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2012年9月28日(金)第4,411回 例会

“モノ”から“ヒト”へ:シミュレーション学のすすめ

佐 藤  哲 也 氏

兵庫県立大学大学院
シミュレーション学研究科長
佐 藤  哲 也 

1939年神戸市生まれ。京都大学卒業,東京大学助教授,広島大学教授,海洋研究開発機構地球シミュレーター長などを歴任。2011年,兵庫県立大学にシミュレーション学研究科を設立。

 4年前の2008年9月15日にアメリカでリーマンショックが起こったころ,私に兵庫県立大学に新しい研究科をつくってくれないかという話がありました。私は相当悩みました。リーマンショックによって先進国の経済,社会そのものが崩れるのではないか。そんなときに地球シミュレーターでやっていたような最先端を研究する人間を育てても,ほとんど就職の行き先がないのではと考えたからです。ただコンピューターは単にモノの性能,機能を新しくするだけではだめだろう。人間(ヒト)が生きがい,働きがい,住みがいを持てるような社会システムをつくるためにコンピューターを使おうではないか。どこでも誰でもが買えるようなコンピューターを使って,ヒトの新しいシステムをつくる。そういうシミュレーション学研究科をつくろうと考えました。だから「科学」ではなく「学」と言っている。それはヒトが中心だということです。例えば過疎地でモノをつくる手仕事,あるいは漁業,農業でもいい。安心安全な野菜やお米を自分で楽しく育て,若者でもそこに楽しさを持つような職を見つけて,それで経済的にやっていけるシステムを考える学生たちを育てよう。それがシミュレーション学研究科のわれわれが目指しているところで,きょうの題目「“モノ”から“ヒト”へ」であります。

文明の歴史を振り返る

 シミュレーション学研究科の研究活動は近視眼的になってはいけない。そこで,人間が今あるところを歴史的に振り返ってみようと考えました。文明ができたのは5000年ぐらい前としましょう。この5000年前の歴史を見てみますと,人間は600万年前から営々として地球の営み,自然の営みを観察している。大きな川で氾濫が起こると人間の生命を脅かしますが,一方で肥沃な土が上流から流れてくる。当時5000年前には肥料が何であるかは知りませんから,そこから食べ物が出てくることから,そこに定着すればいいだろうという形で農耕社会が発展してきた。そこに初めて知性そして文明ができた。文明とは自然をよく観察して,それをうまく利用していった。これが人間の知性をより大きくしていく一つのきっかけです。

人間の欲望には限界がある

 最後の自然の法則を見出したのが1925年から29年。量子力学,シュレーディンガー方程式をもって,宇宙を支配している法則が大体わかった。そこで人間の感性,野生的な権力欲,知識欲が時代,時代に応じて人間の中で育っていった。そして熱力学の結果として蒸気機関がイギリスで発明され,人間の生活に変化が起こった。人力,馬力でものを動かしていた時代は物事の進みぐあいもゆったりしていたが,蒸気機関車もでき,人間の世界が機械に支配される時代になる。そうすると,資本を持っている者がモノを機械的に大量にこしらえる工場をつくり,資本のない人間が賃金労働者として働く,資本主義的社会が出来上がっていった。それによって,いろんな人間の生きがいができた。

 日本で言うと,昭和の三種の神器,洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビ,そのうちにカラーテレビだとか自動車といった形で,人間の生活上のゆとりが出てきた。右上がりの時代だった。そこに終止符を打ったのが日本が経験したバブル崩壊で,いろんなものがだぶついて,つくってもなかなか売れない。いろんな機能を付けて,何とか宣伝をして売ろうとするが,人間の欲望には限界があることを知った。どこかでわかっているけれども,それを見込んだうえで,どういう経済社会にしていくかを忘れていたのではないか。バブル崩壊後に出たIT産業も,人間の知識欲の限界に気がつかなかった。リーマンショックの悪いところを見つけても,あっという間にいろんなところに波及してしまうから,次の因果関係を調べたってどうにもならない。解決の方策がないのです。

身近なところにシステムをつくる

 では,どうすればいいか。器(システム)は空の間は幾らでも吸収する。つくったら幾らでも売れる。でも満杯になれば,つくっても売れない。それどころか,無理につくっていけば器(システム)はつぶれてしまう。これは一つの道理だと思うのです。民主党は3年前に,巨大化した社会の改革を期待されたけれども結局だめだった。これは当然の道理です。巨大化して,いろいろ絡み合って動いているものは政治家といえども動かせない。人間はもともと保守的ですから,それを変えるのは失敗したわけです。そこで,例えば村だとか町だとか,身近なところの食料や漁業,医療・看護の問題など,まだ住民との間の対話ができる小さなところから1つずつ新しいものをつくっていこう。本当に身近な人間が働いている場所に生きがいがあり,働きがいがあり,暮らしがいがあるようなシステムをつくっていくことが大事ではないか。

 シミュレーション学研究科では,今23人いる2年生が,「情報化社会におけるゆとりある生き方の提言」,「瀬戸内海地域活性化に向けての交通システム」などのテーマで研究をしています。小さなところを選び,フィールドワークに行ってデータを集めてきて,複雑な非線形のものはコンピューターにかける。こういうときはこうなる,ああいうときはああなる。その中からどれをとれば生きがいがあるのかを提言をしていく。この学問に正解はありません。時々刻々変わります。シミュレーション科学ならば,何か現象があったら,その正しい答えを見つける。でも社会にはそういうものはない。常にモデルを変え,条件を変え,住民と一緒になって議論しながらやっていくことによって,初めて何らかの生きがいに向かっていく。理系の学生も,文系の学生も喜んでやってくれているので,少しは手応えを感じているところです。