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2022年10月21日(金)第4,853回 例会

すべての人が好きなスポーツに関わる社会へ

伊 藤  数 子 氏

特定非営利活動法人 STAND
代表理事
伊 藤  数 子 

1991年企画会社パステルラボ設立,代表取締役。2005年NPO法人STANDを設立し,パラスポーツ事業を本格始動。パラスポーツを通して共生社会を目指す。’16年に新設のスポーツ庁の第1期スポーツ審議会委員,総務省情報通信審議会専門委員,日本パラリンピアンズ協会アドバイザー。’20年には日本ITU協会賞 特別賞を受賞。

 国内で,障害がある人が一番移動しやすい地域はどこでしょうか。これは,私が活動するパラリンピックの選手たちの会,パラリンピアンズ協会でも全会一致で決まったものです。答えは「大阪」。「大阪のおばちゃん」がいるからです。大阪のおばちゃんは,車椅子の人にもすぐ駆け寄ってきて,「その段差,大丈夫か。おばちゃんに任しとき」などとどんどん声を掛けてくれる。私は大阪のおばちゃんの行動に心から敬意を表しています。障害のある人を見かけ,声を掛けようか迷った時は,「よし,大阪のおばちゃんになったつもりで」とお声掛けするようにしています。

障害者スポーツは「さらしもの」?

 私がパラスポーツと出会ったのは2003年。金沢で暮らしていた時のことです。「電動車椅子サッカー」の応援に初めて行きました。地元の大会で金沢のチームが優勝し,今度は全国大会。大阪の舞洲アリーナで行われましたが,チームに脳性麻痺の状態があまりよくない選手がいて,地元ではレギュラーで出場していたのですが,お医者様から外泊禁止とされて行けなくなりました。その試合を彼に金沢の自宅で見てもらうためにインターネットで生中継しました。皆さんに見てもらおうと体育館のロビーにモニターを置いて展示したところ,大柄な男性がモニターの前に立ち止まり,こう言ったんです。「障害者をさらしものにして,どないするつもりや」と。男性はその一言だけで行ってしまわれました。
 「さらしもの」。辞書を引くと,「人前で恥をかかされた人」と出ます。’03年は,星稜高校出身の松井秀樹選手がヤンキースへ行った年。大リーグの中継を見て,一体どこの誰が,選手がさらしものになっていると言うのか。私の中に大きな異物が混入された感じで,いてもたってもいられませんでした。その男性が悪い,間違っているというより社会全体に何か問題があるんじゃないかと,その日をきっかけに思ったのです。私はその後,NPO法人STANDを,「自立」という意味を込めてつくりました。パラスポーツは社会を変えていく道具の一つになるのではないかと。情報発信をしたり,体験会を開催したり,さまざまな形でパラスポーツを伝えてきました。

パラリンピックは社会変革活動

 なぜ,オリンピック,パラリンピックは,国を挙げて長い時間をかけ,大きな組織をつくり,お金をかけて取り組むのか。それは開催の意義にあります。オリンピックは,平和でよりよい世界の実現に貢献することを目的に開催されます。パラリンピックは,よりよい社会をつくるための社会変革を起こそうとするあらゆる活動を「パラリンピック」と呼びます。目指すゴールも設定され,インクルーシブな社会を創出することです。コンセプトには,競技とか勝敗とか記録といった言葉は全く出てきません。社会変革活動だからです。
 東京オリンピックが開催された1964年のパラリンピック。「障害者の自立」をレガシーとして掲げ,翌65年には日本身体障害者スポーツ協会が設立されました。それまで,病院や施設で寝たきりになった障害のある人に対し医療機関はスポーツを禁じていました。それからすると,ものすごい変革になりました。2020年大会のレガシーの1つは「共生社会」です。では,開催さえすれば,大会が共生社会を持ってきてくれるのか。その答えはノーですね。じっとしていても何も変わらない。自分たちでやっていくしかないんです。
 パラスポーツを通して共生社会にどうアプローチするか。スポーツには,「する」,「見る」,「支える」の3つの関わり方があるとされます。私はここに「すべての人が」という言葉を加えています。障害のある人は日本で936万人。先進国では人口の約1割が何らかの障害を持っているといわれ,世界では15%。障害のある人もスポーツを「する」ということを前提に考えていく社会を,これからいろんな場面で見ていかないといけない。ただ,これはこの10年近くで変わってきています。
 では,「見る」はどうか。あるスタジアムに行くと,車椅子席は1塁側のみに用意があると。これでは,すべての人が好きなスポーツを見る社会にはなかなかならない。車椅子の席を設けたら,前の人が立っても見えるようにしようということも推奨されていますし,車椅子席の隣の席は介助席ではなく,米国のボールパークでは「コンパニオンシート」,一緒に来た友達の席だよ,となっています。
 そして,「支える」。パラスポーツの大会のボランティアをしたいという人が本当に増えました。私たちは,希望する皆さんにスピリットや介助などを学んでもらう講座を開きました。すると,参加者からこんな言葉をいただきました。「視覚障害の人の誘導の実習をした後,街中で白い杖をついている人を見かけました。私は生まれて初めて障害のある人にお声掛けをしました」。スポーツを支えるというアプローチで共生社会をつくることができる道筋が,私たちにははっきり見えました。

声掛けの模範は「大阪のおばちゃん」

 声掛けですが,普通に声を掛ければいいんです。「大丈夫ですか」,「お手伝いしましょうか」と。だから,普通に声を掛けてくれる大阪のおばちゃんはすごい。そしてその先。お声掛けしたら,意識的に障害のある人がいる場所に行ったり,体験会に参加したりということを増やしていくといいんじゃないか。「慣れる」ことがすごく大事だと思っています。
 障害は人にあるという考え方から,社会にあるというふうに考え方をシフトさせたい。下半身が動かなくなった人を歩けるようにするのは難しいですが,社会の方を変えるのはいくらでもできる。建物だったり,仕組みだったり,心であったり。ちょっとずつ変えていけるのではないかと活動を続けています。どこかでご一緒に活動できる日が来たらうれしいなと思います。
(スライドとともに)