその時17歳だったので,すぐに国を出る決心をしました。今は20歳ですから,いったん国に帰ると日本に来られません。なので,高校に入り直し日本語を勉強して,大学で宇宙工学を勉強したいです。将来は日本で働いて恩返しもしたいです。(あいさつ終わり)
この春,順次,経済支援と公営住宅の提供が終わります。今の避難者の不安は家賃の支払いと安定した収入ですが,仕事がフルタイムの方は15%,パートタイムが約半数,3割が休職中です。このため私たちが今一番力を入れているのが就労支援です。避難者の9割はもし戦争が終わっても,日本に残って定住を試みるか,しばらく状況を見たいと考えています。子どもたちは「給食,学童,遠足,サイコー!」と話し,お母さんたちは「キャリアを活かした仕事を見つけられた」と話します。私は戦争が普通の人の人生,家族や夢やキャリアをいかに寸断するか,戦禍の本国を心配しながら,異国の地での子育てや仕事がいかに大変であるかを教えられました。また日本は多様な人々が暮らせる社会なのか,国籍に関わらずやり直しができるのか,という課題にも気づきました。ウクライナの方々が希望を持って人生を切り拓き,力を発揮できるようにサポートを続けられたらと切に願います。
(動画・スライドとともに)