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2018年8月31日(金)第4,684回 例会

なんばエリアがインバウンドに魅力的な理由と街づくり

牧   香代子 氏

(有)リンクコーポレーション
代表取締役
牧   香代子 

1998年相愛大学卒業後,北京外国語大学に留学。2002年同大学卒業。’03年「世界青年の船」に大阪代表として乗船。’04年産経新聞主催の「平成の遣唐使」で上海へ派遣。’05年(有)リンクコーポレーションを設立。’08年RI第2660地区「R財団研究グループ交換(GSE)」に参加,トルコへ。’10年「上海国際博覧会訪中青年団」に。’11年南海電気鉄道(株)「中国人観光客インバウンド研修」講師。’13年大阪外国専門学校アジア言語ビジネス課入学,’14年卒業。中国語,韓国語,英語の翻訳業務,商店街まちづくりを中心に活動中。

 今日は本当にすてきな機会を与えていただき,ありがとうございます。なんばエリアがインバウンドに魅力的になった理由を,私なりにお伝えできたらな,と思います。

なんばとの出会い

 自己紹介をすると,私は9歳の娘の母で42歳。20年ほど前,中国に留学しました。その後,帰国し,100円均一のバイヤーとして世界中を周りました。28歳で独立し,有限会社リンクコーポレーションを設立しました。

 初めてつくったのが,日本橋「でんでんタウン」の中国語の地図です。これが私のインバウンドとの初めての出会いでした。

 内容は切符の買い方,公衆電話のかけ方のほか,日本の四季を紹介するなど工夫しました。つくるのに半年ほどかかりましたが,いただいた謝礼はいくらだったと思いますか。10万円でした。しかし,私にとっては,重みがありました。これをきっかけに,日本橋に籍を置こうと思い,ご縁が始まったのです。

 この地図ができた2005年,日本を訪れた外国人観光客は,たったの672万人でした。大阪にはほとんど来ていませんでした。このころから,なんばには危機感がありました。天王寺にはハルカスが,梅田にはグランフロントができる。そんな中で,なんばはインバウンドで頑張っていこう,というような波が当時からありました。

 「ウラなんば」という言葉を聞いたことがありますか。高島屋から千日前通りを「オモテなんば」としたら,「ウラなんば」は裏通りにある範囲。今は広範囲になっていますが,そういう所を言い出すようになりました。飲食店が中心となって,組織をつくらず活動しているのが「ウラなんば」です。タクシーで「アメリカ村に行って」と言ったら,三角公園で降ろしてくれるように,「ウラなんばに行って」と言えば,「味園(みその)」界隈につけてもらえるようにならないかな。そんな簡単な気持ちで言い出したんです。

 そのためには街づくりの仲間をつくらないといけないということで,11店舗が2011年の東日本大震災の翌年,募金箱と地図をつくったのが,きっかけでした。弊社はデザイン会社もやっておりますので,翌年,47店舗の地図をつくりました。その翌年には,100店舗以上になりました。

 ほかの地図と違うところがわかりますか。そう,飲食店の看板や料理ではなく,人の顔を載せました。ウラなんばは人に会いにこれる街ということで,顔写真を載せた地図をつくったんです。スマホの時代になってきたので,トリック写真が撮れるスポットも入れました。かに道楽のカニにぶら下がっているように見えたり,グリコの看板とハイタッチしているように見えたり。撮影の仕方のポイントも入れました。アナログと新しいものが融合するような地図です。

 そして今年。万博誘致が大阪の課題ということで,ミナミの人たちもたくさん動いています。実は,ウラなんばに来られるお客さんは,20代,30代が結構多く,1970年の万博を経験していない方がいっぱいいらっしゃいます。万博で大阪がどれだけにぎわったのか,なんばの街がどう変わったのかというのを2018年の地図には入れています。

企業,組織,地域の連携

 ウラなんばでは,店主の飲み会もします。始まるのは夜12時から。皆さん,飲食店をされていますから,来られるのは12時以降です。好き勝手に来ていただいて,好き勝手に出ていっていただくような形です。

 「ウラなんば文化祭」というのもあります。やられているのは,お客さんです。「何でこんなことをしてくれたん?」って聞くと「飲みに行くけど,1年や2年で閉まる店がほとんど。3年続くことはほとんどない。つぶれてほしくないから,僕らが何とかするわ」。

 いつの間にか人が人を呼び,店が店を呼ぶ。そこに至るまでには,企業,組織,地域の連携があったのです。

 最高のリーダーもいました。今日,私の保護者として来ていただいている,千日前道具屋筋商店街の千田さんです。こういう方たちが,まとめてくださっていたから,私たちのような若い者が活動できたのです。

おもろい街・NAMBA を夢見て

 若者の街・ウラなんば,外国人であふれる街・ウラなんば,というふうになりましたが,一つ,忘れていたことがありました。今までなんばを愛してくれてきたシニア層への目です。そこで,敬老の日に「シニアマップ」を出しました。違いは,まず字が大きいこと。店は安く,お昼から飲める所を紹介しました。また,なんばパークスがある場所はかつて大阪球場だったといったことも載せました。

 街の魅力を知るきっかけとして,伝える1枚として,今もマップをつくらせてもらっています。また,オリジナルのものも発信しています。「オオサカ学習帳」は,外国人に大阪弁を勉強してもらう帳面。「旅するガチャガチャ」は,世界に旅だってもらおうという,移動式のガチャガチャ。なんばの名を広めてもらおうと,スーツケースに貼るステッカーもつくりました。

 いつの日か,エンターテインメントの街NY,おしゃれな街PARIS,そしておもろい街NAMBAとならないかなと,夢見て活動しています。

 (スライド・映像とともに)