大阪ロータリークラブ

MENU

会員専用ページ

卓 話Speech

  1. Top
  2. 卓話

卓話一覧

2012年5月11日(金)第4,392回 例会

私のチャレンジ“尼崎市長としての8年間を振り返って”

白 井    文 氏

前尼崎市長 白 井    文 

大阪外国語大学中退,’79年4月全日本空輸(株)入社。’90年6月退社,人材育成コンサルタント,大阪YMCA国際専門学校講師などを経て,’93年~’01年尼崎市議会議員〈2期〉。’02年~’10年12月尼崎市長〈2期〉。’11年6月グンゼ(株)社外取締役就任。’11年8月から独立行政法人女性会館運営委員会委員。

 今の稲村和美・尼崎市長にバトンを託しまして,1年半になります。市長が2代続けて女性というのは,全国で尼崎だけだそうです。日本は女性の意思決定過程への参画がまだまだです。発言権,実行力のある大阪ロータリークラブの皆様方に,女性の活躍の場,環境を整えるお手伝いもしていただきたい思いも含めまして,「私のチャレンジ」という演題を選びました。

女性市長誕生

 立候補したとき,いろんな声が寄せられました。「女性で大丈夫ですか」,「そんなに若くて大丈夫ですか」当時私は42歳でそんなに若いとは思わなかったのですが,よく言われました。「行政経験なしで町の舵取りができるのか」とも言われました。現在は年齢はもちろん,いろんな経歴を持つ首長がいますが,当時は本当に珍しく,私はモデルにする市長も,相談できる市長も,連携できる市長もいませんでした。

 私の使命は「財政再建をしつつ,いかに福祉とのバランスをとるか」でした。就任時の尼崎市は平成15年から19年の5年間で,800億円のお金が足りないということが明らかになっていました。普通に考えると,歳入を増やしたらいいとなるのですが,自治体の会計は自己財源を増やすと国からの交付税が減るので,最終的には歳入は一緒になってしまいます。ですから,財政再建=歳出減です。大胆なカットのためには,まず身内からということで,5年間の人件費カットで2百数十億を稼ぎ出しました。私も満額の月給とボーナスをもらったことはありません。

 きょうは時間の関係で端折りますが,市民の皆様の理解を得なければだめということで,直接対話を90回以上繰り返すなど,対話で財政再建を進めてきました。最終的には市民の皆様が様々なカットを納得してくださり,800億円の収支不足を改善することができました。この改善,改革というのは,全国に先駆けたものだと私は自負しておりますし,そういう決断をしてくれた尼崎市民は本当にすごいと思います。

二つの出来事

 私が就任して2年半のときに,JR福知山線の脱線事故がありました。当時は二つしか災害対策本部長として指示が出せませんでした。「今回の事故は誰もが経験したことがない。だからこそ,自分,自分の家族がこの事故に遭遇したと思って誠実に対応してほしい」。もう一つは,「権限は全部現場に委ねるから現場で判断する」です。

 事故から40時間後,遺体安置所から私に「待っている人から,市を代表して現状を説明してほしいという要望がある」との連絡が入ります。私は最初,消防局長を派遣しようとしましたが,局長は現場から離れることができない。私しかいません。向かう車のなかで,私は言葉のテクニック的なことのみを考えていました。体育館の待合室で皆様の前で,言葉に気をつけながら話しました。もしかしたら罵倒されるんじゃないかと思っていましたが,シーンとしていました。勇気を振り絞って各家族を回ると,感謝やねぎらいの言葉をかけて下さる方がいました。

 私はびっくりしました。一方で,私は何て浅はかで軽い人間なんだろうとも思いました。皆様は苦情を言うに違いない。だから,行くのが嫌,言葉遣いに気をつけないといけないということしか考えられなかった自分を恥じました。

 そして2カ月後,また衝撃的なことに遭いました。アスベスト問題です。アスベストに全く関わってもいない地域住民が,「中皮腫」の診断をされました。中皮腫はアスベストが100%原因です。これから地域に住んでいただけで多くの方々が発症するのではないかという恐れに震えました。

 もしかしたらJR事故の経験がなければ,早くには実現しなかったかもしれませんが,私たちは現場で寄り添うことの大切さ,被害者に一番近い自治体の大切さを経験していましたので,被害者といち早く面談することにしました。発病なさっている方々は,どなたも冷静に淡々とおっしゃいました。余計に無念さ,悔しさ,生きたいという思いが伝わりました。私たちは,聞いている職員とともに涙をこらえてお別れし,そして,次週には国交省・環境省・厚労省を回り,被害者支援や様々な法整備を依頼しました。

地域との対話で未来を変える

 私は,民間人から市長になりましたので,職員とは壁がありました。しかし,財政再建や事故対応,様々な取り組みを一緒に進めていったことで,知らず知らずのうちに一体感,信頼感が生まれてきました。公務員バッシングもありますが,一生懸命やっている公務員も多いです。

 私は,新入公務員には必ず「地域の皆さんとコミュニケーションをするなかで課題を感じ,どうすれば解決できるか自分で考えて,政策として出していけば,私たちの未来は変わる」というエールを贈っていました。実際に尼崎市では,1人の保健師が立ち上げた事業が全国をも変えようとしています。尼崎市民の健康状況をよくしたいと,メタボリック対策の新規事業を立ち上げました。特定検診,特定保健指導です。市民の健康のために始めたことが,全国に及びました。

 多くの取り組みをしてくれている職員へ,今でも私はエールを届けたいと思っています。私自身も今まで様々な経験をさせていただいた市民の皆様にも感謝をしながら,これからも何か社会でお役に立つことをしていきたい,社会にお返しをしていかなければならないと思っております。