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2014年4月18日(金)第4,482回 例会

「しんがり」の思想

鷲 田  清 一 氏

大谷大学 文学部
教授
鷲 田  清 一 

1949年京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。関西大学教授,大阪大学大学院文学研究科長・文学部長,大阪大学理事・副学長を経て2007年8月から’11年8 月まで第16代大阪大学総長。’11年9 月から現職。’13年4 月からせんだいメディアテーク館長。

 リーダー論がはやる時代は極めて危うい時代だと思います。ビジネス関係の本ではたくさん出ていますが,本を読んで忠実にトレースする人ほどリーダーにふさわしくない。リーダーは,誰もまだ見たことがないような風景を他に先んじて見て「こっちに行こう」という人ですから,本を読んでそのとおりやる人は,リーダーには絶対あってはならない。また,リーダーを待望するほうが「リーダー」,「リーダー」と言う場合,「大事なことを誰かやってくれないか」とお任せ民主主義が進むわけで,これもいいことではありません。この春すごくショックを受けたことがあります。大谷大学の私が所属している哲学科では,正規社員として就職したのが卒業生の2 割でした。全部はじかれて,「自分はこの社会から必要とされていないのではないか」という思いでこれからの1 年,2 年若い人が送っていくのだろうかと思うと,何か恐ろしい気がします。もう1 つは,昨年から仙台を中心に東北に毎月出かけていますが,復興事業があまりにも遅れ,震災前から東北地方が抱えていた過疎化の問題が震災後急速に速度を上げていることがあります。ただ東北の過疎化は,日本の未来の縮図であり,いずれ全国でそういう形になっていく。そんな中で私たちは,この社会の縮小ということに嫌でも直面せざるを得ません。

経世済民

 私のように経済学に疎い人間でもわかるのは,今の経済活動,経済行為は経済の軌道から外れてきていることです。経済とか経済学という言葉は今でこそ「Economy」,「Economics」と言いますが,19世紀までは経済,経済学は「Political Economy」と言い,それを明治時代に日本では「経済」と訳したわけです。そのこころは「経世済民」です。経世は世を治めることでpolitical に当たる部分。済民は民を救うことで,これがEconomy。もともとeconomyは家計のやりくりという意味で,そこから,人々が飢えないように,ということです。

 今の企業は熾烈な戦いの中でコスト削減をしないと勝ち抜けないため,正規社員としての就職口が減るなどいろいろな問題が出て,民を飢えさせない,民がすべて働けるような仕組みをつくる,国に必要なものは何かを考えて起業するという,本来の経世済民の道とは別のモチベーションで,別の軌道を経済活動,企業活動が進み出しているのではないかと危惧しています。もう1 つ,40代ぐらいの人たちまで,社会のいろいろなところでリーダーをやる世代の人たちは,青年期に右肩上がりの時代しか経験していないので,将来のことを心配しない世代なんです。50年先,100年先のことを憂える,そういうマインドを私たちは失っていないか,と思うことがあります。

「しんがり」の思想

 人口の絶対数が減少し,社会が縮小していくということは,この国の活動,あるいは国家の施策の中で優先度を決めなければならない。財政規模が小さくなっても絶対やらないといけないこと,むしろ拡大しないといけないこと,そういう「優先度」をつくっていく。そのとき政治家に必要なことは,セーフティーネットをつくること。事業や産業を縮小すると,働き口がなくなるので必ず血が出ます。セーフティーネットをきちっとつくることが必要です。もう1 つは,「我慢の説得」です。将来はこういうことが予想されるので,ここはひとつ辛抱してもらわないといけないという我慢を説得する。国家100年の計というフィロソフィーを背後に,ひとつ頼むという形で説得することが必要になります。それを私は「しんがりのマインド」と名づけています。

 社会の縮小は一種の退却線みたいなもので,リーダーたるものは,高度成長の時は「俺についてこい」と皆を引っ張るものですが,右肩下がりの時には,一番強い人が最後尾で一番敵の近くにいて「味方が安全なところまで退却したことを見届けて,最後に自分も退却する」というタイプです。市民も,一人ひとりがしんがり的な目を持ち,集団の中で誰かにしわ寄せが集中していないか,逆にリーダーが一生懸命やり過ぎるがゆえに視野が狭くなっていないかとか,後ろから全体を見ることが必要で,市民がそういうマインドを持っている社会が成熟社会ではないかと思います。

リーダー候補の若者は両極分解

 いずれリーダーになってもらわないと困る,そういう30代ぐらいの人たちやもっと若い人を見ていて,すごい力と意志を持っている人が今の社会の中で「両極分解」しているように思います。1 つは,もう日本という意識を持たない,グローバルな場で活動する人たち。東京の受験校なんかで高校を卒業したらハーバードに行くとか,そういうタイプの人が増えています。もう一方は逆で,地方に入ってグローバル経済の制御不能な動きに巻き込まれず,自分たちである程度制御可能な適正サイズで一種の循環型のネットワークをベースに新しい社会設計をしようとする人たち。両極分解していくことは,決して危機ではなくて希望だと思います。2 つに共通している,自分たちの活動のコンテクストを自分で編んでいくという強い意志があるからです。大阪大学で,私は卒業式で「『こんなときにあいつがいてくれたらな』と,陰で誰かに言ってもらえるような人になってください」と言い続けました。2 つのタイプの若者たちが,まさに頼りになるタイプの人たちではないかと思います。大学も,企業も,地域も,こういうタイプの若い人がいたら皆で支援していただきたいし,私も支援していこうと思います。