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2023年3月10日(金)第4,871回 例会

小説家の仕事

磯 𥔎  憲一郎 氏

小説家
東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院
教 授
磯 𥔎  憲一郎 

1965年千葉県生まれ。2007年に「肝心の子供」で第44回文藝賞,’09年「終の住処」で第141回芥川賞,’11年「赤の他人の瓜二つ」で第21回東急文化村ドゥマゴ文学賞,’13年「往古来今」で第41回泉鏡花文学賞,’20年「日本蒙昧前史」で第56回谷崎潤一郎賞を受賞。他に「眼と太陽」「世紀の発見」「電車道」「鳥獣戯画」「金太郎飴磯﨑憲一郎 エッセイ・対談・評論 2007-2019」,横尾忠則氏・保坂和志氏との共著「アトリエ会議」等がある。1988年~2015年三井物産(株)勤務。

商社マン時代に芥川賞

 私1965年千葉県安孫子市で生まれまして,埼玉県の三郷市に引っ越すんですけれども,東京都内の上野中学というところに通ったんです。片道,電車で1時間半。1日往復3時間,暇つぶしに本でも読むかと選んだ本が,「船乗りクプクプの冒険」という,北杜夫さんが書かれたいわゆる一種の児童文学なんです。これがおもしろかったんです。とにかく書いてあることがめちゃくちゃなんですよ。小説というのはこんなに自由なことをやっていいんだ,おもしろいなと。北杜夫にのめり込んだんです。都立上野高校,早稲田大学商学部を経て,海外で働いてみたいなという思いで受けに行ったら,「お前,体力がありそうだな」と言われて入社させてくれた三井物産に入りました。デトロイトなど米に結局まる7年間駐在しまして,2005年の4月に三井物産の本店に帰ってきたんです。この2年後「文芸賞」という新人賞を受賞して,小説家としてデビューすることになったんです。
 2009年に芥川賞をいただきまして,三井物産の方も大変喜んでくれて,ありがたいことに本もたくさん出すことができたんですが,やっぱり気持ちのどっかで小説家としての責任を果たしたいという思いが強くなってきて,’15年9月末で三井物産を退社しました。

30年生き続けた「種子」

 小説家というのは,何かおもしろい奇想天外なストーリーとか,何か伝えたいメッセージみたいなのがあって,それを小説という形にして世の中に発表しているのが仕事なんじゃないかと一般的には考えられがちですけれども,小説を書くようになってもう17年とか18年ぐらいになるんですけど,どうも違うような気がするんです。
 こういうことを考えるようになった一つのきっかけが北杜夫さんなんです。30年振りに北さんの小説を読み返してみたんです。「谿間にて」という台湾に蝶々を探しに行くような短編小説ですけども,さっと読みます。台湾の山を描写している部分ですけれども,「そのとき梢をとおし,この空地にもはじめて朝の光がさしこんできた。北回帰線間近の,純粋な,力にあふれた,万物を活気づける光線である(中略)すべてが生れてはじめてで,同時に莫迦げきっているように思われた」という,北さんらしい描写。一方で,これを読んだときに私がびっくりしたのは,こういう「万物を活気づける光線」とか,一方で,感動している自分をちょっと客観視するような,「莫迦げきっているように思われた」みたいな,自分を突き放すような視線が,なんか俺の書いた文章にそっくりじゃないかと思ったんです。
 特に私のデビュー作の「肝心の子供」という小説の前半部分の自然描写にすごい似てるなと思ったんですけど,30数年読み返してもいなかった小説に自分のデビュー作が似てたということにすごいびっくりしたんです。30年以上前に植え付けられた種子というか,まあ今で言うとウイルスみたいなもんですかね,こんなにしぶとかったのかと思って。
 北さんの小説「楡家の人びと」を読まれた方はご存じかと思うんですけど,北さんのご実家というのは大きな精神病院で,そこをモデルにした小説なんです。その楡脳病院というのは,宮殿のような建物だったという描写が冒頭近くにあるんですけども,そこもさっと読み上げます。「それはあきらかに幻の宮殿であり,院長基一郎の測りがたい天才のもたらした地上の驚異そのもの(中略)竜宮城を彷彿とさせる時計台に至っては……。」と,本当に大げさというか,揶揄しているような,馬鹿にしているような,そういう視線なんです。
 こういう一種のうそくささとかユーモアさというのが,非常に巧妙な形で極めて自然に併記されている。「楡家の人びと」を読み返した時に思い出す小説があって南米文学,マジック・リアリズムと言われた「百年の孤独」というガブリエル・ガルシア・マルケスが書いた小説があるんですけれども,全く時代も国も違うところにあるんですけども,「楡家の人びと」を読むと僕はその「百年の孤独」という小説を思い出してしまうんです。全く時代も地域も国も別のところでこういう流れができてきている。

歴史・系譜の中で書き続ける

 よく一般的に思われているのは,小説の歴史とか,小説家の系譜というのは,個性なり,奇抜なアイディアとか,優れた作品を書く作家とか,小説家というのが先にあって,それをその後から見たときに一つの歴史が後から出来上がるというふうに一般的には考えられがちですけども,どうも自分の意識からするとなんか違うんです,どうも違うと。
 まず最初に小説の歴史というか,小説家の系譜みたいなものが先にあって,北杜夫であるとか,ガルシア・マルケスみたいな作家が,地域も国も違うところにポンポンと生まれるんだけども,そういう時にそのある一時代とか,ある国のある一つの短い期間を,自分が思う最良の作品だと思うような作品を執筆することによって,その一時期を担うというか,それで10年とか20年とか一生懸命原稿を書いたら,もう次の世代にどんどん,どんどん,また新しい人が出て,この系譜の中を引き継いでいってくれるという,まず最初にあるのは歴史のほう,系譜のほうが先にあるような気がしてならないんです。
 そういうことを考えると,やっぱり自分もサラリーマンだったんで,やめた後振り返ってみると,結局延々と続くその会社の歴史のある一部分を一生懸命たすきをつないで,今の現役の人たちがまた頑張ってくれている。一人一人の作家の個性のぶつかり合いとか,せめぎ合いみたいに思われがちな小説家の歴史も,それはどこかで企業の継続性であるとか,企業の歴史みたいなところと構造としては非常に似た部分があるんじゃないかなと,この5年,10年,実際に自分が原稿を書きながら,そんな気がしています。
(スライドとともに)