1978年東京大学法学部卒業,同年最高裁判所司法修習生(32期)。’80年東京地方検察庁の検事に任官,’96年度京都弁護士会副会長,2001年京都府地方労働委員会会長,’04年京都女性の活躍推進協議会座長,’15年二部上場株式会社の社外監査役(任期満了)。’23年叙勲(旭日双光章)受章。
こういう機会を与えていただきまして,感謝しております。京都で弁護士をしております佐賀千惠美でございます。
NHKの朝ドラ「虎に翼」のモデルの三淵嘉子さんは大正3年(1914年)生まれでございます。その前の朝ドラ「ブギウギ」のモデルの笠置シヅ子さんは同い年,同じ世代でございましたが,嘉子さんは,この「虎に翼」でもなければ忘れ去られていたのかなと思います。
私が三淵嘉子さんたちのことを調べ始めたのは39年前でした。その頃,日本で初めて女性が弁護士や裁判官になった時期を聞かれました。戦前は,女性には選挙権がなく,結婚した女性は夫の承諾がなければ法律行為ができない。相続も,その時代は長男が全部相続したので,女性が弁護士になったのは戦後かなと思っていたのですが,調べるうちに,実は3人の女性が昭和15年(1940年)に弁護士になったことがわかりました。もっと驚いたのは,その人たちについての本が全然ありませんでした。だから勝手な使命感というか,今気づいた私が残しておかないと忘れ去られてしまう,と思いました。
嘉子さんが裁判官になるまでに,3人の男性たちのお陰がありました。1人目は,穂積重遠先生。東京帝国大学の民法の教授でした。先生は世界を見て,日本の女性たちにも法律を教えなければいけないと思われ,明治大学に「女子部」をつくられました。昭和4年(1929年),大恐慌の年です。女に学問は要らん,という理事も多く,随分ご苦労なさった。
2人目は嘉子さんのお父さん。台湾銀行にお勤めでした。お父さんはシンガポールとかニューヨーク支店に行ったりされていて,世界を見ている。娘が法律とか経済がわかるようになってほしいと,「女子部」に進めさせてくれました。
それから3人目は,石田和外さん。後に最高裁の長官になった人です。
嘉子さんは終戦を挟んで,大事な4人の方を亡くします。一番上の弟,一郎さんを頼りにしていたけれど,終戦の前に戦死された。夫の和田芳夫さんも,戦争に行って病気で亡くなり,戦後,お母さん,お父さんも亡くなりました。経済的にも精神的にもどん底でした。夫を亡くしたときは,嘉子さんは顔が紫色になるまで泣いていたそうです。
そこでつぶれてしまわないのが嘉子さんの凄いところで,裁判官の職を取りに司法省に単身乗り込んでいきます。戦後,「憲法が成立して男女平等になったんだから,裁判官にも女性はなれるはずだ」,「自分を裁判官に採用してほしい」と。普通だったら,まだ募集してないよと追い返すと思いますが,そのときの司法省の人事課長が石田さんで,追い返さなかったんです。嘉子さんは司法省の民事局でしばらく公務員として仕事をすることになりました。
嘉子さんがこう書いておられます。昭和13年(1938年)に受験した司法科試験の控室で「司法官試補の採用の告示(裁判官採用の告示)に,『日本帝国男子に限る』とあったのが忘れられなかったのである」。「同じ試験に合格しながら,なぜ女性が除かれるのかという怒りが,猛然とわき上がってきた」。この気持ちが忘れられず,司法省に単身乗り込んでいったということでございました。
その後,東京地方裁判所に(判事補として)配属になり,その時の上司の近藤完爾裁判長について,嘉子さんは書いています。「裁判長が最初にいわれたことは,『あなたが女であるからといって特別扱いはしませんよ』という言であった」。「私の裁判官生活を通じて最も尊敬した裁判官であった」。
嘉子さんと一緒に仕事をした3人の男性裁判官たちも,忘れてはならないと思います。1人は,宇田川潤四郎さん,それから市川四郎さん,それから内藤頼博さん。
宇田川さんは,戦前は満州で裁判官をしていて,中国の幹部候補生たちに法律を教えていました。戦後,家庭裁判所の設立に非常に尽力し,「家庭裁判所の父」と言われています。
宇田川さんは終戦の翌年には日本に帰れた。かわいがっていた幹部候補生たちがいろんな情報をくれ,妻と子どもたちと無事に帰れるようにしてくれた。4人の子どものうち,1人は亡くなったのですが,無事に上野駅まで帰ってこられました。そこで驚いたのは,上野駅にたくさんの戦争孤児たちがたむろしていたことで,この子たちを何とかすると固く決意をしたそうです。宇田川さんは家庭裁判所,少年たちの保護に非常に力を尽くされます。宇田川さんは破天荒な人で,学生を組織して子どもたちの面倒を見させるBBS運動(Big Brothers and Sisters Movement)を創始したり,京都・南座でコンサートを開いて資金集めをしたりしました。
市川さんは事務的に非常にかっちりしていて,宇田川さんといいコンビと言われています。宇田川さんが居眠りをしていると,市川さんは「そう見えるのは局長の妙芸なんですわ」とカバーしたらしいんです。
内藤さんは,信州高遠藩の16代当主ですので,世が世ならば,お殿様なのですが,家庭裁判所のことに非常に力を尽くされた裁判官です。
今年のジェンダーギャップ指数は,日本は146カ国中118位で,G7の中では最下位です。先進国としてちょっと恥ずかしいかな,世界を見ると不十分かなと思います。また,大分前に,アメリカの方が「日本には埋もれた資源がある。それは女性だ」と言われた。まだまだ女性の社会貢献は十分ではないかなと思います。