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2024年8月9日(金)第4,933回 例会

博覧会事業を通じて知る「気づきの精神」

増 田  豊 仁 氏

合同会社エムズワーク
代 表
増 田  豊 仁 

1962年大阪府堺市生まれ。飯田グループ×大阪公立大学共同出展館総合プロデューサー,大阪公立大学万博市民連携推進室室長補佐。国内外の国際博覧会を中心に大型イベントの多数従事。
主な博覧会:’88年ならシルクロード博覧会,’90年国際花と緑の博覧会,’92年セビリア万国博覧会日本館,2010年上海国際博覧会日本産業館,’15年ミラノ国際博覧会日本館,’17年アスタナ国際博覧会日本館。

 皆さん,はじめまして,増田でございます。現在,61歳,合同会社エムズアークの代表社員,大阪公立大学・万博市民連携推進室の室長補佐,大阪・関西万博で飯田グループ×大阪公立大学共同出展館の総合プロデューサーとして活動させていただいています。

学生時代からパビリオンの運営に関わる

 飯田グループのパビリオンは,京都の(株)細尾の本物の西陣織を,太陽工業(株)が加工したものです。多分西陣織で最大になるので,ギネスに登録されたらおもしろいと思います。
 私の経歴は,甲南大学を卒業,TSP太陽(株)という太陽工業のグループ会社に入社,同時にアクティオ(株)というイベントの運営会社に出向しました。その後,2019年に展示会社の(株)ムラヤマの大阪支店に入社。その時,大阪市立大学長の荒川さんと知り合いになりました。大阪公立大学(当時,大阪市立大学)と飯田グループは,共同で人工光合成を研究しておりました。荒川さんから大学としてパビリオンを出展したいと相談があり,’25年に発表できるものを,ということで話が進みました。大学のパビリオンへの出展は,多分国内では初めてと自負しております。その関係で’21年に合同会社エムズアークを設立しました。
 私の博覧会デビューは1986年,大阪の堺市の「世界お茶博」です。当時,学生でした。第2回「’89食博覧会・大阪」では運営をお手伝いしました。’90年の「国際花と緑の博覧会」ではパビリオン運営,「第1回ジャパンエキスポ富山’92」では会場運営の実施計画と現場運営。それ以外,いろんな博覧会を約30件,国際博が9件。ほとんどがパビリオンとか会場の運営業務です。
 そんな中,堺屋太一先生との出会いはスペインの「セビリア万博」(1992年)。この方以上にプロデューサーと呼ばれる方は日本にはいないと思います。当時33億円の寄付とか協賛集めに先生が回られた。好きなメンバーとやりたいことを実現できるのは先生ぐらいではないか。先生の口癖は「博覧会は儲けないと」。主催者が儲けるのは難しいのですが,先生が博覧会の最後にやられた「上海万博」(2010年)の日本産業館は出資金+配当金みたいな形で戻ってきました。

大阪・関西万博の課題を考える

 大阪・関西万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」には,SDGsとソサエティー5.0という2本柱が当初あったのですが,今,カテゴリーが分かれていて,何がやりたいのかわからない。それを解決して,万博を支える有識者が今回は不在だったと考えています。愛知万博(’05年)は,東京大学名誉教授の木村尚三郎先生がアドバイザーでした。1970年大阪万博は京都大学の助教授(当時)の梅棹忠夫さん,社会学者の加藤秀俊さんなど,聞けば名前を知らない人はいない方たちが万博を支えたそうです。
 もう一つはキラーコンテンツの不在です。大阪万博は「月の石」,愛知万博は「冷凍マンモス」。当時は,マンモスだけではちょっと少ないと,ジブリの「サツキとメイの家」を作って観覧してもらいました。1日800人の入場規制がありましたが,応募は30万人ありました。「大阪・関西万博」のキラーコンテンツは「空飛ぶ自動車」ですが,人を乗せて運行できるかどうか,まだはっきりしてない。
 もう一つの課題は,目標動員数が2,820万人ということです。チケットは,現在7月24日時点でも350万枚。2,800万人の半分以上売って初めて目標通り達成するという話は,昔の地方博からしていました。

まだ間に合う対策と博覧会後の提言

 今,私が提言できるのは暑さ対策です。愛知万博ではミストや水の無料提供をやりました。大阪・関西万博では,甲子園で有名な,かち割りを無償提供するなり,会場内に日よけテントを増設するなりしたらいいのではないか。
 また,休憩できる施設をたくさん作ったらいい。チケット販売で一番いいのは団体です。昼食がとれる,雨でも休憩できる,と提案して団体客を取り込む。もう一つは,「交通手段付きチケット」。サッカーのワールドカップとかオリンピックでは,バスに連動したチケットが販売されますし,計画も立ちやすくなります。
 博覧会が終わった後は,「大阪府ボランティア都市宣言」を大阪府・市がしていただけないかなと思います。ボランティアが当たり前という都市にしてはどうかということです。ボランティアの応募が,募集人員の倍以上来たのは,多分初めてです。協会のアテンダント,サービス要員は数百人の募集に対して16,000人の応募があった。
 僕が大阪公立大学で推進したいのが,大阪府・市と連携した「ボランティア都市」です。コミュニケーションがない世の中になり,いろいろな問題が出てきている。市民,国民,地域住民のつながりが希薄になっている。皆さんの企業もそうではないか。大阪は「大阪のおっちゃん,おばちゃん」という文化があるにも関わらず,いじめがあり,自殺もあり,社会問題がある。その辺を見直すきっかけを提案したい。
 博覧会における「気づきの精神」で,コミュニケーション不足という社会課題を知るきっかけとなり,全府民・市民・国民の行動変容につながる博覧会としたい。それから次世代へのバトンタッチが行えるよう,次世代に課題を残さない環境づくりをお願いしたい。未来社会は,これからの子どもたちのためにあると思っています。博覧会事業を30年以上経験したなかで思う意見です。
(スライドとともに)