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2021年5月14日(金)第4,789回 例会

懐徳堂・適塾から中之島四丁目

澤  芳 樹 君(外科医)

会 員 澤  芳 樹  (外科医)

1955年生まれ。’80年大阪大学医学部卒業,医学部第一外科入局。’89年~’92年フンボルト財団奨学生としてドイツに留学。2006年より心臓血管呼吸器外科主任教授(現心臓血管外科教授)。’15年~’17年同研究科長兼任。その他,学内兼任多数。現在順天堂大学及び金沢医科大学客員教授などのほか,日本再生医療学会理事長,日本胸部外科学会理事長などを務める。日本学術会議会員。
当クラブ入会2015年7月。

 きょうの「懐徳堂・適塾から中之島四丁目」というタイトルで非常に重要なことは,懐徳堂も適塾も民間で立ち上がった,大阪は民の力が江戸時代から極めて強かったということです。大阪大学も民の力で,財界の方が寄付されて,政府にはもう大阪に帝国大学は要らないという判断すらあった中で設立されたという経緯があります。

人材育成の成功例

 適塾は緒方洪庵先生によってかなり医療の面でも有名だと思うのですが,懐徳堂は歴史が古く,江戸時代に幕府が認めた学校で,すばらしい立派な学問所であったということです。1724年にできたのが懐徳堂,1838年にできたのが適塾です。この2つの学問の拠点が大坂にあって,どちらも発祥は民の力であり,民の力が強かったということです。
 懐徳堂は町人によって設立されたのですが,幕府自身も官許して大坂学問所ということで,文化人として有名な中井竹山とか,富永仲基,山片蟠桃など,たくさんの人材を輩出しているということです。
 一度明治2年に閉校されますが,その後大正5年に再建されて,「重建懐徳堂」ということで,今で言う市民大学のような形で親しまれたということです。残念ながら大空襲で焼けましたが,そのときの書物を大阪大学文学部に寄贈されて,その後大阪大学の文学研究科が「懐徳堂記念会」を設立する中で,このように現在も大阪大学の中に懐徳堂研究センターがあるわけです。
 適塾は医学校のイメージがありますが,一方で,適塾出身で幕末などに活躍した人がたくさんいます。福沢諭吉さんとか大村益次郎さんとか,明治維新を起こした,もしくは現在の世の中の礎となった方がたくさん輩出されたということは人材育成の成功例だと思います。
 適塾は緒方洪庵(1810-1863)先生が江戸幕府に召し出され,西洋医学所の頭取に指名されましたが,半年もたたないくらいに江戸で亡くなられて,結局,適塾はその後3~4年は続くのですが,閉鎖されます。
 明治になり1869年(明治2年),大久保利通が大阪遷都を考えていて,じゃあ,大阪に医学校が要るだろうということで,明治天皇のご沙汰により仮病院というものが大阪上本町の大福寺に設定されました。いきなりというのは無理なので,適塾から人をそちらに移して,元々の適塾生はそこに入って,仮医学校,仮病院,その仮が取れて医学伝承が始まります。大阪医学校,府立医学校となって1931年に帝国大学,そして戦後に大阪大学医学部になるわけです。

民間の熱意で設立

 大阪医学校がこの田蓑橋のたもとに移りまして,吹田に移転するまで約110年間,中之島に医学校があったわけです。
 大阪は江戸時代にGDPが非常に高かった時代があったのがだんだん東京に移行していくわけですが,まだ「大大阪時代」というのがあって,大阪市の面積を拡張して,工業出荷額なども日本一の大大阪という時代がありました。この大大阪時代で一番申し上げたいのは,民間の熱意でこの6番目の大阪帝国大学が設立されたということで,これは非常に大きな話だと私は思っています。
 私も卒業して15年間はここで医師をさせていただき,その後吹田に移るわけです。理系の学部が集積された場所です。少し私の経験を話しますが,何と言っても日本初の脳死心臓移植を大阪大学が始めることができたことは,医学の流れを継ぎながら,新しいステップを積み重ねていくエポックではないかと思います。これを私の恩師の松田暉先生(元当クラブ会員)と一緒に推進されたのが現大阪RC会長の堀先生です。
 中之島四丁目にはiPSの拠点ができるということで今進めています。My iPS細胞ができることになっていきます。今は他人のiPS細胞を移植するので免疫抑制剤を使っていますが,免疫抑制剤も要らなくなるという形で本格的な再生医療が始まります。それを中之島から始めたいと思っています。
 このような新しい医療がスタートするきっかけとしては,政府が橋渡し研究事業を進めるようになって,私たち大阪大学では未来医療センターを2002年にスタートさせました。この未来医療というのは,岸本忠三先生,当クラブ会員の元大阪大学総長がネーミングされました。

いのちを尊重する時代の主役に

 この中之島はブランドがあって重要な土地ですが,なぜか大阪大学が吹田に移った後のこの空き地がそのままになっていて,ようやく美術館が建ち始めました。
 大阪府は「中之島4丁目未来医療国際拠点をつくりましょう」ということで,私は当初からこの計画案に参加してまいりました。そしてできたのが,「未来医療推進機構」です。建てていただくのも民の力であれば,中に入るのも一切民間でやるというところが大変大阪らしい,大阪の力の象徴だなと感じております。
 その中に何を入れるかという仕掛けが大事だと私は考えてまいりました。スタンフォード大学と私は連携してきていて,ベンチャーを興したり企業を立ち上げるような教育の成功例がスタンフォードでありますので,この仕掛けは絶対大事だと思っております。
 大阪では,ライフサイエンスが出口となって,いのちを尊重しようという時代に,その主役になるべく「中之島四丁目」ができ,「うめきた」もできますし,「万博」もできる,鉄道も付くということで,世界に発信できるようなことが大変これから期待できるのではないかと思います。
(スライドとともに)