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2014年6月13日(金)第4,489回 例会

「もてなす」ということ

千    宗 室 氏

裏千家
16 代家元
千    宗 室 

京都府出身。同志社大学卒業。2002年裏千家16代家元継承。(社)京都青年会議所理事長,(社)日本青年会議所近畿地区協議会会長等を歴任。現在,(公財)京都文化交流コンベンションビューロー副理事長,(公財)稲盛財団理事,京都造形芸術大学教授,同志社大学客員教授。(公社)日本心理学会会員,日本心理学会認定心理士。京都RC会員(茶道)

 以前,私は内閣府のクールジャパン推進会議の委員を務め,安倍総理の思いを受けて様々なことを話し合いました。これに触れれば日本がわかるというもののメインに押し出すことになったのは「清酒」と,もう一つは「スイーツ」でした。「清酒」はわかりますが,「スイーツ」というのがもうひとつようわかりませんでした。でも,今日こちらでいただいたデザートは,確かに日本人の非常に研ぎ澄まされた感性を感じました。上に細い,薄いチョコレートがかかっていましたね。水滴というか,露がかかっていたのをご覧になったでしょうか。外国では露を打つとか,そういう細かい配慮を私は経験したことがありません。今親しくしているイタリアンの料理人は,料理をつくるとき,最初に絵を描くことから始めると言います。こういうぐあいに盛りつけたいという絵を描いて,きれいだなと思ったら料理をつくっていく。自分の楽しみがゲストの喜びになるように考えることが,彼にとっても何よりの幸福感を生み出しているわけです。

ホストとゲストの上手な絡み

 最近では,このホストとゲストの間の上手な絡みが欠けはじめているように思えてなりません。料理人がアーティストになっている,わかる人がわかってくれればいい。お寿司をイメージしてみてください。「これは塩で食べてください」と,「……しなさい」と言う料理人,板場の人が出てまいりました。「塩が合うと思いますが,よろしければこれでお召し上がりください」という言い方が本来だと思います。これはホストとゲストの間が一方通行になっている。ゲストの都合は関係なく,ホストの思いだけで走ってしまいます。

 私の家の茶懐石を担当しているのは「辻留」という料理屋で,曽祖父の時代から決まっています。例えば辻留のこの6月1日のお料理は,少し気の利いた料理屋ですと当たり前のように鮎の塩焼きが出ますが,辻留では出ません。私は稚鮎好きで,一度聞いたことがあります。「よそでは稚鮎出てるけど,出さないの?」。「保津川ではまだ解禁でございませんから」と今の辻留が言いました。このときに「ああ,いいこと聞いたなぁ」と思ったのは,今の辻留のお父さんから聞いたことを思い出したからです。私が小さい頃「ごっつお(ご馳走)いうのは,一里四方のもので賄ったらよろしいんでっせ」と,そう言っていました。京都の一里四方というと海に届きません。海の魚が食べられないから,逆に京都の場合は昆布〆のように,絞めてきたものをもういっぺん細工して出す。ご馳走の「馳」という字は馳せるという字で,馳せるというのは,自分が汗をかいて動いて手の届く範囲ということでしょう。ほかの地域で鮎が解禁になっていても,一里四方の鮎は解禁になっていない。だから,まだ解禁になってないので使わないということでしょうか。

手の届く範囲で

 前倒しになってきたことを否定しているわけではありません。一つの楽しみとして「先のモノをいただくことを幸せだな」と思って召し上がったらそれでいいわけです。でもご馳走という本来の意味は,手の届く範囲,足の動かせる範囲,一汗かく中での支度ということです。その心がけが私は「おもてなし」の本来じゃないかと。

 茶の湯はもてなしの文化だと言われてサービス業のように思われているかもしれないけれど,サービスとは少し違います。茶の湯の場合は,相手が考えてくれたことに対して,わかろうとする心の努力をお互いに持つところにかかっているのです。ゲストはもてなされるばかりでなく,ホストの心がけに対して,ゲストのもてなしの心を持って接する。あなたがこれだけもてなしてくださること,あなたの立場を私は客としてもてなしますという,そのもてなすという気持ちのキャッチボールがあって初めて成り立つわけです。

「思い出をもって帰っていただく」

 来る人に対して,「何でもどうぞ好きなようにしてください」というのはもてなしではありません。「もてなし」というのは「思い出を持って帰っていただく」こと。私は,たくさんの海外からのお客様を接待させていただきます。ケネディ大使だとか,いろんな方がお見えになります。そのときに,「茶の湯の精神はどうのこうの」と短い時間に茶の湯を全部体験していただこうとしても,相手は絶対に覚えていません。逆に,堅苦しい時間を過ごしたなぐらいにしか思われない。私は,ゲストの顔ぶれに合わせて,どういうお茶を体験していただくかを決めます。ケネディさんのときはお子さんがご一緒でしたから,家で何百年も使っているお茶を挽くための石臼で子供たちにお茶の葉を挽かせてあげて,お父さん,お母さんにお茶を点てて差し上げました。もてなすということは相手が思い出を持っていただけるようなこと,そんなふうに外国からのお客様の場合は考えています。

 東京オリンピックが成功するかどうかは私にはわかりませんが,もてなしの根本は,まず手の届く範囲でできることで相手に接すれば,その接する方の本質が,しっかりと捉えやすくなると思います。大仕掛けをすればするほど,肩書きで身の回りを固めれば固めるほど,人間同士は心と心のつき合いができなくなります。ぜひともそういうあたりに思いを馳せていただいて,これからもいろいろ地域社会でご活躍いただきますようお願い申し上げます。