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2023年9月1日(金)第4,891回 例会

青少年たちが,夢を実現する機会を創出する

木 場  昌 雄 氏

一般社団法人JDFA
(Japan Dream Football Association)代表理事
J リーグ・アジアアンバサダー
木 場  昌 雄 

1974年 南あわじ市生まれ,’93年からガンバ大阪の中心選手として12年間プレー(2001~’03年キャプテン),Jリーグ通算284試合出場。’06年より地域リーグやタイのカスタムズFCでプレーし,’10年に現役引退。’11年,一般社団法人JDFAを設立し,未来ある子ども達に夢を与えつつ,日本およびアジアのサッカー界発展のための活動を推進。

 サッカー・Jリーグのガンバ大阪でプレーし,選手生活の最後の3年間はタイのサッカーリーグでプレーしました。今,こうした経験をいかしたセカンドキャリアを歩んでいますが,今日は,どういった形,どういった思いで僕がサッカーを通じた人生を歩んでいるのかを紹介します。

34歳でタイリーグに挑戦

 1993年,Jリーグ元年にガンバ大阪に入団しました。2004年までプレーし,’01年から’03年はキャプテンも務めました。何とか優勝したかったのですが,かないませんでした。その後,アビスパ福岡に移りましたが,膝の調子があまりよくなく,第一線でのプレーから離れ,富山や滋賀など,地域からJリーグを目指しているチームで選手兼コーチとして活動しました。
 そして’08年から’10年,タイのサッカーリーグでプレーしました。
 なぜタイだったのか。ガンバ大阪時代,オフに毎回,暖かいタイで自主トレをやっていました。当時のタイリーグは,スタジアムがあって観客の皆さんがたくさん入って,という時代ではなく,一つの会場で3試合したり,ナイターは薄暗かったりしていました。いつかここにJリーグの経験を積んだ選手が来て,何かを伝えるのも面白いな,と感じ,それからずっと「最後はタイリーグで」と思っていました。そして34歳のころ,チャレンジしたいとなり,タイリーグに行きました。
 ガンバ大阪に在籍していた当時,後にロシアワールドカップで日本代表監督を務める西野朗さんが監督をされていた頃がありました。僕は18歳のときにU-19の日本代表に選んでもらいましたが,その際の監督も西野さんでした。ガンバ大阪で再会し,僕のことを認めていただき,キャプテンに任命してもらいました。
 西野さんは,「天然」というか,「鈍感力」があると言われますが,感覚を研ぎ澄まして選手のことをよく見ていた面もありました。合宿所での食事のときには,全体を見渡せるところに西野さんがいて,誰と誰が会話をしていたとか,誰が先に帰っていったとか,そんなことを見ておられました。「観察力」があるということでしょうか,選手が今どういう状況なのかをすごく観察されていました。僕が彼女に振られた次の日の練習で「昌雄,何かあったんか」と言われたこともありました。きっと僕の顔に出ていたのでしょうね。このように,西野さんは選手のことをしっかりと観察し,この選手がどういう状況なのか,を見ることのできる監督でした。

若者にチャンスを与える

 僕はタイのリーグでプレーしましたが,当時はスタジアムの整備や選手の育成などは手が届いていませんでした。ただ,選手の能力はすごく高かった。僕がチームでセンターバックを組んだタイの選手はオリンピック代表で,この選手はJリーグでプレーできるのではないか,と思っていました。
 ’10年に引退し,次のステップ,セカンドキャリアに進みました。
 タイからJリーグを客観的にみて,アジアの中ですばらしい環境にあると思っていました。Jリーグとタイのリーグの両方の経験から,「能力の高いタイの選手をJリーグでプレーさせることが,僕ができることじゃないか」「それが日本やアジアのサッカー界に貢献できることじゃないか」とも考えました。そこで’11年,一般社団法人Japan Dream Football Associationを立ち上げました。
 具体的には,タイを中心に東南アジアを回って,現地の子供たち向けにサッカー教室を開いたりしています。タイではバンコクだけでなく地方にも行きますし,カンボジアのプノンペンにも行ったりしています。’14年からはU-14の大会をバンコクで毎年開いています。
 この大会はタイのチームとタイ以外のASEANのチーム,Jリーグのチームに来ていただいています。僕自身がタイとASEANのチームから優秀選手を選び,Jリーグのアカデミーに練習参加をさせてもらっています。こういった形で,皆にもチャンスがあるということを伝えています。
 大会の優秀選手はタイのクラブでプロになったり,各年代の代表に入ったりしました。ガンバ大阪のテストに優秀選手を参加させたこともあります。今後も継続的に,こうしたチャンスを提供していきたい。僕自身,サッカー界で育ててもらったという思いが大きいので,サッカー界に恩返しをしたいのです。

サッカー界への恩返し

 こうした活動は,現地の日系企業など皆さんの大きな支えがあって続けることができています。また,長い活動の中では,現地の学校やクラブなどとの絆,つながりも強くなってきています。現地の関係者は「Jリーグで活躍した選手がタイで子供たちのために活動しているので,それに応えてあげたい」と思ってくれているのかもしれません。そうした関係性は,長年の活動があり,培われたのだと感じています。
 来年以降も大会の優秀選手を連れてきて,活躍の場を提供してあげたい。単発で終わってしまうと,あまり意味がありませんので,僕の一生をかけてこの活動に取り組んでいきたいと考えています。まだ実現できていませんが,この活動を通じ,東南アジアからJリーグのプレイヤーを出したいと強く願っています。
 一方,ガンバ大阪には選手OB会があって,僕は副会長をしています。ガンバ大阪に所属した元選手が,サッカーを通じて育ててもらったことに対し,ガンバ大阪や地域の皆さんに何かお返ししたいと活動しています。(ガンバ大阪のホームの)パナソニックスタジアム吹田は,日本でも有数のサッカースタジアムです。大阪の方だけではなくアジアの方々にも来てもらえるような環境づくりもできたらいいなと思っています。
 僕はサッカーを通じて自分の人生を歩んできました。これからもサッカーを通じて皆さんにお返ししていけるものを作っていきたいと考えています。
(スライド・動画とともに)