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2016年10月21日(金)第4,600回 例会

おばんざいは日本の食を救えるか

藤 掛   進 氏

一般社団法人 日本食育者協会
代表理事
藤 掛   進 

1952年4月生まれ。’75年同志社大学卒業。2007年一般社団法人日本食育者協会代表理事。’08年シーフードマイスター協議会設立。’14年養殖エコラベル(AEL)制度をスキームオーナーとして創設。京都大学大学院おばんざい研究会会長。京都大学大学院農学研究科博士課程に在学中。

 私は日本の色々な食の問題を解決するヒントが「おばんざい」にあると思っており,京都大学の博士課程で大学院生として研究しています。今日はおばんざいとは何か,日本の食の問題点,自律的な制限,他律的な制限,おばんざいは日本の食を救えるかについて,お話を進めたいと思います。

おばんざいとは何か

 「おばんざい」の定義は,基本的には京都の家庭料理です。実は京都の人はおばんざいとは言わないので,なかなか市民権を得られませんが,家庭の味ということです。材料は青果物,野菜が一番多く,昔は生ものが来ませんので,塩蔵物や乾物も多い。それから豆腐や揚げなどの大豆加工品です。調理法は煮物が多い。煮物は温め直しやストックができるので1品だけ用意すれば,昨日や一昨日のものを使って十分な品数ができ,合理的です。

 話がそれますが,なぜ京都の人がおばんざいと言わないのか,私なりの解釈をお伝えします。京都には同じような意味で「おばんざい,おかず,おまわり,おぞよ」という4つの言葉があり,漢字ではそれぞれ「番菜,数,周り,雑用」と書きます。番菜の「番」には「粗末な」という意味があります。京都では質素は良いのですが粗末はだめです。おばんざいは貧しく卑しい人の言葉で,言えばお里が知れるのでプライドの高い京都の人は絶対使わなかったということです。

 日本の食の問題点は大きく3つに分けられます。1つ目は栄養摂取。1970~80年代はいわゆる日本型食生活で,PFCバランス(栄養の質を評価する指標)も良かった。現在は脂質の取り過ぎで色々な問題があり,医療費も増加しています。2つ目は食料自給で,一次産業が衰退し農業生産力が落ちている。3つ目は食育です。食と農が分離し,ナスやキュウリがどんなふうになっているかわからない子たちがいます。電子レンジしかない家庭や,包丁がない家庭もある。

自律的・他律的な制限

 食のグローバル化で世界中から様々なものを持ってきたり食品産業が進展したりして生活が豊かになった反面,食料過多という問題が出てきた。日本の食の問題の起点は,多すぎる種類と量にあります。種類や量が多すぎると,その日の体調や好みで好き勝手に食べます。結果的にメタボになったり,世界中でどんなものでも効率よく作ろうとして,自然破壊が起きたりしています。

 食の問題を解決するため,好き勝手に食べる自由について「自律的な制限」をするか,法律などで「肉は1年間に1キロしか食べちゃダメ」などと「他律的な制限」をするか,あるいは社会的なきまりが必要です。法律や命令で制限することはできませんから,自律的に食の自由を制限する社会的なきまりや,社会的な道徳,批判などが必要になります。

 こうした食の道徳がおばんざいの精神性というもので,「しまつ,であいもん,ほんまもん,心づかい,あんばい」の5つを挙げています。「しまつ」は始めから終わりまで大事に使い,価値を生かし切ること。「であいもん」は食材と食材,食材と調理法,人と人,2つのものが出会い,変化し,有用な何かが生まれる。「ほんまもん」は本物を追求する姿勢で,本物を大事にし,しまつする。「心づかい」は食べ物や作った人への感謝。いただきます,ごちそうさま。「あんばい」は,ほど良いところに落ち着かせようとする心の動きです。

 食料充足の現代で,社会的なきまりとは医学的,栄養学的な数字です。これだけ食べないと健康に悪いとか,これだけ食べたら食べ過ぎなど,食べ方のきまりや批判も数字として,強制ではないが結構,他律的なきまりとして出てきます。ただ,これがきちんと機能して,日本の食の問題が解決できているかといえば,解決していない。

 なぜなら人間には左脳と右脳があり,左脳は数字や数学的な能力で,右脳は感性です。栄養学とか医学的な数字は「ああ,なるほど」と「納得」のところには響くのですが,右脳の「共感」には訴えないのです。では,共感させられるのは何かと考えたとき,普段食べ慣れているもので一番慣れ親しんだものは和食です。和食なら毎日のおかずはある意味ぜいたくなものですから,通常の家庭での日常食を想像したらいいだろうと。そうした時,私は,そこはおばんざいに繋がると考えました。おばんざいの構造の中にある様々な日本的要素,伝統,しきたり,文化,献立,調理法,共食,行事などが,共感させるものになるのではないか,ということです。

おばんざいの精神性

 食の問題の起点は好き勝手に食べることで,食の自由を一定程度制限しなければならない。他律的には医学的な数字などで納得をさせた上で,なおかつ,おばんざいの構造にある日本的要素や故郷的な要素で共感させる。自律的に食の道徳として存在するおばんざいの精神と,他律的に出てくる,共感させるようなおばんざいの構造が相まって,おばんざいが日本の食を救う一つの大きな要素になるのではないかと考えています。おばんざいに関わる精神性など様々なことが医学的,栄養学的な数字と一緒になれば,日本人の食に対する考え方や食べ方に影響を与え,自律的に自分を節制しながら,社会との関係や関わり合いを考えながら食べるスタイルに持ち込めるのではないかということです。

 ただ,残念なことに今,和食そのものが危機にあります。日本の和食をどうやって守っていくのか,そんな仕組みをつくりながら,次の世代に残していきたいと思っています。

(スライドとともに)