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2024年3月15日(金)第4,914回 例会

夢を追い続けること

金 藤  理 絵 氏

リオデジャネイロオリンピック
競泳200m 平泳ぎ金メダリスト
金 藤  理 絵 

兄姉の影響でスイミングクラブに通い始め,卒業文集の「将来の夢は」に「オリンピックで金メダル」と書く。2008年北京五輪で7位に入賞,メダルを狙っていた。’12年ロンドン五輪の出場を逃し引退を意識する日々が続く。最後は記憶に残るレースをして終わりたいと奮起し,’16年リオデジャネイロ五輪では悲願の優勝を果たす。

 引退した後,何度かロータリークラブのイベントも含めて参加させていただいております。今の時代の日本をつくり上げてきている皆様の前で,少なからず,そうだったんだ,そんな考え方もあるんだというものを伝えることができたらと思っております。よろしくお願いします。

世界を見据えるまで

 私は1988年に広島県で生まれました。私の出身地の庄原市は本当に田舎で,人口は3万人のギリギリ市として成り立っているような場所で,スイミングクラブはありませんでした。温水プールさえありませんでした。そんな中で親や兄弟の影響もあり,小学校3年生からスイミングクラブで練習するようになりました。温水プールはなかったので,夏休み,冬休み,春休みの長期休暇のときだけ泳いでいましたが,冬場だけは島根県まで行って練習するような環境でした。
 毎日通うようになったのは中学1年生の時だったのですが,小学校6年生の卒業文集の「将来の夢は」というところには,「オリンピックで金メダル」と書いていました。中学生になって初めて県の代表にも入ることができました。中学校2年生のときには「全国中学校体育大会」に初出場。ジュニアの部で行く海外遠征も経験しました。
 高校に入ってからは,日本で一番大きいと言われている日本選手権に初めて出場し,高校3年生の時にインターハイで優勝しました。この頃から少しずつ世界と戦うという意識が生まれてきました。2007年に高校を卒業して,神奈川県にある東海大学に進学。リオ五輪のときも指導していただいていた加藤コーチと出会いました。’07年の200m平泳ぎの世界記録は2分20秒。当時の私のベストタイムは2分27秒でした。私の練習を見た加藤コーチから「お前なら2分20秒切れる」と言われましたが,当時,7秒縮めるのはとてつもないことで,できるわけがないと思っていました。ただ,コーチと一緒に練習していくなかで,本当に私の可能性を見出してくれていると気付き,私も五輪で活躍したいと思うようになりました。
 ’08年,大学2年生のときに北京オリンピックに出場しました。北島康介選手が100m平泳ぎの世界新記録で二連覇している姿を同じ会場で目撃し,自分の水泳人生の最終目標がオリンピックで金メダル獲得になりました。

世界一の自分をつくるために

 東海大学に入学すると,泳ぐ以外のトレーニングがたくさんありました。高校生までは,基本的に泳ぐことと自分でできるトレーニングしかなかったのですが,大学に入ってから練習の幅が広がっていきました。私の世界への挑戦が始まりました。日本記録も更新して,世界記録まであと少しのところまで来ました。
 しかし,私を待ち構えていたのは故障と挫折でした。’10年に腰を痛めてしまい,腰痛からの椎間板ヘルニアを発症。初めて泳げなくなりました。今まで積み重ねてきた筋力が落ちてしまい,期待されるなかで結果を残すことができませんでした。選考会では世界ランキング2位,3位,4位のタイムを出すことができても,メダルも取れない,自己ベストも出せない。水泳が私を苦しめるだけの存在になってしまいました。
 そんな私を変えてくれたのが,’15年の世界選手権になります。世界選手権は2年に1回開催されていて,リオの約1年前の試合になります。リオに向かって頑張るために,’15年は勝つんだという気持ちを持って泳いでいました。しかし,結果は6位。周囲の反応は「泣くようなレースした?」というものでした。私は,「何でこんなにひどいことを言われないといけないの」と思っていました。
 ただ,宿舎で自分のレース映像を見たときに,私自身も全力のように見えませんでした。同時に,そんな自分でも納得しないレースを,応援してくれている人たちに見せてしまって情けないという気持ちが生まれました。ようやく自分を客観的に見ることができました。
 リオまでに自分を変えると思って意識したことを紹介します。まず,「初心にかえる」こと。練習を変えました。姿勢を見直し,周りが認めてくれる頑張り,変化をつくるようにしました。それから,「勝つことへの執着心(勝負意欲)」。勝つことを大事にしました。気持ちをすごく改善していくような取り組みをしました。最後に,「けがを恐れない」こと。自分のベストを更新するためには限界を超えないといけない。けがは避けては通れない道ですが,痛くならないようにするためのプラスアルファをするようにしました。
 こうして「世界一強い金藤理絵」が生まれました。

頂点に立って気付けたこと

 自信はつくのを待つのではなくて自らつけることができる,挑戦してみないとわからない,継続しないといけない―正解がないと感じました。自分ひとりの力だけでは決してできないことだったなと思います。当たり前ではあるのですが,檄を飛ばす人,頑張ってるよと甘やかしてくれる人,一緒に笑ったり泣いたりしてくれる人,ライバル,応援してくれる人,本当に多くの人たちのお陰で,今の金藤理絵はあると思っています。
 「目標と目的を区別する」のは大切なことです。皆さんも若いとき,こうなりたいと思っていた時期があると思います。そこで,何でそうなりたいのかというのをちょっと考えていただけたらなと思います。目標と目的が区別できていなければ,ただ単にオリンピックに行きたいだけだと,オリンピックに行くだけになってしまいます。お金持ちになりたいとか,目的があれば,オリンピックに出て自分が何をしないといけないのか。目的を多くの人が見失いがちになると思うので,「目的」というものをもう一度振り返ってみていただけたらなと思っています。
(スライド・映像とともに)