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2016年10月7日(金)第4,598回 例会

なぜ教育?-トランスナショナル教育について-

T I U , E u g e n i e 氏

2016~17年度米山奨学生 T I U , E u g e n i e 
(ティユ ユージーニー)

1991年9月生まれ。フィリピン・ケソン市出身。2009~’12年フィリピン・デ・ラ・サール大学教育学部で英語教育を学ぶ。’12年来日。同年7月~’15年3月吹田市のミラーイングリッシュアカデミーで英語教師のかたわら,’14年4月~’15年3月大阪大学人間科学部研究生。’15年4月~’16年3月大阪大学人間科学研究科博士前期課程。’16年4月から同大学人間科学修士課程2年に在学。2660地区米山記念奨学生として当クラブ受け入れ。’17年3月末まで。

 こんにちは皆さん。きょうはフィリピンの教育発展と私の研究を簡単に紹介させていただきます。

フィリピン教育の国際戦略

 1990年代初頭から,多くの国が国際化プロジェクトを始めました。日本では当時の中曽根首相によって始められた国際化プロジェクトに,2000年までに10万人の学生が参加しました。他の国が国際化を強力に進めてきたのに対し,フィリピンはようやく実施し始めたばかりです。

 2015年にブリティッシュ・カウンシルによって行われた研究を紹介したいと思います。「教育に関する国家的戦略」というグラフですが,国際戦略では,フィリピンの高等教育機関が,交換留学プログラム,国際研究合意,交換研究プログラム,ダブルディグリープログラムなどを行っていることを意味し,フィリピンはマレーシアと同様にいいスコアを得ました。

 しかし,課題も残っています。フィリピンでは他のアジア諸国と同様に,学生ビザや研究ビザの許可に厳しい制限があり,取得に長い時間がかかります。大学を卒業していない学生のビザは有効期限が最大59日であり,2ヵ月ごとに延長の手続きをしなければいけません。一方,タイはこの点で比較的容易です。

 まとめると,フィリピンは高等教育の国際化について国家戦略を持っていることと,自国の高等教育機関に自律性を与えている点では評価できます。しかし,さらなる国際化のためには,ビザ取得の方針や手続きについて再考する必要があります。

 私の専門分野は教育の国際化です。研究者の中には,国外で起こる国際化をCross-Border Education(CBE)と言う人もいます。CBEには3つのステージがあります。1つ目のステージは「学術の流動性」,2つ目のステージは「トランスナショナル教育」,3つ目のステージは「教育ハブ」と呼ばれます。

日本の海外キャンパスに注目

 私の研究では,2番目のトランスナショナル教育,すなわち海外の教育機関が他国に設置したブランチ・キャンパスを主に対象とし,3つの問題に焦点を当てています。

 1つ目は,トランスナショナル教育がどのようにして教育の平等性を確保することができるのか。2つ目は,日本において海外キャンパスが短期間で閉鎖するのはなぜか。3つ目は,フィリップ・アルトバックによる批評「Why Branch Campuses May be Unsustainable?」の検討です。

 私の研究目的は,日本における海外教育機関のブランチ・キャンパスの歴史的発展過程と,学生や教員がブランチ・キャンパスを選んだ動機を分析することです。これらによって海外キャンパスが学生にどのようなベネフィットを与えたかを分析したいと思います。

 私がこの研究対象に日本を選んだのは,海外ブランチ・キャンパスの導入は日本で最初に行われたからです。

 3つのリサーチ・クェスチョンがあります。

 まず,日本での海外キャンパスはどのように歴史的な発展をしてきたか。日本で最初の海外キャンパスを設置したのはアメリカのテンプル大学です。テンプル大学に続いて,36のアメリカの大学が日本に海外キャンパスを設置しました。開設の理由は6つあります。ここでは2つのポイントにまとめます。

 第1の理由は,日本の期待に基づいています。1980年代に地方政府は若い世代を農村地域に留めるため,海外キャンパスを誘致することを考えつきました。日本の学生にとって,海外キャンパスヘ行くほうが海外へ行くよりも簡単だと考えられたからです。

 第2の理由は,アメリカの期待に基づいています。1970年代は,日本は奇跡的な経済成長を遂げ,アメリカの投資家を引きつけました。1986年からサービスの貿易に関する一般協定が始まり,アメリカの政策立案者はアメリカの高等教育を有望な輸出品とみなし始めたのです。

 しかし,これらの海外キャンパスは5年以内に閉鎖してしまいました。その理由は次のようなものです。1.日本の大学と比べて授業料が高かった。2.海外キャンパスの本校が有名ではなかった。3.日本の学生の英語レベルが足りなかった。4.米国の大学文化と日本の習慣が合わなかった。5.その当時,日本での海外キャンパスは正式に認可されていなかったので,公式に卒業資格が得られなかった。そして,6つ目の理由は政治的不和でした。現在,日本には7つの海外キャンパスを残すのみです。

動機は海外勤務

 2つ目のリサーチ・クェスチョンは,学生や教員が海外キャンパスを選ぶ動機は何か。3つ目のリサーチ・クェスチョンは,海外キャンパスの長所は何か。

 両方の質問で,方法論はアンケートとインタビューです。私は今年の7月に東京のレークランド大学で,9月末にも東京のテンプル大学でデータを集めました。それぞれ40人の学生の回答と4人の教員にインタビューしました。まだデータの分析はしていませんが,私の印象として,学生が海外キャンパスを選ぶ理由の1つは,国際環境に慣れたい,2つ目は,将来海外で働きたい,からです。

 最後のリサーチ・クェスチョンが私の研究の主要部分になると思います。12月中旬までに修士論文を完成できるように,続けて頑張ります。ご清聴ありがとうございました。

(スライドとともに)