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2014年4月25日(金)第4,483回 例会

Big Heart Project「東日本大震災で被災された
発達障がい児親子キャンプ」

鍛治田  千 文 氏

大阪YMCA国際専門学校 副校長 鍛治田  千 文 

大阪生まれ。学生時代,YMCAキャンプリーダーとして活動しYMCAに入職。2001年発達障がい児対象のサポートクラスディレクター,’05年多様な不登校を対象にした大阪YMCA国際専門学校・高等課程「表現・コミュニケーション学科」を設立。’12年同校副校長。特別支援教育士。

 全国のYMCAは東北のYMCAを拠点に様々な活動を行ってきました。震災時,仙台のYMCAの専門学校は,近くのホテルで謝恩会の途中でした。仙台のYMCAは避難所になり,振袖の卒業生たちも野外活動用の寝袋で1週間過ごしました。カフェ用のレトルトカレーを1週間食べたそうです。東京の日本YMCA同盟を通して,全国のYMCAからたくさんの人たちが被災地支援に行きました。大阪からも常駐スタッフを短期,中期で送り出しました。YMCAの支援活動は大きく分けて3つのポイントがありました。1つは地元の方々と行うこと。2つ目は被災地のYMCAを拠点にして全国や世界のYMCAの力を集めて行ったこと。3つ目は,それらのYMCAの協働により被災地の復興活動を支援できるリーダーを育成すること。これらは今も続いています。

避難所にいられず車中泊のケースも

 避難所ではいろいろなことがありますが,中でも発達障害の子どもたちが避難所で嫌がられている,避難所にもいられなくて車の中で寝泊まりをしているという話を聞いた時には,胸が痛くなりました。パニックになって大声を出したり,避難所でウロウロしたり,そんなことが容易に想像できました。子どもの不安,それをとめようとしている親。避難所の人にしたら「もうこの子どうにかして」という思い。突き上がってくる思いがいっぱいで「私たちにできることは何か」と考えさせられ,キャンプの企画書を書きました。

 YMCAは約20年前から発達障害の子どもたちをサポートし,私は2001年からそのクラスを担当しています。小中学校の頃,クラスの1人か2人,ちょっと変わった子がいませんでしたか。勉強はできるけど,友達づき合いが苦手。大人になると頑固で融通がきかず,人の意見を全然聞かず整理整頓ができなくて,そういう方はひょっとしたら発達障害の傾向があるかもしれません。

 キャンプは,三菱商事からYMCA同盟に寄付をいただき,2年目まではそれで行いました。3年目はそれまでの参加者の感想をあちこちで話したら「そら絶対やらなあかんで。応援するから」とファンドレイジング委員会を立ち上げてくれて,助成金も申請し,寄付も目標の300万円が集まって実施できました。

 対象は5歳から20歳の発達障害の子どもたち,その兄弟姉妹,そして保護者です。夏に六甲に来てもらったのですが,特に1日目の夜の「グリーフワーク」。なくしたものに対して癒される時間,親たちが同じ悩みを持って吐き出せる時間――どうしてもこの時間を入れたくて,専門家に入ってもらい「グリーフケア」の時間を設定しました。

本当に安心できる空間で子どもは変化

 この集合写真の一番前の真ん中の男の子は,髪の毛がないんです,自分で抜いてしまう抜毛症です。この子はいつも帽子をかぶっていましたが,この写真の時には脱いでいたんです。保護者に「この写真を冊子に載せていいですか」と尋ねると「この子が人前で帽子を脱いだのは初めて。家族にとっては記念すべき写真です。本当に安心できる空間だったことに感謝しています。どうぞ使って下さい」と言ってくれました。

 この子が帽子を脱ぐと,2つ横のA君が聞くんです。「何で髪の毛がないの?」。そのストレートさに周りはドキッとしました。この子は「自分で抜く」と言います。その隣の男の子は「痛くないの?」と聞くんです。いじめではなくて大切な友達の頭のこと,髪の毛のことを心配しているのが伝わってきて,逆にホッとするような空間になりました。そのA君ですが,学力的には高いのですが,他の人と一緒に行動できない。でもこのキャンプでお父さんは,他の人と一緒に行動している自分の息子を初めて見たんです。

 最後の日に,ある男の子の機嫌がだんだん悪くなっていきました。「どうしたのかな?」と聞くと,「離れるのが寂しい」と言うんです。とうとう最後の活動の時に出て行ってしまい,リーダーが追いかけると「リーダーは僕らのことをキャンプが終わったら忘れるんやろう」。リーダーが「じゃ,君はリーダーのこと忘れるの?」と言うと,大きく首を振って「忘れない」と号泣したそうです。

悩みや課題の共有で保護者も癒される

 そして,1年目,2年目の時はとても言えなかったけど,3年たったからやっと語れることがあると,涙ながらに話してくれた人もいます。「津波が後ろに来るのを必死で逃げ,高台に逃げ,手が血だらけだったのに気がつくのが次の日だった」「必死で高台に逃げて,気がつくと子どもがパニックになっている。周りの人に,『この子を静かにさせられなかったら出て行ってくれ』と言われた。地震,津波のショックがある中で,自分の子どもにもまた心を配らないといけない」。保護者の方たちはそういうしんどさを話していました。それぞれが話すことによって癒され,また,田舎で特別支援教育の情報が大変少ないということで,それを話すことで皆さんの乾いた心が潤っていくのを感じました。

 3年間続けてきました。これからどうしたらいいかということを考えて,今年は仙台にキャンプに行き,親のグループを立ち上げたいと思っています。同じ悩みや課題を抱えている親同士が話すことで癒されていく,また進路のことなどの情報交換ができる場をつくろうということで,今仙台YMCAと進めています。私たちはずっと支援していきますので,皆様にもお支えいただければと思います。

(スライドとともに)