1943年大阪生まれ。’67年大阪大学通信工学科卒業。’72年同大学大学院工学研究科博士課程を経,’73年同大学助手(工学博士),助教授,’89年教授。’98年基礎工学研究科科長・基礎工学部長。’03~’07年大阪大学15代総長。情報通信研究機構理事長など数々の要職を務め,’11年アジア太平洋研究所所長。研究分野:計算機械学・情報ネットワーク学。当クラブ入会’12年10月(千里RC在籍あり)。’15~’16年度会長ノミニー。PHF/米山功労者。
最近,インターネットの普及により,知的活動が支援されて生活が豊かになっているのか問われています。イエスと言いたいところですが,光の部分ばかりではなく,影の部分があると思います。インターネットは急速に普及し,2014年末で国内のおよそ1億人が何らかの形でインターネットを使っているということです。グーグルに代表される情報検索機能や,ワールドワイドウエブ(www)機能,そして携帯電話に付いている電子メール。これらの出現で生活が豊かになったのは確かですが,影の部分について見て,どのように解決していかなければならないかについても話をさせて頂きます。
まずは「インターネットって何やねん?」というところから始めます。世界中の高速の通信回線,それは光ファイバーによる地上及び海底の通信ケーブルで接続したネットワークです。最初の姿は,約40年前にアメリカ国防総省のもとで開発されました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校やスタンフォード研究所など,わずか4カ所にある計算機を接続したのが始まりです。冷戦時代にソ連からのミサイルを迎撃するため軌道予測をするには,1台のコンピュータでは処理能力が十分ではなく,複数のコンピュータを接続して処理能力を上げたらどうかということでした。
40年前に4台だったのが,’14年には約10億台を突破しました。’15年にはインターネットの利用者は世界中で30億人を突破しています。’14年の総務省の白書によると,わが国では利用者はもう1億人を超えている。その結果,普及率は82%ということです。
光の部分,最大のメリットはコンピュータ,スマートフォン,携帯電話,それらが常につながっていますので,世界中,いつでもどこでも誰とでも情報交換ができるということです。影の部分は,自分からつなぎにいかなくても,相手からつないでこられるというデメリットがあります。家の前に道路があれば,誰でも車で家の前まで来られて非常に便利です。皆さんの機器が道路のように前でつながっているということです。
グーグルの検索サービスに着目してみます。何でもコンピュータに聞くとすぐ答えが返ってくる百科事典というものになりました。聞いたらすぐに答えが返ってくるシステムがあり,「探すことに明け暮れる」という事態が起こっています。コンピュータの前に座り,仕事しているか,仕事しているふりをしている時間,それを「知的活動時間」ということにすると,その時間の30%はグーグル検索で何かを探しているという統計が出ています。さらに大きな問題は,疑問がある時にこれまでは両親や友達,同僚に聞くのが通常の手段でしたが,今ではおよそ75%の人がインターネットにすぐ聞いてしまう。
グーグル検索で質問をすると,極めて多くの答えが返ってきます。答えの順は,過去にその情報にアクセスされた回数,その情報に関連付けられた情報の数,つまり関連性の多い順に出力されてくるわけです。最初に何かの拍子で一番に出てきたものばかり見られることになります。上位にランキングされた氷山の一角だけ強調され,引っ張られていく。
電子メールもいろいろな危険性をはらんでいます。電子メールは対面のコミュニケーションではないので面と向かって言えないことが言えるようになるわけです。現在は小,中学生の6割から7割ぐらいが携帯電話を持っていて,電子メールの機能が付いています。携帯メールがいじめの原因になっているのではないかといわれており,私も全く同感です。
ネットワークは非常にたくさんの情報を蓄えることができます。氾濫している情報の中から本当に欲しい情報だけを選択してくれるシステムをつくったらいいという声があります。情報フィルタリング,パーソナル化と言いますが,趣味・嗜好に合った情報だけが出てくるようにすると,思わぬ情報や事実に出会うことがない。関係ないと思われる事実や情報によって啓発されることが多く,場合によってはそちらのほうの価値が大きいということもあり得るかと思います。知的活動には「ノイズ」が必要だということです。趣味・嗜好に合った情報だけじゃなく,それ以外の情報によって知的ジャンプというか,啓発されることがある。
将棋の羽生名人は「将棋の勉強で,インターネットは情報を取得する上で格段に効率化されたが,真に創造性を喚起するものではない。逆に阻害しているかもしれない」と言っています。情報検索の機能を上げることは,知的活動を阻害する方向に向かっているのではないかと,非常にきつい意味です。
コンピュータをどういうふうに使ったらいいか,キーボードはどうか,プログラムはどうかということを小学校から教えようという「コンピュータリテラシー」という言葉がありますが,私はそれよりも,コンピュータを使っていくときに影の部分があるということをきちっと頭に入れて,うまく使えばこれは本当にすばらしい道具だと思います。家の前に道路がなくて車が来なかったら住んでおられないのと同じで,光と影の部分とをちゃんと頭に入れてインターネットをうまく使っていっていただけたらと思います。
(スライドとともに)