1961年東京生まれ,’83年慶應義塾大学経済学部卒業。現在,松竹(株)取締役常務執行役員最高財務責任者。東京交響楽団理事長,デジタルハリウッド大学客員教授。川崎哲男の名で脚本,演出。「壽三升景清」(現市川團十郎主演)で第43回大谷竹次郎賞受賞。「藤戸」(中村吉右衛門。尾上菊之助で再演),「先斗町,鴨川をどり」など。ステレオサウンド誌に「レコード芸術を聴く悦楽」を連載中。
歌舞伎が海外とどういう縁があったか,その約100年について,お話しいたします。
明治時代,新政府は東京を首都にしましたが,江戸っ子は徳川びいきで,江戸市民懐柔策として歌舞伎を国劇にしようと考えました。そうした中で明治12年,元アメリカ大統領のユリシーズ・グラントが,東京で歌舞伎を見ました。歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥が,明治の「劇聖」と言われた九代目市川團十郎にグラントの役を当て,時代は南北朝にしまして,芝居を作りました。これが来賓を歌舞伎に迎えた第1号かと思います。
それから時間が経過し大正11年,ロシアバレエ団の花形だったアンナ・パヴロワが帝国劇場に来ましたが,六代目尾上菊五郎は自分の劇場へ呼んで,舞台で衣装を着せたり,茶室にパヴロワを呼んだりしました。
このころは,まだ外国へ歌舞伎を持って行っていません。日本に来られた方にご覧いただくという時代でした。
では,いつ歌舞伎は海外へ行ったのか。第1弾は昭和3年,ソビエト連邦です。二代目市川左團次の一座がまいりました。弊社会長の迫本淳一の祖父,城戸四郎が一団を率いました。左團次はシェイクスピア劇や新劇を上演し,現代劇も古典も演じた大変なスターですが,「戦艦ポチョムキン」などで知られる映画監督のセルゲイ・エイゼンシュテインらと交流しました。
「鏡獅子」という舞踊がありますが,これを小津安二郎監督が昭和10年に撮りました。吉田茂が,イギリス大使に内定したので菊五郎をロンドンへ連れていき鏡獅子を見せたい,映画に撮ってもらって前宣伝をしてから菊五郎を呼びたい,ということでした。残念ながら戦争でロンドン公演は実現しませんでした。
菊五郎は2年に1回ぐらい鏡獅子をやっていましたが,これを見たのが芸術家のジャン・コクトーで,堀口大學が歌舞伎座にお連れになった。それからあの「美女と野獣」のもとができたわけです。
戦後は,昭和30年の中国に次いで,昭和35年に初めてアメリカ合衆国へまいりました。これが当たりました。ニューヨークタイムズにこういう劇評が出ました。「インクを流したような真っ暗な劇場街に一筋の光を掲げるもの…それが昨夜シティセンターで開幕した歌舞伎である」。「インクを流したような」というのは,そのときブロードウエイがストライキだったからです。これが評判になり,歌舞伎は海外へ積極的に行くようになりました。
「歌舞伎を救った男」と言われるフォービアン・バワーズという方がいます。歌舞伎,文楽,能が大好きで,マッカーサーの秘書官で日本に来ました。占領軍が,歌舞伎の仇討ちはアメリカ,イギリスが憎らしくなるから全部ダメ,などしましたが,この方たちが来てくれたお陰で「仮名手本忠臣蔵」が解禁され,それ以降演目の統制がなくなりました。
昭和34年,来日した指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤン夫妻が来られ,楽屋訪問されました。このときは久保田万太郎先生の演出,台本監修は三島由紀夫先生という大変ぜいたくなスタッフでございました。
昭和44年のアメリカ公演はヒッピー全盛のころ,ベトナム戦争のころでした。源平合戦を題材にした「熊谷陣屋」が反戦劇として燃え上がり,客席にはヒッピーの方がどんどん来たということです。
昭和30年代後半から40年代の歌舞伎は国内で非常に悪かったのですが,その時期に海外へ出たお陰で,50年代以降,歌舞伎はそのフィードバックで非常に盛んになりました。
昭和54年,日中平和友好条約締結後の最初の文化使節として訪中し,北京で「忠臣蔵」を上演しました。昭和57年,3回目のニューヨーク公演は連日4,000人の超満員と大変な評判で,その時にはロナルド・レーガン大統領を表敬訪問しております。
平成8年,中村吉右衛門とアメリカのダラスからロサンゼルスまで公演をしたときは,カール・ルイスが客席にいました。イタリア公演では,ナポリ,ジェノヴァ,ローマ,ミラノをまわりました。平成16年にニューヨークで平成中村座をやったときは,映画「スパイダーマン」の1作目が出たころで,ニューヨークタイムズは,スパイダーマンより歌舞伎のほうがおもしろいと,書きました。
平成21年は,蜷川幸雄先生にシェイクスピアの「十二夜」を歌舞伎にしていただいたものをロンドンへ「里帰り」で持ってまいりました。平成25年には坂東玉三郎がパリで地唄舞をやり,平成27年はラスベガスのホテル,ベラージオで「鯉つかみ」という芝居をやりました。屋外でのプロジェクションマッピングを歌舞伎で試みた最初です。
これからの歌舞伎は,インバウンド,新しい外国のお客さまも見据えています。中村獅童と,初音ミクというキャラクターが一緒に芝居をします。獅童がいっぺんに5人現れるようなことができるようになってきました。テクノロジーとの融合「超歌舞伎」です。
花街の皆さんもインバウンドにいいと思っています。京都・先斗町の「鴨川をどり」ですが,コロナでできなかった時に,ドローンを飛ばし,鴨川沿いで撮影してDVDにしたら,クラウドファンディングで多くの資金が集まりました。また,日本舞踊も本当にすばらしい舞踊家が出ています。
最初に海外公演をした昭和3年から95年。これからが正念場です。新旧取り混ぜ,和洋取り混ぜ,いろんな形でおもしろいコンテンツを作ってまいります。
(スライド・動画とともに)