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2022年9月2日(金)第4,847回 例会

修験道の根本道場 金峯山寺の365日

五 條  永 教 氏

金峯山修験本宗宗務総長
総本山金峯山寺執行長
五 條  永 教 

1977年大阪府生まれ。’99年金峯山修験本宗総本山金峯山寺に入門し得度受戒。吉野学林で修行の後,2001年より金峯山寺奉職。’09年大峯百日回峯行満行。’13年金峯山寺一山妙法院住職拝命。’15年から金峯山修験本宗宗務総長・金峯山寺執行長に就任。現在も奥駈(おくがけ)修行などの入峯修行を通じて修験道の実践を心がけている。

 奈良県は大和の国,吉野山から参りました。本日の演題「金峯山寺の365日」は,私が3月に出版した本の題名でもあります。寺の日々をより分かっていただけるよう映像,DVD付きとなっています。ぜひご覧いただければと思います。吉野は紀伊半島のちょうど真ん中辺り。大阪,京都からそんなに遠くないんです。遠過ぎず,近過ぎず,ちょうどいい加減。これが吉野で,日本一の桜の名所です。この桜が金峯山寺と深く関係しています。

「お山」が神さん,仏さん

 修験道とは一体どういうことか。修行の「修」に,「験」は「しるし」と読みます。修行によって何らかのしるしをいただく道です。日本古来の山岳信仰で,1300年以上の歴史があり,山伏の装束を身に付けて山に入ります。修験道では「お山」が神仏。石ころであったり,木であったり,空気であったり,雲であったり,何もかもが神さん,仏さんと受け入れて修行させていただく,その中で生かされ,自身も自然の一部だと捉えて修行させていただく。これが修験道の大切な部分になります。
 民衆によって育まれた信仰で,山伏は明治時代に入るまではたくさんいて身近な存在でした。「半僧半俗」と言い,一般の人が普段は普通の仕事・生活をし,山に入る時に山伏になる。「里(さと)」が日常を表す言葉で,山へ入るのが非日常。普段と違う世界へ行く,そこを行き来する。もっと言えば,この世とあの世を行き来するような感覚。里の山伏が山へ行って修行すると,ありがたい功徳・力,しるしを得て帰ってくる。そのありがたい神仏の力によって里がうまくいく。その重要な役割を担っていたのが山伏なのです。
 現在の金峯山寺ですが,本堂の蔵王堂は高さ34m,四方,縦横の一辺が36m。東大寺大仏殿に次ぐ日本で2番目に大きな木造の古建築で,屋根は桧の皮でふかれています。国宝で,世界遺産にもなっています。本堂は6度建て替えられ,現在のお堂は太閤秀吉公が1592年に再建しました。御本尊も非常に大きなお姿です。「金剛蔵王大権現」というお名前で,高さが7m28cm。秘仏で普段はお目にかかれませんが,彩色がきれいに残り,慈悲を表す青黒色がありがたい。三体いるのは過去も現在も未来も守っていただけるということ。今秋のご開帳は11月1~30日ですので,ぜひお越しいただきと思います。

吉野の桜は信仰の証

 修験道を開いたのが役行者(えんのぎょうじゃ)様です。大阪府と奈良県の境に金剛山,葛城山があり,その奈良県側のふもとでお生まれになりました。金剛山,葛城山から修行の場を広げ,全国に修行したと伝わる痕跡があります。役行者がお山の上で,人々を救うのにふさわしい御本尊を求めて修行をし,現れたのが蔵王権現。その姿を桜の木(山桜)に刻み,伝わっているということで,人々は山桜を「ご神木」,信仰の対象,証として植えて大切に育てました。「献木」と言いますが,蔵王権現様にお供えする気持ちで育てた結果,日本一の桜の名所,吉野山となったのです。
 寺には,「大峯百日回峯行」という,蔵王堂から南に直線距離で24kmの山上ヶ岳まで100日間,毎日行って帰ってくる修行が伝わります。初めの50日は山の上で泊まり,翌日下りてくる。51日目からはいっぺんに山の下から上がって,また戻る,距離が倍になるという過酷な修行で,私も13年前にさせていただきました。途中にお祈りをする場所がたくさんあり,かなりのスピードで歩かないと間に合わず,やせていきます。もう一つ,「大峯奥駈修行」は基本毎年,吉野から那智の滝がある熊野までの180kmほどを行きます。今は40人くらいの団体で8泊9日をかけて,ずっと歩きっ放しでは期間内に終えられない事情もあり,途中で山を下りてバスで移動するなど工夫をしながら続けています。
 修行の途中で,ご来光,お天道様が上がってくると,不思議と涙が出てくるんです,ありがたくて。修験道は「実際にやってみたら分かる」という教えでもあります。役行者は教義書のような,書いたものを何も残していない。実際に修行をすることで,ありがたいなと感じる,しるしの一つでもあるわけです。特別な人だけが修行できるということではなく,皆さんも山伏になれます。目には見えないけれど,とてつもなくありがたくて大きな存在。皆さんも何らかの形で,そういう感覚をお持ちだと思います。それを大切にしてほしい。そのことをお伝えするのが,修験道に関わる者の使命だと思っています。

「恕」の教えと祈り

 私が,修験道のことでいろいろ気付かせてもらう中で,日々心掛けていることを参考にしていただければと思います。いろんなことを前向きに捉えるように努め,今を精一杯生きる。目の前に起こることはすべて意味があると思うようにしています。人が喜ぶことをするためにいただいた命です。食べ物は粗末にせず,命をいただいていることを忘れない。命がつながっているのはご先祖さんあってのこと。先祖に感謝すること,ものを粗末にせずに大切にしようと心がけています。
 もう一つお伝えしたいのが,「恕(じょ)」です。上の部分は女へんに口で「如く」,下が「心」で,「心の如くに」という意味があります。心というのは,自分以外の人,相手の人の心。相手の気持ちになって考えれば,許すことがたくさんあります。金峯山寺の歴代管長猊下が蔵王権現御本尊の御心を表す言葉として常日ごろ,話をしていたことです。
 そして,お祈りです。簡単にあの世とつながる,神仏の世界とつながる方法が祈りです。目に見えない大きな存在に対して,「皆がよくなりますように」といったような気持ちで,毎日1 秒で結構ですから祈りの時間を持っていただきたい。その瞬間,間違いなく神,仏とつながっているのです。
(スライドとともに)