1944年生まれ。’70年大阪大学医学部医学科卒業,’78年医学博士(大阪大学),同年西ドイツ・ハイデルベルク大学留学。’95年大阪大学医学部助教授,2001年近畿大学教授,’04年近畿大学付属病院長,’09年学校法人近畿大学理事(現在),’12年同大学学長(現在),同大学短期大学部学長(現在)。著書「天を敬い 人を愛し 医に生きる」
近畿大学第一外科に赴任してすぐ,「研修医心得」を示しました。
1,医師である前に一人の人間であれ。2,患者さんを好きになれ,自分を好きになれ。3,どんなことがあっても諦め手術はするな。納得するまで頑張り通す気力と体力を持て。4,楽しい生活を送れ。忙しさと楽しさは相反するものではない。楽しくなかったら外科をやめてもよい。5,身だしなみはきちっとする。元気良く挨拶する。朝8時までには仕事を始める。
これは,私自身の心得でもあり,これまで徹底してやってきました。これが,外科医の本来あるべき姿だと思っています。
私の専門のがんですが,今も死亡率が最も高い疾患です。告知することが正しいのかどうか,未だに大きな問題です。
告知の難しさを痛切に感じた患者さんがいました。82歳の眼科医で,告知はほとんどしていない時代でした。しかし,本人,息子さんともに医師で,今だったら内視鏡で取れるような早期がんだったので,「手術すれば,絶対と言っていいぐらい助かります」と説明し,資料も全て見てもらったうえで,「胃がんです」と話しました。月曜日が手術でした。「一晩だけ家に帰りたい」と申し出があったので,土曜日に帰宅の許可を出しましたが,その夜に自ら命を断たれてしまいました。
十分説明したつもりでしたが,この患者さんは医師ですから,私が言ったことは慰めで,進行がんで命はないとお考えになってしまったと思います。
今は,きっちり告知をしていこうという時代になりました。しかし,手術後に再発し,抗がん剤をしても手の施しようがない状況になった患者さんにこういうふうに言っている医師を目の当たりにしました。「何も治療法がないので,好きにして下さい。希望のところに紹介しますので,転院先を探してきて下さい」と。信頼して手術をしてもらい,再発後も治療を続けていたのに,こんなことを言われたら,患者さんはどう思うでしょうか。直ちに教授室に呼んで厳しく注意しました。彼は納得せず,「じゃあ,先生ならどうしますか」と問われ,「君が信頼できるところに紹介してあげて,仕事の帰りに見に行ったらいいじゃないか」と話しました。
私は最終段階の患者さんには,「死ぬ覚悟はして下さい。しかし,決して諦めてはだめですよ」と言うようにしています。医の原点とは「人を思いやる心」だと思っています。
症例から,お話しします。60歳の男性でした。PET検査で異常を指摘され,結果的に胃がんから腹部大動脈まで転移していました。私自身,何十人か手術してきましたが,助かった人は一人もいないような症例でした。抗がん剤と放射線を胃と大動脈周辺に集中してあて,それから手術をするしかないと考えましたが,放射線科の教授に「効いた症例がない」と即座に断られました。
しかし,周囲を説得し,抗がん剤2種類と放射線の術前治療を約2ヵ月間施し,胃の5分の4,大動脈周辺のリンパ節,左の副腎,胆嚢を取る手術を行いました。取った病理組織を見ると,生きたがん細胞はなく,完全に抑制できていました。PET検査でも再発の所見はなく,今日現在,無再発生存中。これ,私のことです。
私は毎年,胃カメラ,内視鏡検査をしていましたが,この前年だけ,病院長になって忙しいという口実で飛ばしてしまいました。患者さんにはいつも,「毎年,カメラはやりなさい。1回飛ばしたら,何にもなりません」と言っていましたが,まさにその通りでした。
検査結果が出そろうまでの1週間,「どうしてもしたいことってあるだろうか」と考えましたが,ないんですね。日常,普通だと思っていることがこんなにありがたいことかと感じました。この時思ったのは,「日常を変えないこと。弱音を吐かないこと」でした。午前9時から抗がん剤の点滴をし,11時から放射線治療。午後からは病院長としての仕事を1日も休まずに完遂することができました。
今,こうやって元気にしていられるから思うことですが,天とか運命とかいうものがあるとすれば,やはりそこに感謝をしないといけないし,「家族と職場の支え」がどれだけ力になったかと思います。
「今が一番若い」という言葉があります。寿命が何年先と決まっているとすれば,それに向かって1歩ずつ近づいているわけです。ですから,とにかく今一生懸命生きて,悔いのない人生を過ごさねばならないと思います。時は単に過ぎ去るものではなく,心のうちに,体のうちに積もりゆくものである。死に向かって進んでいくことが,決してマイナスばかりではないと思います。
私の大好きな言葉は「一期一会」です。人は必要な時,必要な人に必ず出会う。それも早すぎもせず,遅すぎもせず,まさにその一瞬に,一番大切な人と出会っている,そのタイミングを自分のものにした人が幸せな人だと思います。この一瞬の出会いがなかったら自分の人生は変わっていただろうなという出会いを,私もいくつかしています。
学生から「どうして勉強しなければならないんでしょうか」とよく質問されます。吉田松陰の「人たる所以」という言葉があります。理科であれ,社会科であれ,何であれ,人間とはどういうものか,どうしなければいけないのかを学ぶということです。生きるとは学び続けることだと思います。
(スライドとともに)