1953年生まれ。’73年和歌山県立陵雲高校卒業。会社員,飲食店経営を経て’91年より九度山町議会議員を約14年務める。’98年九度山町長選挙に立候補するも落選。2006年九度山町長選挙に再度挑戦し当選。現在3期目。
町長に就任したとき,町議を4期していたので,何でもやれるって自信がありました。ところが,町長って誰も仕事をつくってくれません。決裁欄に判をつくだけです。それさえしておけば町は回ります。「自分は町のために何をしたいのか」と考え,思いついたのが,日本画家の平山郁夫先生の奥さんに会いに行くことでした。奥さんのお父さんの里が九度山町で,子どものころからよく来てくれていました。平山先生宅を訪問し,文化観光大使の就任と町おこしのお手伝いをお願いしました。これが最初の仕事でした。
九度山町は奈良と大阪と和歌山の境目,和歌山の一番東にあります。難波からは電車で1時間ちょっと。人口は約4,600人,ちなみにイノシシの数は1万頭を超えます。
まず,その町を3つのゾーンに分けることにしました。九度山には,弘法大師のお母さんを祭った慈尊院,丹生官省符神社,高野山への道(町石道)の3つの世界遺産があり,そこを「世界遺産ゾーン」にします。
次は「まちなかゾーン」で,キーワードは真田。真田庵という小さな庵がありますが,そこだけではお客さんをとどめることはできないので,見るところを3つつくる構想を練りました。先ほど話しました平山先生の奥さんのお父さんが元衆議院議員の松山常次郎で,閉めた状態になっていた生家を記念館にしてもらいました。もう1つは,萱野家という江戸中期の書院造のお家に大石順教尼の作品がたくさんあり,改修して大石順教尼記念館としてオープンしました。大石順教尼は,明治時代の堀江事件で,両手を切られた方で,口で筆をくわえて描かれた絵や書の作品が残されています。
最後は「自然体験ゾーン」です。玉川峡という美しい渓谷で子どもたちと一緒に自然体験をしてもらいます。
真田をキーワードにしたので,当然,真田をNHKの大河ドラマに,という話が出てきます。6年前,長野県上田市の母袋市長と一緒に,選挙公約に「真田幸村をNHKの大河に」と掲げました。長野や和歌山など5つの県の真田に関係のある市町村が集まり,署名活動を始めました。目標数は六文銭にちなみ66万6,666人。壮大過ぎて苦労しました。
その後,1年かけて陳情を行いました。66万6,666人の署名を持って,市町村長10数名,県知事が2人,総勢30人ぐらいでNHKに陳情に行くわけです。随分迷惑がられましたが,7回行きました。
今でも覚えていますが,最後の陳情が2年半前の12月26日。そのときに「楽しみに待っていてください」という言葉が出ました。半年後,大河が「真田丸」に決定しました。
恐ろしいなと思ったのが,大河の効果です。大河が決まるよりも前に,道の駅をつくりました。人気があったのですが,大河が決まってからさらに人が集まり,毎週土日は道の駅からずっと車が渋滞して動かないほどです。
また,真田庵には小さい宝物館や真田昌幸のお墓があるのですが,もっと幸村を体感してもらえるように,真田ミュージアムをつくり,今年3月にオープンしました。平日で1,000人,土日で2,000人ぐらい入っています。ゴールデンウィークは1日2,700人,1時間半ぐらい並ばないと中へ入れない状況でした。
5月8日の真田まつりには草刈正雄さんを呼びました。人口4,600人の町に4万人ぐらい入ったと思います。人で埋め尽くされたという感じでした。
おもしろいのが町民の皆さんです。今までは猫とか犬しか歩いてないところに突然何千人という人が来ると,服が変わります。それまではステテコでも外に出られましたが,このごろは少しオシャレをしたりして,人が入ると町が元気になると改めて思いました。
10年前,観光に力を入れていこうというときに目標を掲げました。当時,九度山町への観光客は13万4,000人。それを「100万人にしよう」と言ったのです。隣の町の高野山へのお客さんが年間120万人。皆さんびっくりしたと思います。
それから6年かかって27万人まで増やしました。その2年後,ちょうど大河が決定する前に67万人,そして去年の秋の調査では100万人を超えました。最初は時間がかかりましたが,途中からのスピードはすごかったです。大河の力も当然ありますが,一番大事なのは戦略を組んでやってきたことだと思います
私は,日本一元気な町を目指すということを選挙公約にしています。元気の一番の源は自信です。やはり町民が自分の町に誇りと自信を持つことが元気につながっていくのです。
2006年,町に全くお金がないとき,職員が「収穫祭をやりたい」と言ってきました。九度山町の富有柿は全国的に有名で味は日本一です。その柿をメインとしたイベントをしたいと。そこで私は「やりましょう。でも,金ないよ」と言いました。それならば金のないやり方でやろうと,近隣の市町村のテントを借りてきて,舞台の準備から片づけまですべて,87人の全職員でやりました。2日間で2万人ぐらいお客さんが入り,ずいぶんと職員が自信をつけました。
金がなくても,「元気」と「知恵」さえ出せれば,しっかりと町が機能することがわかりました。この10年を振り返って,観光客が100万人になったとかはあまり気にしていません。「九度山」という名前が全国に出て,「くどやま」としっかり覚えてもらえたことが一番よかったと思っています。
(スライドとともに)