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2021年5月21日(金)第4,790回 例会

日本國創成と飛鳥・中尾山古墳~高松塚古墳壁画発見50周年と「飛鳥・藤原」の世界遺産登録に向けて~

西 光  慎 治 氏

明日香村教育委員会 文化財課 調整員
関西大学 文学部 非常勤講師
西 光  慎 治 

1970年大阪府生まれ。関西大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了。明日香村教育委員会文化財課主任技師を経て現職。壁画古墳で有名なキトラ古墳をはじめ,真の斉明天皇陵とされる牽牛子塚古墳や,文武天皇陵とされる中尾山古墳など飛鳥地域の重要な遺跡の調査担当を歴任。主な著書(共著)に『蘇我三代と二つの飛鳥』,『古代王権と古代の謎』,『天皇陵』,『亀の古代学』など多数。「飛鳥の遺跡調査・研究活動」に対して朝日21関西スクエア賞受賞(朝日新聞社)。

 中尾山古墳は飛鳥国営公園の高松塚地区に所在しております。明日香村は奈良県のほぼ中央部に位置し,小さな村ですが,その村に存在する文化遺産は,日本の国家形成を考える上で重要な遺跡が密集している地域です。

高松塚古墳壁画の発見

 この明日香村が現在のように保存されるきっかけとなったのは,1972年の高松塚古墳壁画の発見です。そして現在,「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」は世界遺産登録にふさわしいのではないかということで,登録に向けた活動を進めています。
 そういった流れをふまえ,「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産に含まれている中尾山古墳の発掘調査を,関西大学と明日香村教育委員会で実施。「八角形墳」であることが確認されました。
 中尾山古墳の上空からの映像を見てみますと,3つの尾根が重なるように並んでいます。その真ん中の尾根に中尾山古墳が築かれています。3本の尾根の中央,その中央の尾根は中尾山―。そのような地形が古墳の名前の由来になっています。
 中尾山古墳は八角形をベースに,周囲に川原の石を敷き詰めた形状で,特異な古墳です。プリンをひっくり返したような形状をした非常に立派な古墳です。この古墳を造営する際に,延べ3万人程度が投入されたことが明らかになっています。
 飛鳥地域には歴代天皇のお墓があり,当時の最先端技術を用いた火葬が採用されています。「骨壺」という言葉は一般に私たちも使います。火葬場で骨上げして入れる容器は骨壺です。一方,お墓に埋葬するときに新たに移す例もあり,その容器は蔵骨器というように使い分けられます。実際に収骨の際に納めるものと,お墓に納めるものは区別して使うということになります。
 そしてお墓という言葉は私たちが日常的に使いますが,地面より下にご遺骨などを埋葬するときに使う言葉です。古墳はどちらかというと地面よりも上に埋葬施設がありますから,われわれが今考えているようなお墓という概念ではない,ということになります。

政治的なモニュメント

 では古墳は何なのかということですが,社会の構成員として認められたという政治的なモニュメントです。お墓づくりをすることが許され,そこに埋葬された人が亡くなってからもそこで生き続けているんだ,と。残された方々はその亡くなった人の御威光を受けて,その時代を治めていく。地下に埋めてしまいますと,そういったものがなくなってしまいます。
 その差は何かといいますと,肉体です。肉体がある状態で古墳に埋葬されると,そこで亡くなった方は生き続けるわけです。一方,火葬しますと,骨になってしまう。骨になってしまったら,物質化しますので,そこには亡くなった被葬者が生き続けていない,ということになります。
 古墳に納めてもそういった効力がなくなってしまいますから,地下に埋めてしまうようになるのです。地下に埋めるようになりますと,そこにお名前を書いておかないと,誰を葬っているかわかりませんから,墓誌とか碑文を立てるようになってくる。そういうのが奈良時代以降ということになります。
 ですから,古墳というのは単純にお墓ではない。政治的なモニュメントであるからこそ,ああいう巨大なお墓づくりが行われていたということになります。時代の流れの中で,政治的な法律に基づいた国づくりの中でお墓づくりがなくなり,火葬されたご遺骨をこのような蔵骨器に埋納してお墓に埋葬する,ということになってきますので,だんだんと古墳がなくなってしまうということになります。
 本日のまとめとなります。関西大学と明日香村教育委員会合同で行いました発掘調査で,中尾山古墳が天皇家のお墓に採用されている八角形をした古墳であるということが確定してまいりました。

古墳からお墓への過渡期

 日本の幕開けを象徴する時代の天皇のお墓として,ふさわしい現代的な要素を含めた先進的なお墓づくりが行われて,そしてそれが古墳としては日本では最後の姿であった。古墳からお墓へのちょうど過渡期の様相を示していたものであった,ということが今回の調査で判明したというのが結論になります。
 高松塚古墳が発見されて以降,飛鳥地域の隣接する中尾山古墳の発掘調査も行われまして,さらに50年を経まして,その過程で明日香法の制定で,飛鳥地域の歴史的な風土が保全され,さらに飛鳥地域の文化的資産が世界遺産に認められる,そういった大きな流れを「高松塚発掘50周年」を迎えるにあたって,お話させていただきました。
 ご清聴ありがとうございました。
(スライドとともに)