中国大連生まれ。5歳から二胡をはじめる。音楽大学に受験すべきが手違いで受験できず,父の希望で遼寧省の大学病院にて心臓内科医の医師となる。1997年広島大学の医学部の客員研究員として来日。指導教官の勧めで博士課程に進学。2000年博士課程3年生の時,広島西南RCを世話クラブに米山奨学生に。’02年博士課程を修了し,医学博士。日本の医師免状がないため医師になれず,広島市に二胡音楽院を設立。病院のほか,高齢者や精神障碍者,原爆被害者の施設を訪ねるようになる。現在二胡音楽院院長,広島大学医学部客員研究員,遼寧中医大学附属日本医薬学院講師。西本願寺・医師の会会員。
来日してから20年になりますが,あっという間でした。最初は,日本語が全くできませんでした。いろいろ辛いこと,悩んでいること,迷うことたくさんありますが,日本に来てよかったです。大学の博士課程に入ったときに,ロータリークラブ米山奨学生に選ばれ,皆様に物心両面で支えていただきました。今日はニコニコして二胡を弾きます。
最初は私と皆さんを結ぶご縁がある曲「シルクロード」です。日本に来てから,広島で育てていただきました。特に広島西南RCの皆さんの社会奉仕,国際奉仕,そして,平和に関するさまざまなボランティア活動にとても感動しました。私も真似して,平和活動をこれまでずっとやってきて,今も頑張っています。広島にある平山郁夫美術館の平山助成先生(館長・郁夫氏の弟)と私はとても親しく,いつも一緒にいろいろな講演会,コンサートをします。シルクロードを経た平和の願いを,皆さんに贈ります。
♪「シルクロード・テーマ~絲綢之路~」
中国の大学病院では10年間,臨床の仕事をしました。心筋梗塞や脳梗塞への対応などにあたりました。毎日,命と関わる仕事でした。自然災害や事故,そして病気。最後まで何事もなく,無事に人生を歩み続けることは本当に難しい。皆さんに出会えたこと,仕事ができること,笑うこと,泣くこと,生きていることがとてもありがたいです。
初めて日本にやってきて,周囲に親戚も知り合いも誰もおらず,日本語もできなかったとき,皆さんが支えてくれて,少しずつ私を育てていただきました。だから私は「どんな辛いことがあっても,感謝の気持ちを持たなければならない」と思います。米山奨学生は,私の人生の中でとても,とてもありがたい感謝の2年間です。社会奉仕,国際奉仕……奉仕の精神が私の一つの励みです。
大学を卒業してから,何か人々の役に立つことができないかと考えました。自殺者が3万人を超え,地震が本当によく起こる日本。二胡の音色,そして医学の知識を通じ,少しでもストレス社会を解消し,皆さんの不安と悩みを解消できるかと思いました。
2年前に日本国籍をとりました。母をはじめ,家族全員が賛成してくれました。皆,日本のことが好きだったからです。日本は安心し,信用できる国。私は最後まで日本で暮らしたいです。家族は全員大連にいる。私はたくさん支えていただいた皆さんの何か役に立つことをしないといけないと思います。私の心境を表す曲,「Remember」を皆さんに贈ります。
♪「Remember~もう一度逢いたくて~」
星降る夜空を見ると 無限の宇宙が見えてきた
広い広い砂漠を見ると時が戻って見えてきた
懐かしい昔を思うと 現在が見えてきた
幸せな今を見ると 未来が見えてきた
鏡を見る時 母の笑顔が見えてきた
仕事で悩む時 父の姿が見えてきた
辛く寂しい時 あなたの優しさが見えてきた
自分を見る時 尊い子どものいのちが見えてきた
縁は終わることのないいのちの証し…
Remember Remember…
永遠のいのちの物語…
――この詩の朗読の後,演奏。
次は私が大好きな中国の曲です。中国のモンゴルの大草原で,馬の走る祭りの曲,「賽馬(さいま)」。日本語に通訳したら「草競馬」ですね。いろんな馬の鳴き声と足音をちょっといろいろアレンジして,皆さんを楽しませて元気になってもらいたいです。
♪「賽馬(草競馬)」 ――立ち上がって演奏
いよいよ最後の曲です。「ボレロ ヒロシマ」,私の定番曲です。平山郁夫先生の「広島生変図」という原爆の絵があります。皆さんのテーブルに置いている赤色のチラシの中に,ちょっと上に小さな赤い絵があります。広島県立美術館が所蔵しています。絵の中に,原爆を落とされてたくさんのいのちがすごく苦しんでいる様子を描いています。その右側の上から菩薩がこれを見ています。
日本で有名なアーティスト宇崎竜童様が二胡の音色に併せて作曲していただいたのが「ボレロ ヒロシマ」です。いのちの尊さと平和への願いを「ボレロ ヒロシマ」から世界へ発信することができました。「平和の響き」というCDに収録されています。
このCDが完成してから,ハワイでコンサートをしました。でも,最後のコンサートが終わったとき,財布を泥棒に盗られて,鞄の中のお金1円も残らなかった。主催者にお金を工面してもらい,日本へ帰りました。
100万円を超える被害でしたが,自分の中で悲しいとか,悔しいとか,何も思いませんでした。泥棒は,そのお金があるから,人を殺すことをしなかったかもしれない。むしろ,お金が欲しい人に寄付できてよかったなとさえ思いました。皆さんから奉仕の精神を頂いていたから,悔しい気持ちを抱えたり,悩むことがなかったのです。それでは,平和の願いが込められた「ボレロ ヒロシマ」をお送りします。
♪「ボレロ ヒロシマ」(平山郁夫画伯「広島生変図」より作曲)