大阪ロータリークラブ

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2022年12月2日(金)第4,858回 例会

日本ライトハウス100年の歩み

橋 本  照 夫 氏

社会福祉法人 日本ライトハウス
理事長
橋 本  照 夫 

1951年生まれ。大阪府出身。甲南大学卒業。一般企業にて5年間の勤務を経て,’79年社会福祉法人日本ライトハウスに入職。常務理事を経て,2013年より理事長に就任。総合的なサービス提供を目的としたリハビリテーションセンター,盲導犬訓練施設等の移設建設などを完成させた。厚生労働大臣表彰,大阪市長表彰,大阪府知事表彰,大阪市民表彰を受賞。

 我が国で最初に視覚障害者の自立支援の事業を始めたのが私ども,日本ライトハウスです。今年,大阪ロータリークラブと同じ100周年を迎えました。皆さん,ヘレン・ケラー女史をご存じだと思いますが,女史を日本に2度招聘したのが創業者の岩橋武夫です。点字の印刷物がなかった大正11(1922)年,武夫が自宅で点字印刷を始めました。これが事業の始まりで,以来,視覚障害者への支援事業サービス一筋に今日を迎えています。

岩橋武夫が100年前に創業

 武夫は早稲田大学在学中の21歳の時に失明しました。当時,視覚障害の学生は受け入れてくれず,やむなく退学し大阪へ戻りました。点字の勉強を大阪市立盲学校で始め,その後,視覚障害の学生を唯一受け入れていた関西学院で学びました。国際語として評価の高かったエスペラント語に親しみ,大正11年に始めたのが「日エス辞典」の点字印刷でした。大正14年には英国のエジンバラ大学に留学し,社会福祉の実情についても学びました。そこで親切にしてもらったことが身に染みたと思います。日本で自分も視覚障害者のために働こうと心に決めて帰国しました。
 米国には,視覚障害者のための灯台(ライトハウス)を世界的に広げようという「ライトハウス運動」があり,創始者のマザー夫人が昭和4(’29)年に来日した際,武夫はその通訳を買って出ました。自身も運動に共感し,自宅に建設資金募集の看板を掲げ,ライトハウス会館の建設を目指します。昭和9年に渡米し,マザー夫人と4ヵ月にわたって全米を巡回して講演しました。この時,マザー夫人と共にアメリカ盲人援護協会(AFB)事業を進めていたヘレン・ケラー女史を紹介してもらい,女史宅に行きました。武夫は日本訪問を強く要望して帰国。昭和12年と戦後の昭和23年に女史の来日が実現しています。
 昭和10年,渡米時の講演の謝金や印税,篤志家の寄付を元に,阿倍野にライトハウス会館が竣工します。これにより,視覚障害者への支援サービスが組織的に提供できるようになりました。点字図書の出版・貸出,更生援護相談,訪問指導,各種の講習会・勉強会など,今日につながる諸事業を進めました。

ヘレン・ケラーを日本に2度招く

 昭和25年に身体障害者福祉法が施行されましたが,武夫には早く実現させようという考えがあったようで,昭和23年に再び女史に来日してもらい,毎日新聞社,朝日新聞社の協力を得て全国でヘレン・ケラー・キャンペーンを展開しました。武夫も女史の通訳として一緒に回り,福祉向上を訴えました。
 視覚障害者の新職業の開発も進めました。戦中の昭和18年,失明軍人を対象に無線機の組み立て工場をシャープの早川徳次さんの協力で始めました。今の「シャープ特選工業」の前身です。それまで視覚障害者の仕事は三療(あんまマッサージ指圧,鍼,灸)が多かったと思いますが,社会の中で一般的な就業ができるようにと職業訓練も始めました。
 武夫は昭和29年に亡くなりましたが,長男の英行が理事長に就任し,武夫の悲願だったアジア盲人福祉会議の東京開催を実現させました。盲学校の教科書の供給基地として点字出版所を充実させ,点字図書館,録音テープによる声の図書館もできました。日本で先駆けてリハビリテーションを始めたのが昭和40年。昭和44年にはリハビリ事業の基礎を固めました。一般就労に向けての職業訓練では電話交換手や,先端的な職業のコンピュータープログラマーまで養成しました。
 視覚障害者が白杖を持って歩く姿を見かけることがあると思いますが,歩行訓練については,アメリカ海外盲人援護協会(AFOB)の協力を得て日本に導入し,昭和45年には日本で初めて歩行訓練指導員の養成講習会をAFOBと共に開催しました。現在52期目を迎え,卒業生で「歩行訓練士」の資格を持つ人が543名。それ以外に国立の障害者リハビリテーション学院で学んで取得する人もいますが,歩行訓練士はまだまだ不足しています。
 2代目理事長はアジアへの失明防止活動の必要性を痛感し,昭和48年にアジア眼科医療協力会を立ち上げました。ネパール,ビルマなどでの開眼手術のため,黒住格博士率いるボランティア医師団体を派遣するようになりました。点字ブロックも開発しました。2代目理事長が愛犬家で,ブリーダーで発明家の三宅精一さんと二人で相談して作りました。試行錯誤して今の点字ブロックができ,日本だけでなく世界中で敷設されています。

視覚障害者に幅広い支援を提供

 盲導犬の事業は昭和45年に手掛けるようになりました。盲導犬はどんなに頑張っても年間20頭ぐらいしか育成できないのですが,これまでに800頭を視覚障害者に提供してきました。白杖だと上半身の防御ができません。大きなトラックに杖が巻き込まれたり,看板があると顔を打ったりしてしまいます。盲導犬はしゃべってはくれませんが,きっちりと安全を確保して歩くことができます。
 昭和54年に点字図書館が肥後橋に移り,情報文化センターとなりました。約2万点の蔵書,数十万点の点字,録音図書があり,年間6万点以上を無料で全国に貸し出しています。最近ではインターネットで24時間いつでも読みたい時に読めるサービスが提供できるようになりました。点字出版所も,点字情報技術センターとして平成3(’91)年に東大阪に移転。盲学校の教科書や自治体,企業などの発行物を点字化するだけでなく,駅の券売機や建物案内の点字プレートなど暮らしに役立つ点字サインを製作し提供しています。リハビリテーションセンター(大阪市鶴見区)は平成4年に今の建物に改築しましたが,現在,大規模改修の計画を進めています。
 我々はこれからも視覚障害者支援を進めてまいります。ぜひご協力のほど,よろしくお願いします。
(スライドとともに)