1953年徳島県神山町生まれ。’90年代初頭より過疎化した地域が生き残るための解決策としてアートや環境を柱に地域と世界を繋ぎ,グローバルで創造的な地域活性化を展開。
「創造的過疎」を持論にクリエイティブな人材の集積による地域課題の解決に取り組む。2010年以降ITベンチャー企業等10数社のサテライトオフィスの誘致により多数の雇用を創出。’23年4月開校「神山まるごと高専」の発起人として開校に奔走。徳島大学客員教授,青山学院大学ビジネススクール客員教授,東京大学まちづくり大学院特別講師。
徳島県の山の中の本当に小さな,一風変わった町から参りました。神山町は町域の86%が山林で,人口は過去65年の間に4分の1まで減りました。大きな企業も工場も有名な観光地もなく,JRは通っておらず,高速道路もない。そうした条件の場所で〝こと〟を起こすには,物事を新しく考えられる,クリエイティブな人材を集めることが一番だろうと,地域づくりをスタートさせました。効果が少しずつ表れてきたのか,さまざまなメディアに取り上げられ,「神山の奇跡」,「地方創生の聖地」などと呼ばれるようになりました。
スタートは1体の人形です。1927年,悪化していた日米関係を少しでも変えようと募金によって米国から日本に1万2,739体の人形が贈られ,全国の小学校や幼稚園に配られました。開戦に伴いほとんどが壊されましたが,約320体が現存し,そのうちの1体,「アリス・ジョンストン」が町の小学校に残っていました。人形はパスポートを持っており,人名とともに出身地としてペンシルベニア州ウィルキンスバーグの名が書かれていました。誰が贈ったのか探し出そうと現地の市長宛に手紙を送ると,贈り主が見つかりました。「里帰り」として’91年,30名の訪問団を結成し,米国に連れ帰ったのが活動の始まりです。
’99年,「神山アーティスト・イン・レジデンス」を始めます。国内外から芸術家3名を招き,町に2ヵ月半滞在して彼らが行う創作活動を住民がサポートするものです。結果的にいろんなアート作品が町内に点在していきました。2005年になると,町全域に光ファイバー網が整備されます。ビジネスを起こしていこうとアートと空き家の情報サイトを作りました。手伝ってもらったのが英国人のトム・ヴィンセントさん。サイト内で一番ヒットしたのが空き家情報のコーナーで,これをきっかけにIターン事業の顕在化が起こります。「ワーク・イン・レジデンス」という,職種を逆指名する移住策の仕組みを入れ,「この家はパン屋に貸し出す」,「この家はデザイナーだけに」と受け入れ側が職種を限定することで町のデザインが可能になってきます。
’08年11月,坂東幸輔さん夫妻が町を訪れます。坂東さんは徳島市出身で,ハーバード大で学んだ建築家。坂東さんと同じ建築家の須磨一清さんの2人が町内の空き家を改修したオフィスの設計に関わります。2ヵ月かけて改修が終わり,借りてくれたのが先ほどのトムさん。「ブルーベアオフィス神山」と名付けられます。実は,神山のサテライトオフィスは,最初からそうしたアイデアがあって誘致しようと始めたわけではありません。
オフィスが完成に近づいた’10年9月下旬,名刺管理会社,Sansanの寺田親弘社長が,須磨さんから神山の話を聞きます。寺田さんはシリコンバレー駐在を経験し,社員に自由な雰囲気の中でガッツリ仕事をしてもらいたいという思いがありました。神山のことを聞いた5日後に2人が町に来て,それから20日もたたずに社員3名が古民家で仕事を始めた。これが町におけるサテライトオフィスのスタートです。町に来た建築家やクリエイター,デザイナー,あるいはITベンチャー企業の思いやアイデアを一緒に育んでいたところにサテライトオフィスができたのです。寺田さんからSansanを上場させた後に教育のプロジェクトをやりたいという話を聞き,それが「神山まるごと高専」につながっていきます。
’15年からの地方創生の総合戦略で,まず考えたのは「BAUシナリオ」。神山の人が何も行動しなかったら将来の町の姿はどうなるかという成り行きの未来です。そうならないために重要なことは何かと考え,行き着いたのが,人が移り住んでくるには地域に可能性が感じられる状況が不可欠ということ。そのために,町では子育て世代向けの集合住宅の建設や農業と食が循環する仕組みを作るといった複数のプロジェクトが進行しています。
’19年から始まったのが,まるごと高専のプロジェクト。全寮制で,テクノロジーとデザインと起業家精神を学びます。開校資金約25億円は企業版ふるさと納税を活用して集めました。クラウドファンディングも行い,一番人気だったのが「先輩コース」。1期生は先輩がいないので,先輩になる権利を1人3万円として1,000人分募集したところ,わずか2日間で売り切れました。一方で,家庭の経済環境に左右されずに学べる学校を作ろうと,1社10億円を10社から集めて基金を作り,運用益を学費・寮費に充てる仕組みを考えました。結果的に11社が集まり,5年の在学期間を通じて無償の学校ができました。
40都道府県から399人の受験者があり,合格者は44人。男女の比率は,全国の高専の「78対22」に対し,神山は「50対50」です。1期生の入学式が4月2日に行われ,校歌は坂本龍一さん作曲で,遺作となりました。学生たちが転入届を出したので町の人口が1%増え,高齢化率が0.3歳改善しました。多分,神山の歴史が始まって以来のことです。
人形に話を戻すと,贈り主のアリスさんは1960年代半ばに他界し,自分の人形がどこに届いたか分かっていません。1万1,000kmも離れた神山に届き,96年後に高専ができた。小さな思いが見知らぬ町の100年後を変えることだってある。これがある意味,人生のロマン,生きる意味ではないかと思います。
「好きな場所」を,好きなままにしておいても何も変わりません。どうすればいいか。簡単です。「て」を加える。「好きな大阪」を「すてきな大阪」に。「て(=手)」を加えるとは,皆さんが行動すること。変化は自分たちの身の周りから起こります。身の周りで何ができるかをもう一度思い起こし,それを続けた結果,すてきな社会,すてきな世界ができると思います。
(スライド・動画とともに)