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2022年5月13日(金)第4,832回 例会

スポーツを通した国際友好

野 口  みずき 氏

アテネ五輪女子マラソン
金メダリスト
野 口  みずき 

三重県伊勢市生まれ。2002年に初マラソンの名古屋国際女子マラソンで優勝し鮮烈なマラソンデビューを飾ると,その後も’03年パリ世界選手権で銀メダル,’04年のアテネオリンピックで金メダル獲得。’05年ベルリンマラソンで優勝した際にマークした2時間19分12秒は今もアジア記録・日本記録として輝く。’19年より岩谷産業陸上競技部アドバイザーに就任。

 スポーツ解説などをさせていただいていますが,講演はあまり受けていません。しゃべるのが苦手なんです,と言いながら,最近はバラエティー番組にも出たりして,しゃべることも少しずつ楽しくなってきたなと思うこの頃です。

高地トレーニングで世界への切符つかむ

 私が初めて世界大会に出場したのが,1999年のイタリア・パレルモで行われた世界ハーフマラソンでした。その頃は日本と標高が変わらないポルトガルで合宿をしていましたが,その後はスイス・サンモリッツや中国・昆明などの高地でトレーニングをするようになりました。サンモリッツは標高1,800mのところにあり,もう必死でした。トレーニングを重ねて,2003年のパリの世界陸上では銀メダルを獲得し,翌年のアテネ五輪で金メダルを獲るんですけれども,その直前にもサンモリッツで合宿を行いました。
 そのときにイタリア人の「おっちゃん」と知り合いました。合宿していたホテルの裏に住んでいた男性です。私たちは朝6時にホテルの前で体操をするのですが,おっちゃんは毎朝その様子を見てずっと気になっていたそうです。あるとき声を掛けてくれて,そこから仲良くなりました。
 当時は本当にもうトレーニング,トレーニングの毎日で,なかなか気分転換も上手くできませんでした。おっちゃんから,「せっかく挨拶もできて仲良くなったんだし,気分転換に僕のお勧めする場所に行ってみないかい」と誘われました。この写真はイタリアとスイスの間にある国立公園です。このように日本のカップラーメンなどを持ち寄ってみんなで一緒にピクニックに出掛けるなどして,本当に素敵な交流を重ねました。

忘れられないおっちゃんの言葉

 ’05年のベルリンマラソンでも結果を出して,2時間19分12秒という今でも破られていない日本記録を樹立しました。でもやっぱり18分台を出したいということで,翌年の大会を目指して,再び,サンモリッツに行きました。しかしプレッシャーを感じていた私はトレーニングをし過ぎて,合宿中にけがをしてしまいました。そんな私におっちゃんは,今でも忘れられない言葉を掛けてくれました。
 「みずきは,日本ではスーパースターかもしれないけど,ここサンモリッツには世界中から多くの選手がトレーニングにやってくる。皆同じランナーなんだよ。だから,ここでは何のプレッシャーも感じずにやってほしい」という言葉でした。「ああ,そっかぁ」と思いました。本当に強いランナーが世界中から集まってくるので,私はその人たちばかり目で追ってしまい,自分に過度なプレッシャーを与えてしまっていました。なので,そのときの彼の言葉はジーンと胸に来ました。おっちゃんは山間部にある別荘にも招いてくれて,おいしい食事もいただきました。けがをしていて気持ちがしんどい中,リフレッシュの機会を与えてくれました。本当に感謝の気持ちでいっぱいで,その後もエアメールでのやり取りもしていましたが,今は音信不通になってしまいました。
 外国人の方と積極的にお話しできるようになれたのは,フレンドリーなおっちゃんのおかげです。その後の世界大会などでも積極的にいろんな選手と,片言の英語ではありましたけどお話しするようになれましたし,彼から教わったことは本当に山ほどあります。落ち着いたらサンモリッツにプライベートで出掛けて,おっちゃんにまた会いたいというのが今の夢です。当時飲めなかったグラッパを,おっちゃんと一緒に飲みながら昔話をしたいなと思っています。彼からもらった優しさや友情をお返ししたいなと感じています。

父が買ってくれたアシックスのシューズ

 今回,この講演をお受けしたのは,アシックスの廣田さんからのお誘いだったということがあります。
 私は中学1年から陸上を始めました。アシックスとの出会いはそのときでした。私の実家は経済的にあんまりいい環境ではなく,マラソンシューズを買うのにも一苦労だったと思います。少しずつ長距離種目で成績を上げていった私に父親が初めて買ってくれたマラソンシューズが,アシックスでした。女の子向けの本当に可愛らしいカラーリングのシューズで,実業団に入ってからも,アテネ五輪で金メダルを獲得した数年後に有名なシューフィッターだった方が辞められたときも,私はアシックスを離れることはありませんでした。やっぱり父との思い出があり,本当に私の中で思い入れのあるスポーツブランドだからでした。
 その父親もこの2月で他界してしまい,父のことを思うたびに初めて買ってくれたシューズのことも思い出します。あのとき買ってくれたシューズがアシックスで本当によかったですし,アシックスに長くお世話になり,こういう場でお話しする機会も与えてくださり,本当に感謝しています。
 スポーツを通した国際友好もそうですが,人それぞれにいろんな物語がきっとあると思います。私はその中でもいろんな人と出会うことができました。出会いは本当に大事で,私はとても運がいいと思っています。この運をまた次の世代にもつないでいきたいなと思います。前向きに何でも一つ一つ努力していけば,やがて花が開いて明るい道が開けるのかなと感じています。どんなに辛いことがあっても,前向きに明るく進んでいくことで,必ず夢に近づけると思いますし,私の座右の銘でもある「走った距離は裏切らない」という言葉を,多くのアスリートや子どもたちに今後も伝えていければなと思います。
(スライドとともに)