1948年福井県生まれ。’72年東京大学文学部卒業。’94年大阪大学文学部教授。’98年大阪大学大学院文学研究科教授。2012年近畿大学国際人文科学研究所特任教授。
(スライドとともに)私は大阪大学に28年間勤務して今年定年退職しましたが,最近10年間は,明治維新以来の日本人に擦り込まれてきた西欧中心主義による世界史認識からの脱却を目指し,同僚たちと協力して「阪大史学の挑戦」と題する活動を続けてきました。英・独・仏・露の歴史は客観的に見れば日本史よりずっと短いのですが,西ヨーロッパ中心の世界史では,当たり前のようにギリシア・ローマ文明を冒頭に持ってきます。しかし,ギリシア・ローマ文明はメソポタミア文明及びエジプト文明に地中海を通じてつながるものであって,アルプス以北の西欧世界に直結するものではありません。
明治維新以後の歴史教科書は,西洋中心主義ないしは欧米中心主義に貰かれてきました。西洋列強が世界の覇者となったのは,鉄砲・大砲と蒸気機関を使った船と鉄道に支えられた軍事力によるものです。その軍事力によって植民地をつくり収奪して繁栄したのです。では,鉄砲・大砲や蒸気機関などが発明される前の最強の軍事力は何だったのでしょうか。それは馬に乗って弓を射る騎馬軍団だったのです。その騎馬軍団を生み出したのは,中央ユーラシアの遊牧騎馬民族です。きょうのテーマであるウイグルというのは,実は今のモンゴルから新疆ウイグル自治区をまたにかけて活躍した遊牧騎馬民族でした。
私の専門は,遊牧民族であったウイグルや突厥(とっけつ)をはじめとする中央ユーラシアのトルコ系諸民族と,近代以前の世界の物流と文化交流の大動脈であったシルクロードの歴史です。シルクロード地帯の主役は,時代によって様々に入れ替わりましたが,本日私がお話しする時代,すなわち日本では奈良,平安時代,中国では唐代に活躍が目立ったのは,トルコ系遊牧民族の突厥・ウイグル人と,国際商人としてよく知られたイラン系のソグド人でした。
さて,現在の新疆ウイグル自治区,キルギス,カザフスタン,ウズベキスタンなどにいるトルコ系諸民族は,ことごとくイスラム教徒になっています。しかしながら,ウイグル民族がイスラム教に改宗したのは今からせいぜい600年ほど前のことであって,シルクロード貿易が全盛期を迎えていた8世紀から14世紀まで,彼らの宗教は「マニ教」と「仏教」でした。マニ教というのは,今のイラクあたりにいたマニと呼ばれる人物が,イランの光(光明)と闇(暗黒)の二元論をもとに,ゾロアスター教,キリスト教,仏教などを混ぜ合わせてつくった折衷宗教です。西のほうではローマ帝国にまで伝播し,まだ公認される前のキリスト教と激しく競い合いました。そのマニ教が,東のほうでは中央アジアに伝播し,ソグド人を仲介して唐帝国やウイグルにまで伝播したのです。
中央ユーラシア東部に覇を唱えた東ウイグル帝国も100年の繁栄を経て,西暦840年に同じトルコ系遊牧民族のキルギスによって滅ぼされました。840年代のことですが,唐帝国では有名な仏教弾圧である「会昌の廃仏」が起こります。これは仏教そのものを弾圧したというより,広大な土地を所有しながらも税金を払わない多数の仏教寺院をターゲットにしたもので,ついでに外来宗教であった摩尼教(マニ教)と景教(ネストリウス派キリスト教)と (けん)教(ゾロアスター教)も弾圧されました。
ちょうど東ウイグル帝国が滅亡した直後ですから,唐朝も心置きなくマニ教をつぶせたわけです。弾圧の主なターゲットとなった仏教は間もなく復活しましたが,もともと基盤の弱い景教と 教は壊滅的打撃を受けて消滅し,かろうじてマニ教だけが中国東南部に逃れて生き延びることに成功したのです。
それ以後の宋,元,明代の中国東南部に,マニ教が仏教や道教と習合した一種の邪教として生き残っていたことについてはかなりの研究蓄積があり,疑問の余地はありません。その彼らが,今や世界中から消滅したと考えられていたマニ教絵画を残してくれていたことが,この日本で,しかも最近のわずか5~6年の間に判明したのです。宋元仏画と総称される,主に中国東南部で制作された仏教絵画の中に実は中央アジアのウイグルと関わるマニ教絵画が紛れ込んでいたのです。キリスト教徒中心の欧米諸国ではマニ教に対する関心がきわめて高く,この日本での新発見は驚愕と絶賛をもって迎えられたのです。
これらのマニ教絵画のうち優れたものをお見せします。まずこれは奈良の大和文華館が所蔵する絹絵で,マニ教の輪廻と「最後の審判」のことをマニ教の僧侶が説いている説法の場面です。次に,山梨県の栖雲寺が持っているイエス像です。キリスト教をも取り込んだ折衷宗教であるマニ教には,数種類のイエスがいるのですが,これはそのうち,キリスト教のアダムに当たる最初の人間に宗数的自覚を呼びかけるマニ教のイエスの像です。
これは天地創造図です。マニ教の天地創造神話では,宇宙に「十天八地」があることが断片的な文献資料から判明していたのですが,ここに初めてそれを証明する絹絵が日本で発見されたわけです。ヨーロッパ人が仰天したこの絹絵は,今は関西のある画商が所有しているもので,ここ数年の研究で世界的に注目されたため価格が高騰し,もしかすると日本から海外に売り出されてしまう恐れがあります。
このほかにも,この数年間のこの日本で,世界の中から消えていたマニ教絵画というのがたくさん見つかったということであります。去年新聞などでも紹介されました。私の話はここまでです。どうもありがとうございました。