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2015年1月23日(金)第4,518回 例会

日本発 国際災害医療支援

鵜 飼    卓 氏

災害人道医療支援会(HuMA)
海外リエゾン担当理事
鵜 飼    卓 

1938年横浜生まれ,’63年大阪大学医学部卒業,’72年関西労災病院重症治療部副部長,’80年大阪府立千里救急救命センター副所長,’93年大阪市立総合医療センター救命救急センター所長,’98年県立西宮病院院長。2002年災害人道医療支援会(HuMA)を設立し’11年まで初代理事長。’03年より県立西宮病院名誉院長,’04年阪神・淡路大震災復興10年検証会議委員,’05年JR福知山線事故検証委員,’14年より戦略的イノベーション開発研究プログラム委員。

 「日本人の手による国際人道医療支援」に長年関わってまいりました。

 1979年の9月の末にカンボジア難民問題が生じました。欧米からいち早く救援団体が難民キャンプに駆けつけたのですが,日本人の姿はありませんでした。日本政府は,後に国連難民高等弁務官になられた緒方貞子さんを団長とする調査団を派遣し,その報告によって日本政府として医療チーム派遣がふさわしいのではないかとなりました。

いっぱいの失敗の後に

 それはJMTと呼ばれ,1979年の年末から3カ月交代で延べ469名がタイ,カンボジア国境近くの難民キャンプに派遣されました。諸外国のチームに比べて遅れをとり,なかなか人材が集まりませんでした。初めての経験でしたので,いっぱい失敗しました。難民キャンプで使うには不適切な医療資機材を持っていったり,不適切な技術を使おうと試みたりしました。参加したボランティアが帰国後元の職場に戻れない,要するにクビになってしまうという事態も生じました。

私は1980年の3月から6カ月間,このJMTに参加し,本当に「目から鱗」の思いで帰国した後,仲間とともに外務省に働きかけ,厚生省,労働省,文部省,そして日本救急医学会などを巻き込んで,「日本国際救急医療チーム(JMTDR)」という団体を立ち上げました。1982年に日本政府が責任を持って行う半官半民組織として発足しました。メンバーはボランティアで,現在約929名が登録されています。登録者は,事前に上司の承諾を得てから参加することを条件づけ,失職するようなことがないようにという配慮です。

 第1回出動は,旱ばつのエチオピアで,私が団長を仰せつかりました。8名のチームをつくるのにも一苦労しました。出動のタイミングが非常に早かったので,被災民のキャンプを設営しているさなかに到着しました。出動回数はもう60回を超え,その都度新しい学びがあり,経験を蓄積しました。

 メキシコとコロンビアの災害出動を経験し,レスキューとか復旧対策などについても支援できるようにと,1987年に「国際緊急援助隊の派遣に関する法律(JDR法)」が定められました。自衛隊を平和維持活動に限って海外派遣できるようにと「国際平和協力法(PKO法)」もできました。JMTDRは法律によって保護されるという面があったわけですが,逆に法律の縛りのために活動が制限される事態も生じました。

整ってきた態勢

 私の活動で大きな節目の一つが2003年12月にイランのバムという町で発生した大地震でした。ウクライナとかヨルダンとか,決して先進国とは言えない国々からの医療チームが軍と協力して素早くやってきまして,立派な野戦病院を展開しました。JMTDRの装備は明らかに見劣りしました。当時の福田康夫官房長官,川口外務大臣に「ウクライナやヨルダンチームにひけをとった。ぜひJMTDRに政府専用機を使わせていただきたい。医療チームのあり方を考え直す時期である」と直訴しました。そのことが契機になり,チームの大型化や診療機能の拡充,チャーター機による迅速な出動等の態勢が整ってきました。

 国際災害救援医療に,今いくつかの問題があります。外傷患者救命には間に合わないというような現実,目立つ所で活動したいという団体のエゴ,不適切な医療技術,安全の問題などです。災害が起これば,何でもかんでも飛び出していくという時代ではなくなりました。

NGOの利点

 法律制定に伴う活動の制約という事柄を受けまして,JMTDRを中心にしてNGOをつくりました。「災害人道医療支援会(HuMA=ヒューマ)」です。JMTDRと大きくは変わりませんが,より柔軟に活動できるようにという方針です。2002年に発足し,2003年のヨルダンへの難民救援医療に始まって,ほぼ毎年どこかの被災地に医療チームを送り,会員数は約500名です。

 2004年12月に発生したインド洋津波災害ではJMTDRが派遣され,2次隊までで撤収しましたが,HuMAが引き受けました。政府派遣の後を民間が引き継ぐというような形で診療活動を続けました。2008年にミャンマーを襲った大型サイクロンナルギスという災害に対する活動では,当時の軍事政権は外国人が被災地に入ることを厳しく制限していました。私どもはすぐに被災地に入ることが許されませんでしたが,約1カ月たって「壊れた医療施設の再建をしてくれないか」という話が入ってきました。現地調査をして「村人が一番困っているのは飲み水の問題だ」ということが分かり,保健施設の再建とともに井戸掘りを援助しました。一昨年11月にフィリピンのレイテ島を襲ったスーパー台風ハイアンの災害は,クリスマスシーズンに重なりました。フィリピンの人々にとっては一番の楽しい時ですが,被災した人々はそれどころではありません。地元の保健師さんの発案で,巡回診療に行く村でクリスマスパーティーをしました。柔軟な対応ができるというのが,NGOの大きな利点です。

 日本人のきめ細かい支援の仕方が,これまで世界の各国で喜んで受け入れられております。お金の支援だけではない,また物だけでもない,温かみのある人と人とのつながりを大事にした活動をこれからも続けたいと思います。

(スライドとともに)