1964年生まれ。オーストラリア国立大学・アデレード大学で学び,輸入住宅の取り扱いを専門とする独立コンサルタントを立ち上げ9年間運営。その後,’97年にオーストラリア貿易促進庁に入庁,領事兼トレードコミッショナーとして仙台に赴任(’99~2001年まで仙台宮城RCの名誉会員)。’05~’09年サンフランシスコ総領事,’10年オーストレード本部,’12~’13モンゴル総領事,’15年在日本大使館参事官,’16年在大阪総領事。当クラブ入会’17年2月。
(1982年ロータリー交換留学生として茨城に留学)
オーストラリアは戦後,英国に代わってアメリカが重要な貿易・投資相手国になりました。同時に,オーストラリアはアジア太平洋に注目し始め,2010年にはアジアは2国間貿易全体の3分の2以上を占めました。最大の貿易相手国は中国で,アジア太平洋地域の8ヵ国が貿易相手国のトップ10に入っています。輸出は農産物,エネルギーを含む鉱産物が50%を超える一方,第3次産業も20%を超えています。日本は第2位の輸出相手国であり,世界第2位の対豪投資国です。投資分野も資源に加えて,農業・リテール・ICT・インフラ・住宅・教育など,多様化しています。オーストラリア経済は資源への依存度が高いイメージがありますが,GDPに占める産業構成比を見てみると,鉱業の比率は10%程度。GDPの70%以上が第3次産業によって占められており,裾野が広い内需市場を背景にサービス業が発展しています。中でも重要なのは教育と観光です。毎年約600万人の旅行者と学生が海外から観光や留学のためにオーストラリアを訪れています。
オーストラリアの資源は日本の産業や生活に欠かせないものとなり,羊毛・綿花の貿易が重要な役割を果たしてきました。現在はスポーツ関連・医療機器・ライフスタイル・高級食材・技術・能力開発など,意外な輸出品目があります。日本でまだよく知られていないようですが,世界レベルの革新的な技術をたくさん生み出してきました。代表的な例は,Wi-Fiや飛行機で使うBlack Box,インフルエンザの治療薬,1ヵ月着用コンタクトレンズなどがあります。また,ペニシリンの大量生産,子宮頸がんのワクチンなど,医療分野でも多くの発見や発明がありました。
現在のオーストラリアの人口は約2,400万人で,日本と大きく異なるのは,非常に多様性に富んだ国であるということです。現在およそ200もの国と地域にルーツを持つ人々がともに暮らし,国民の3人に1人が外国生まれです。そして日本と同様に,調和を保つために「民主主義」「自由」「法治」「人権の尊重」という基本的価値観がとても大切にされています。このような価値観の確立と多様性の尊重を軸として,オーストラリアは社会づくりを進め,経済においても,生活の質を高めるという点で大きな成功を収めてきました。
世界で最も住みやすい国の一つと言われており,「人間開発指数」の世界順位において,オーストラリアはノルウェーに次いで世界第2位の評価を得ています。雑誌「エコノミスト」による世界の都市ランキングでは,オーストラリアのメルボルンが「世界一住みやすい都市」として評価されています。
オーストラリアの経済については,規模よりも,その安定した成長が注目されています。1992年から2016年までの平均実質GDPを見ると,先進国の中で連続プラス成長を続けている国は,オーストラリアだけです。リーマンショックさえも乗り越えた長年の経済成長の主な原因は,経済政策の転換に加えて,アジア太平洋諸国との関係です。中でも,日本との関係は特に重要です。現在の強固な二国間関係が大きく進展したきっかけとなったのは,今年60周年を迎えた1957年の「日豪通商協定」で,オーストラリアがアジア重視,特に日本重視の姿勢に歴史的な転換を行ったことを示す重要な例の一つです。
そして’76年に「日豪友好協力基本条約」が結ばれました。オーストラリアが初めて結んだ二国間友好条約です。日豪交流基金の設立や,科学・研究分野での協力,共同研究など,大学間の提携も数多くあります。また,オーストラリアに投資する日本企業に対して,既に魅力的だった投資環境を,その後も長期に保証したことも画期的でした。
オーストラリアでは,イノベーションに対して積極的な企業が競争力を高めていることは,既に実証済みです。このような企業がマーケットシェアを急速に拡大し,雇用を生み出し,好景気をもたらす原動力となっています。レベルの高い教育環境を背景に,医療や資源の分野などでも,新たな科学技術が次々と発明されています。この100年のうちに,オーストラリアからは15人のノーベル賞受賞者が出ましたが,国の人口比で見てみると,世界で最も多くのノーベル賞受賞者を輩出したことになります。
日本企業はR&D(研究開発)に莫大な投資をし,消費者にとって魅力的な商材を開発するところが非常に優れています。そして「ものづくり感覚」で商用化された製品が世の中に出て,一般消費者の目や耳に触れることで,日本発技術のブランドは世界にその名を馳せてきました。一方,オーストラリアでは,著名な発見のほとんどは政府の研究所や国立大学などを起点としています。
オーストラリアの研究機関で生まれるイノベーションの種と,皆様をはじめとする関西企業の強い開発力をうまく合わせることができたら,きっとすばらしいコラボレーションが生まれるのではないでしょうか。これが大阪の総領事としての私の構想です。
この先の3年間で,オーストラリアとどのようなビジネスの機会があるかを皆様とともに考え,積極的な意見交換ができることを期待します。
(スライドとともに)