大阪ロータリークラブ

MENU

会員専用ページ

卓 話Speech

  1. Top
  2. 卓話

卓話一覧

2015年12月4日(金)第4,559回 例会

高野山開創1200年

飛 鷹  全 法 氏

高野山大学 企画課 課長心得/広報担当
高野山別格本山三宝院 副住職
飛 鷹  全 法 

東京大学法学部卒業。同大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程中退。専門は比較日本文化論,南方熊楠研究。大学院在学中,ITベンチャーの立ち上げに参画,ソフトウェアの開発に携わる。その後,(株)ジャパンスタイルを設立し,国際交流基金の事業で中央アジア・中東等で津軽三味線や沖縄音楽などの伝統芸能の舞台をプロデュース。2007年より経産省主催の海外富裕層誘客事業の検討委員。

 本日は「高野山開創1200年」のお話をさせていただきます。高野山がそもそも何で開かれたのかを考えたいと思います。その前提として,高野山は弘法大師空海という方が開かれました。お大師さん,お大師様と呼んでいますが,今日は親しみを込めて「空海さん」と呼ばせていただきます。774年から835年まで人としての人生を生きられた方です。数えだと62歳の人生です。

超人的な空海さん

 近代以降で空海さんを最も評価した方は誰か。恐らく,日本初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹です。「長い日本の歴史の中で空海は最も万能的な天才であった。世界的なスケールで見ても,アリストテレスとかレオナルド・ダ・ヴィンチよりもむしろ幅が広い。宗教・文芸・美術・学問・技術・社会事業の各方面にわたる活動を通観すると,超人的というほかない」。湯川の文章ですが,非常に評価をしていることがうかがえます。

 庶民に開かれた学校を最初につくり,日本人の文章をつくるための辞典も編集されました。「いろは歌」の「いろは」も実は空海作ではという説があります。こういったことを空海さんが62年の人生で成し遂げたのです。

 「弘法にも筆の誤り」とあるように,書の大家としても知られています。空海直筆といわれる「聾瞽指帰(ろうこしいき)」は国宝に指定されています。24歳で書かれたデビュー作です。仏教と儒教と道教,3つの宗教を比較しながら戯曲的に書かれた作品で,その中で自分自身が仏教を選び取るんだという,ある意味で出家宣言です。

 空海さんはそれから31歳で唐に渡るまでの7年間,歴史上から姿を消します。後年編集された書に修行の一端が書かれています。阿波にある太龍寺や室戸岬なんかで,真言を百万回唱えるという修業に入りました。

高野山は瞑想の場

 修行を続ける中で,空海さんは唐に行き,2年間で帰ってきます。遣唐使の船は4隻出て2隻沈みました。残った2隻が空海さんと最澄さんの船です。それぐらい当時の航海はリスクが高く,空海さんは無事に国に到達するように船の中で神様に祈りました。その文章も残っています。実はこの祈りが,高野山開創に非常に関わっているのです。

 空海さんは無事に日本に帰り,博多のほうに3~4年滞在しながら,当時の嵯峨天皇に認められるような状況をつくり,816年に高野山をいただくことが許可されます。空海さんは密教を日本に伝えるため,神様に修禅の道場を開くと誓いました。それを守るために高野山を開いたのです。

 修禅の道場とは何かというと,「瞑想」の場所です。最近,瞑想やマインドフルネスみたいなことが様々な領域で着目されています。グーグルのような情報化社会の最先端をいく企業がマインドフルネスのプログラムをいち早く開発しています。それが仏教的なものに基づいているかは別として,やはり東洋的な伝統の部分にそのヒントを多く負っていると聞いています。ですから,高野山という場が持つ,今日的な意味がますます重要になってくるのではないでしょうか。

 高野山は今年,たくさんの人でにぎわっています。本当にありがたいのですが,一方でそもそも空海さんがなぜ高野山を開いたのか,修禅の道場,瞑想の場であったということを,この1200年というタイミングで今一度考え直す必要があると思っています。

神道と仏教の共存

 最後に。高野山の一番中心にある伽藍の一番奥に鳥居と神社があるのです。空海さんが中国から帰るとき,願をかけてお祈りしたのは神様だったことを思い出してください。

 もともと高野山は,麓の丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)という神様の土地でした。その場所を嵯峨天皇から下賜されてから,空海さんはまず地元の神様をお参りされ,氏子の協力を得ました。神様の土地に全く違う密教の道場を開くのですから,ぶつかってしまう可能性もあります。空海さんは密教の道場の守り神として神様をお招きしたのです。

 われわれ高野山のお坊さんは,仏様を拝むのですが,実は同じぐらい神様も拝んでいます。高野山を守ってくださっている明神さんを非常に大事にして,お経の最後に唱える「南無大師遍照金剛」に続いて「南無大明神」というのが必ずセットになっています。

 まもなく年末です。除夜の鐘を打ちに行ったその足で初詣に行かれる方もいると思いますが,お寺なのか神社なのかどっちを信じているのか,いいかげんなのかと,特に一神教の方々から聞かれると,何と答えていいかわからないのが日本の場合あります。それはいいかげんなのではなく,空海が1200年前,伝統の神道と仏教を共存させる仕組みをつくったからなんだ,と言えると思うのです。

 実は高野山が世界遺産に指定されたとき,ユネスコはこう指摘しています。「神道と宗教,異なる伝統がそれぞれに共存,共栄して独自の文化を形成したことが世界的に見ても非常にユニークである」と。実際に海外の方をお迎えすると,皆様が一様に「ピースフル」と言うのです。外国人にとって,自分たちが疎外されずに許容されている,迎え入れられているという感覚だと思うのです。それは高野山の成り立ちですし,特質と思っています。

 駆け足になりましたが,空海さんがなさったこと,高野山が修禅の道場として開かれ,またそれが神と仏の調和によって成り立っている場所ということをお話しさせていただきました。

(スライドとともに)