1954年兵庫県西宮市生まれ。中学から大学院修士課程まで神戸女学院で学び,’82年神戸大学大学院博士課程修了。学術博士。園田学園女子大学専任講師,助教授を経て’92年大阪府立大学助教授,’99年同大学教授。2020年3月に退官し名誉教授。専門は英文学,比較文学。
『猫の比較文学』(ミネルヴァ書房)など著書多数。
来年は「寅」と,タイガースファンの方々は,より張り切っておられましょう。本日は,虎より小さく,より身近な親戚の「猫」について比較文学的にお話申し上げます。
昨今の猫ブーム,CMやテレビに猫が頻繁に登場し,ペット数では犬を超えたとか。
けれども,「文明社会」は,いつも猫ブームだったのではないでしょうか。
狩猟生活時代の人間は,犬を飼いならし,部下として使い,主従関係が成立しました。
その後,定住した人間が農耕を始めたとき,賢い猫のほうから近づいてきたと考えられています。なぜなら穀物を狙う鼠が,猫には「ご馳走」だったからです。
山野で小動物を追いかけるより,人家近くで太った鼠を捕るほうが,猫にとっては,はるかに楽です。しかも鼠捕りの名手として,人間から大事にしてもらえます。
つまり人間と猫とはウィンウィンの関係を築いたのです。古代エジプトでは,飼い猫の死を悼んで一家は喪に服し,猫をミイラにして弔ったと伝えられています。さらに猫の顔の神様まで崇めるようになりました。
猫が守った穀物により,人間は裕福になる,猫が富をもたらす,との連想的構造は,日本においては「招き猫」として,農業のみならず商売の成功を祈るアイテムです。
アラブ世界でも,猫は大事にされました。おそらく文明社会で猫を虐殺したのは,中世ヨーロッパだけではないでしょうか。「悪魔の使い」や「魔女の化身」とみなされたのですが,その結果がペストの大流行と考えられています。まさに「猫の祟り」ですね。
日本では幕末以降,海外との交流が増え,疫病も入ってきました。明治期には,ペスト禍が繰り返され,政府は猫の飼育を奨励しました。農村とは違う事情で,人口の多い都市において,猫が必要とされたのです。これも「猫ブーム」といえましょう。
夏目漱石の『吾輩は猫である』でも,鼠捕りの巧い猫が登場し,飼い主が鼠を取り上げ,交番で換金するとの旨,愚痴る場面があります。漱石の名作は,ペストによる猫ブームを背景にしているわけです。
人間にとって身近な猫は,作品において,さまざまに描かれるようになります。
もちろん飼い猫の原点は「鼠捕り」だったはずですが,さらに空想と夢で,異なった「猫」が生まれました。それらは次の三種類に大別されます。
① 神秘的あるいは不気味な猫
暗闇でも見える,目が光る,狭く高い場所へ音を立てずに行ける,そして犬などに比べて長命,などの特性から「神格化」され,ときには「化物」扱いもされました。どちらも「人間の能力の及ばない存在」ですね。
古代エジプトの神,中世ヨーロッパの悪魔的猫,そして日本でも「猫又」や入江たか子の当たり役「化け猫」など,さまざまな超自然的「猫」について,古今東西,語られてきました。E.A.ポーの短編『黒猫』では,人間が一方的に,単なる猫を怖がりますが,多くの物語では,猫が擬人化されます。
②「女らしい」猫
現代では「女らしい」などと言うとジェンダー絡みで問題視されそうですが,お許しくださいませ。
飼い猫は,犬が庭にいるのに対し,炬燵で丸くなるなど人間と同じ空間にいることが多かった,それでとうとう猫=人間のような「表現」まで生まれました。「猫の子一匹いない」や「猫も杓子も」が,その一例です。 A cat may look at a king と英語でも同様の言い方があります。
漱石の猫も擬人化されているわけですが,そのなかで人間の女性よりも艶っぽい雌猫が登場します。谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人の女』でも,雌猫は,人間の女性よりも魅力的な「女らしさ」を備えています。
女のような猫が描かれるいっぽう,「猫のような女」も典型的悪女として描かれることがあります。よりパワフルなファム・ファタル(妖婦)は,「女豹」と表現されます。大阪のおばちゃんのトレードマークのようなヒョウ柄ファッションは,本来,魅力的な妖婦の装いだったのです。
③ コミカルな猫
神秘的,不気味な猫とは対照的ですが,『不思議の国のアリス』のチェシャ猫,フィリックス,『トムとジェリー』,ニャロメ,『じゃりン子チエ』の小鉄とジュニアなど,ユーモラスな猫は多く描かれてきました。
猫好きの三島由紀夫も,『午後の曳航』は例外として,作品の中では,漫画の一コマのような滑稽な,あるいは酷い目に遭わされる猫を散りばめています。人間の近くにいると「猫踏んじゃった」ということも日常的に起こりましょう。
このように,「猫ブーム」は文明発生時から始まり続いてきたと考えられますが,現代日本での様子は,少し異なるように思われます。もちろん素人が画像・動画を簡単に発信できるようになったことも猫ブームに拍車をかけてはいます。
しかしそこには,多くの人々が猫に「癒やし」を求める現実もあるのです。それだけ,人々がストレスや不安を抱えるようになったのではないでしょうか。
コロナ禍のステイホームでペットを飼い始めた方も多いとか。散歩の必要な犬より,猫のほうが都会に向いていましょう。家族から離れ,都会で暮らす単身者にとっても,猫は最愛のパートナーになりそうです
猫であれ,なんであれ,このややこしい時代に人々が癒やされ,他者に寛容な心を持ち続けて欲しいと願うばかりでございます。