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2014年8月29日(金)第4,499回 例会

物理の時間と生命の時間

橋 元  淳一郎 氏

相愛大学
人文学部長
橋 元  淳一郎 

1947年大阪生まれ。’71年京都大 学物理学科修士。’93年相愛大学講師,教授を 経て,学部長。著書に『時間はどこで生まれるか』 等多数。

 「時間」に関する本を書き,かなり売れたのですが,読者の何割かは「効率よく時間を使うにはどうしたらいいか」というハウツー本と考えて購入したようです。実は,そういうこととは全く関係がありません。

 私は物理学を学んできたのですが,物理学には「時間が刻々と流れている」ことを証明する法則は何もない。時間は流れていない。過去も未来も同じで,現在という瞬間はないのです。

 にもかかわらず,一種の錯覚かもしれませんが,少なくとも自分自身の中では時間は流れている。常に現在に自分がいて,過去があり,未来がある。そういう時間がある,ということを知っています。これはなぜだろう,という疑問に取りつかれ,時間の研究をやっています。

物理学における時間

 時間は目に見えない,だから時間は不思議なものだ,それ以外のものは時間に比べれば不思議でも何でもない,と思いがちです。

 では,虹は見えるが,どこにあるのか。虹のある場所に行ってみれば,何もない。水蒸気の塊がふわっとあるだけです。

 われわれは視覚,聴覚など五感を持っています。時計は誰かが大昔に発明したのでしょうが,その前から腹時計とか,最近では体内時計という生物時計があります。細胞の中に「時計遺伝子」があって,それが時間を計っていることが明らかになってきています。時計なしに,あるいは太陽の動きなしに時間を知ることはできないが,何か自分の心の中で感じるのが時間なのです。それを振り子,太陽の動きなどで計っている。これが物理学です。

 われわれは「時間」は不思議だけど,「空間」は全然不思議じゃないと思っています。しかし,私は時間よりも空間の方が不思議だという感覚を持っています。

 アインシュタインの相対性理論では,時間と空間が,われわれがいる「宇宙」の枠組みとして分かちがたく結びついている。空間は3次元,時間は1 次元しかないが,われわれは4 次元の時空にいる。基本的に時間も空間も同じものだが,ただ一点違うのは,時間は「実数」,1,2,3,4 と計れる数です。それに対し空間は「虚数」です。虚数は「i」という記号で書かれていて,2 乗すると「- 1 」になるという奇妙な数です。

 だから,実数である時間は自分の感覚として分かるが,空間,虚数は知り得ない。

 「そんなこと言ったって,そこに物はあるじゃないか」「空間は見えるじゃないか」とおっしゃるかもしれませんが,見えている空間は,光が飛んでくる時間がかかっている。この瞬間に皆さんの目に映っている私は,この瞬間の私だと思われるかもしれませんが,非常に短い時間ですが光が飛んでくる時間がかかって皆さんの網膜に当たっているので,過去の私を見ておられる。私も皆さんの過去を見ている。現在のお互いを見ることができないのが空間なのです。これは虚数です。

 相対性理論では,空間で成立することは時間においても成立する。粒子は空間を右や左に動く。時間についても,過去から未来へ動く粒子があり,未来から過去へ動いていく粒子もある。「反粒子」です。

 時間に過去と未来の区別はなく,流れもない。そうすると,われわれが感じている時間の流れはどこから来ているんだ,ということになります。

エントロピー増大の法則

 物理学で唯一,時間に対して対称的でないのが「エントロピー増大の法則」です。皆さんの部屋はきれいに片づいていると思いますが,私の書斎はすぐにきたなくなる。本をきれいに並べておいても,ぐちゃぐちゃになります。

 それは自然法則です。すべてのものは放っておくと,ぐちゃぐちゃになっていく。覆水盆に返らず。時間反転が不可能なのです。

 生命は「もろい秩序」です。ぐちゃぐちゃになった湯沸かし器の中のお湯みたいなものには生命がない。ダイヤモンドは結晶構造が非常に硬く,熱湯の中に放り込んでもびくともしない「硬い秩序」で,これも生命ではない。

 エントロピー増大という嵐に必死で逆らうのが生命だが,その努力もむなしく,死は避けられない。なぜ死ぬかというと,エントロピー増大の法則に負けてしまい,無秩序へと行くからです。

 私はそこに秘密があると思う。エントロピー増大の嵐は天敵みたいなものだが,その嵐と戦うところに主体的な意志が生まれてくるのではなかろうか。

 未来から過去に流れていく世界では,エントロピーが減少していく。ぐちゃぐちゃだったものが,秩序立ったものになっていく,ひとりでに秩序が生まれるような宇宙では「主体的意志」,生きようとする,秩序を保とうとする意志が生まれる必然性は何もない。

 われわれが生きている証は,エントロピーと戦って秩序を保っていることです。だから,われわれは「過去から未来」しか知らないのではないか。

有はみな時なり

 光の速さで進むと,時間は止まるから,宇宙の始まり(ビッグバン)のときに生まれて現在ここに飛んでいる光があったとしたら,その光にとってビッグバンは今この瞬間に起こっていることです。何億年,何兆年と言っても,それは一瞬の出来事かもしれない,ということを物理学が明らかにした。

 「いはゆる有時は,時すでにこれ有なり,有はみな時なり」という道元の言葉がありますが,結局,この辺に行き着きます。「すべては時間である」ということを言っています。

 なかなか道元の考えには至りませんが,相対性理論も何もかもここに行き着くのではないかな,と思います。

(スライドとともに)