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2012年9月14日(金)第4,409回 例会

靡き八丁 斧入れずの心

宮 城  泰 年 氏

本山修験宗 聖護院門跡
門主
宮 城  泰 年 

1931年生まれ。龍谷大学卒業後,夕刊紙「新関西」に入社。その後聖護院に帰山。2007年に門主就任。龍谷大客員教授ほか京都仏教会常務理事など要職に就く。

 きょうは「靡(なび)き八丁 斧入れずの心」という大変わかりにくい表題のお話をさせていただきますが,しばらくお耳を汚させていただきます。

 私が生まれた聖護院は京都の山伏の総本山です。山伏というのは別名修験者と申します。その修験者が行う修行の道が修験道でございます。現在仏教の範疇に入っておりますが,日本で生まれたオリジナルの宗教が,山岳信仰を基本にしている修験道であると考えております。仏教が渡来する以前,日本には神の世界があった。私たちの先祖は亡くなりますと,その魂は浄化されて山に住み着く。山は神々の世界です。そこから流れ出る水は,神々が里に住んでいる私たちに恵んでくださる水であって,神の恵みの水をいただいて私たちは生きている。ですから,山を非常に畏れ尊んだわけなんです。

大峰山で修験道

 そうした山に6世紀,7世紀ぐらいになりますと,人々が山の神に会いまみえようとして入ってまいります。その中の代表的な一人に「役行者(634~701)別名役小角(おづぬ)」がおられました。奈良生まれのこの役行者が山に入って,近畿地方では大峰山とか葛城山を開いたという伝説がございます。修験道の修行を大峰山に限って申し上げますと,5月3日に山上ヶ岳の本堂の扉が開く(戸開け式),このときから山に登るわけです。大峰山は1,719mですが,1,700mぐらいのところに「西の覗き」というのがございます。そこに初めて行きました者は,突き出されるんです。背中にたすき掛けのようにロープをかけ両足を持って,120mか130mほどの一直線に切り立った岩の上から谷へ突き出されます。これを経験された方もいらっしゃると思います。

 私は26歳で新聞記者を辞めた翌日,8㎜カメラを持ち修行についていったのはいいのですが,足が前に進まなくなり音を上げてしまいました。朝,宿坊を出るときから夕方山小屋に着くまでゆっくりした同じ調子の修験の歩き方を学び直そうと,毎朝起きたら大文字山に登り,それから聖護院で執務するということを1年続けました。おかげで翌年は楽に歩け,自信をつけました。大峰に参りますと,「大宿(おおじゅく)」と申しまして50人ほど引き連れるいわゆるリーダーとしてのお役が回ってくる。全体が事故なくして,いい修行ができるように統率しなければならない。ところが,何十回とその大峯百キロの修行をしておりましても、弱い人に眼が届かない、あるいはもっと頑張れという叱咤の心が先に出て、思いやりを忘れているという失策もあります。

自信が裏目に

 大峰には一つの掟がございます。歩くコースも休憩,礼拝するところも全部昔どおり型どおりに進めていく。斜度50度ぐらいのところを50mほど鎖でよじ登り,頂上で仏様にお参りして定められた下山道を下り,元の登山道に戻るのです。その日は雨が降って遅れ気味だったので,私はこのくらいならできるだろうと昔から定められた道を歩かずに真っ直ぐ降りようとしたんです。手に持った枝がボキッと折れ,大慌てでつかんだ草は雨で濡れているかららズブッと抜ける。その後は覚えておりません。20mほど転落して二またになった枝のところに足が入り,逆さづりになっていたんです。奇跡みたいなものでしたが,救われた私にしてみれば大峰の中で出てきた神様,仏様の手であったわけです。慢心の結果そういうことが起こったので,大宿は後輩に譲りました。しかしながら大峰の神や仏に出会いたいため,サポーターとして道中で山伏たちが欲する飲み物とか,副食の補給をする荷揚げを単独で始めました。般若心経を唱えながら,ジュースを60個,70個と背負い届けることが,現在の健康をくださったのかなと思います。転落したのはちっとも自慢にならんのですが,失敗することによって初めて学び,次の成功へとつながっていくように私は受けとめたわけです。

 時代がうんと飛びますが,この間比叡山の回峰行に参加しました。午前1時に宿坊を出発して,坂本からまた不動坂を上って明け方8時半,9時ごろに元の比叡山に帰り着くというちょっと早足の山です。私は不動坂の上り道の半ばで足がつり始め,歩行速度が遅くなりました。そのときに若手の僧侶は,腰に手を当てて,私のスピードに合わせちょっと力をかけて一緒に歩いてくれたんです。その手のわずかな力が,私の足をどれだけ動かせてくれたか。後ろからそっと寄り添うようにして力を与えてあげる大切さを80歳にして初めて経験しました。

山伏の法度に学ぶ

 最後に「靡き八丁 斧入れず」についてお話しします。「靡き」というのは尾根道です。山林は神,仏の住む水源地で,尾根から800mずつは勝手に切ったらいかんという山伏の法度(規則)なんです。明治政府によって一時修験道が停止されたことがありますが,それによって「奥駆け道」という靡き道が衰退して原始林が開発された時期がございます。そのため大きな土石流が流れた地域もあります。昔からの掟を大事にし続けてきたならば,山はもう少し荒れずに残ったと思います。そこには30数センチもあるような大きなミミズもおりますし,イノシシや小さなリスなどもおります。リスなどが木から落ちてきた実を貯えて,その実をどこに隠したか忘れてしまって翌年芽を出し,それが生えて大きな木に育っていく。そういう自然の循環があるのも原始林なんです。お互いが助け合っている原始林の姿を見ますと,私たちの人間社会もかくあるべき。私たちの生き方を,大峰の修行の中で学ばせていただいたということでございます。

 これで終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。