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2024年3月29日(金)第4,915回 例会

大原美術館物語 2024早春 ~今後の美術館運営~

大 原  あかね 氏

公益財団法人 大原美術館
代表理事
大 原  あかね 

1967年生まれ,京都育ち。一橋大学経済学部卒業,青山学院大学大学院国際政治経済学研究科修了。信託銀行系研究所に勤務後,結婚を機に退職。2000年より大原美術館の経営に携わる。’16年に第5代代表理事に就任。ほか,倉敷商工会議所副会頭,岡山経済同友会理事,倉敷市教育委員,萩原工業(株)社外取締役などを務める(現任)。倉敷市在住。’15年7月より倉敷RC会員。

 「大原美術館物語 2024早春~今後の美術館運営~」という題でお話をさせていただきます。一度は大原美術館に行ったことがあるという方も多いと思いますが,改めて美術館の紹介をいたします。

大原美術館の歩み

 大原孫三郎が設立した,日本で初めて西洋の近代美術を展示した私立の美術館です。コレクションはどういうものかというと,最初は西洋の近代美術で始まりましたが,民芸運動の作家の作品,また現代,それからエジプトや西アジア,中国の古物もございます。大原美術館は総合ミュージアムとして皆様方にお楽しみいただいています。
 大原美術館は,大原孫三郎という資産家がつくったミュージアムですが,そのコレクションの礎を築いたのは,児島虎次郎という画家です。この児島が勉強していたころは,日本で印象派はもちろん,印象派だけじゃありません,西洋絵画の実物を見る機会はほとんどありませんでした。児島は優れたアーティストでしたが,そんな児島でさえ,孫三郎の奨学金でヨーロッパに行って初めて西洋の絵画を目にします。児島は孫三郎に手紙を書きます。「日本の若い画家のために,絵を買わせてほしい」。児島の思いに背中を押され,孫三郎は資金を提供します。
 児島が絵画を買って帰ったとき,大原美術館は開館前でしたが,近所の小学校で「現代仏蘭西名画家作品展覧会」と称した展覧会を実施しました。モネ,ルノワール,アマン=ジャンらの作品が並びました。児島はモネのところに行って絵を購入しています。アマン=ジャンは児島の先生です。アマン=ジャン先生の指導によってモネのところに行く,またマティスのところに行く,児島はそういう活動をしていました。そういった意味では,大原美術館は児島を通して,開館前から同時代の作家と共に歩んできたコンテンポラリーなミュージアムと言えます。
 この「現代仏蘭西名画家作品展覧会」は,倉敷の小さな町での催行にも関わらず,北は北海道から,南は沖縄を越えて台湾,朝鮮半島からも人がきました。
 孫三郎は展覧会の好評を受け,西洋画の重要性を理解し,児島は3回ヨーロッパに留学しました。日本に帰ってきて彼は画業に取り組みましたが,残念ながら47歳で亡くなります。

アートの力を守るために

 次は私の祖父・大原總一郎の時代です。第二次世界大戦中などは,1945年8月でも来館者がいました。こんなときでも私どもは門を開きました。この時はすぐ隣の岡山市でも大空襲があり,近くの水島でも大空襲があったので,絵画の一部は,岡山の山の中に疎開させていました。それでも実物に会う大切さを總一郎は知っていたのでしょう。特攻隊に行く若者たちが大原美術館に来た際に「故国で過ごす最後の時を,敵国の絵画に囲まれて過ごすこの人たちの後ろ姿が忘れられない」と總一郎は書き残しています。これがアートの力なのだと思います。
 今,各地で地震が起きています。ある自治体では地震が起きて閉館し,再び開館する際に「まだ美術館は開けるべきじゃない」という議論が起こったこともあります。西日本豪雨災害の時も,倉敷市の真備地方は大きな被害に遭いましたが,大原美術館は無事でしたので警報が解除された翌日から美術館を開けました。避難所に避難している方が来館してくださり,「大原が開いているから頑張れる」と言ってくださいました。これがアートの持つ力なのだと思います。

コンテンポラリーな美術館として

 現代における大原美術館の取り組みは何か。現代の作家さんとの活動は今も続けています。ずっとコンテンポラリーです。
 「有隣荘」という一軒家があります。大原美術館のすぐ向かいにありますが,孫三郎が体の弱かった妻・壽恵子のためにつくった一軒家です。ここで展覧会をやっております。特別公開と題して会田誠さん,鴻池朋子さん,ヤノベケンジさんらがここで展覧会をしてくださっています。
 それから,現在,児島が使っていたアトリエを活用したレジデンス事業,ARKO「Artistin Residence Kurashiki,Ohara」に取り組んでいます。昔のアトリエなので電気がありませんが,広い室内で自然の光を感じながら,普段使わない感覚,体全体を使って描く機会を得ることができます。
 このほか,国際会議等の場面でカクテルパーティーや晩餐会の会場を提供したり,展示場の中でコンサートや婚活イベントなどもやっています。未就学児童受入れプログラムでは,幼稚園や保育園の子たちが絵の前でお絵描きをしています。
 新型コロナ感染症の流行というのは私どもにも非常に大きな打撃でした。長期の臨時休館,観光客の減少,入館者数の制限,このままでは開館が危うい状況になりました。本来,公益財団法人は経営が安定していることでもらえる法人格なので,開館継続が危うくなることはあり得ないことですが,大原美術館の場合,入館料が収益の8割を超えています。
 コロナ禍を教訓に,コレクションの貸し出しやミュージアムショップの充実などにも手を広げました。収益構造も,8割5分の入館料から外部資金を何とか取っていくことに変えていくので,オフィシャルパートナー,企業との連携も進めています。
 最後に,大原美術館はこの度,組織を改編いたします。一般の美術館は,美術館に研究所がありますが,私どもは発想を180度変えて,研究所が美術館を運営するという形に挑戦しようと思っております。4月1日に財団名も変わり,研究所もつくっていきます。これからの大原美術館,どうぞご期待いただきたいと思っております。
(スライドとともに)