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2012年2月24日(金)第4,383回 例会

私の見てきた世界と今後の日本

田 邊  隆 一 君(電子機器製造)

会 員 田 邊  隆 一  (電子機器製造)

東京外国語大学ドイツ語学科中退後,1970年外務省入省。欧亜局,経済局,大臣官房勤務の後,ミュンヘン総領事,セルビア・モンテネグロ,ポーランド他数々の国の大使,関西担当大使及び政府代表を歴任。’11年6月より日本電産(株)監査役。’10年1月当クラブ入会。

 1972年,研修中のミュンヘンでの五輪テロから始まり,ベルリンの壁の崩壊,ドイツの再統一,湾岸戦争,旧ユーゴ紛争,インドの核実験,アメリカの同時多発テロ(ワシントン出張中),コソボ暴動(ユーゴの大使のころ)など,紛争絡みの現地におりました。きょうは,それらの場所について振り返るとともに,日本の将来についてもお話ししたいと思います。(スライドとともに)

ドイツの思い出

 ドイツは最初の勤務地で,70年から4年間いました。ベルリンの壁は東独側に無人地帯があり,逃げてくれば必ず撃ち殺されてしまう場所でした。私は西ベルリンの総領事館におり,東西を行き来できる立場でした。毎日チェックポイント「チャーリー」を通り,二つの世界を体験しました。

 89年のベルリンの壁崩壊ですが,そもそも壁が落ちること自体本当に突然でしたし,ドイツがすぐに再統一されるとは思っていませんでした。海部総理が90年1月にドイツに来られてコール首相と会談したのですが,当時はコール首相も「まだまだ何年もかかる」と話していました。ところがその年の5月,東独の,アイゼナハという街で西独国旗が民家に立っており,「これは早いな」と感じたのですが,壁が落ちてから329日,1年たたずに統一に動いていきました。

 テルチックというコール首相の補佐官と情報交換をしていたのですが,当時は,ソ連のゴルバチョフがいつまでやってくれるか,ということが話題で,歴史の窓が開いている時間は本当に少ない,今しかチャンスはない,非常に切迫感のあるなかで,彼らが仕事をしているのを見ていました。歴史の動きが加速していくときは,我々が予測する以上に速い,ということを経験しました。

紛争地帯を転々

 ドイツの再統一後は,サウジアラビアのリヤドに単身赴任しました。既にイラク軍がクウェートに侵攻しており,必ず戦争になると思ったからです。100日間の戦争で空襲が30回ぐらいあり,ミサイルは迎撃に成功しても残骸が落ちるので,いろいろな建物が破壊されます。今後もミサイルの軍事的な意味合いがますます大きくなっています。

 戦争後は内戦中のユーゴスラビアを見よということで,私はウィーンから全体を見ながら,クロアチアに難民センターをつくるなどを担当しました。03年には大使で,セルビアとモンテネグロとコソボを見ていました。内戦後,3,4年目で現地に行きました。まず学校を直すことで子どもたちに希望を持ってもらいたいということで,約50校に無償援助しました。また,救急医療センターを17カ所につくりました。

 その後,日本に戻り,アフガニスタン担当の大使として現地にも時々行きました。カルザイ大統領と話をして,とにかく日本の協力を強化しようということで様々なプロジェクトを動かしました。古い軍隊の解体から始まり,インフラ,学校,病院,あらゆる分野で日本は協力しています。24年間戦争していた場所ですので,復興には時間がかかりますし,国づくりもこれからです。復興への5カ年計画も第2,3次とずっと続け,この国がまたアルカイダの拠点にならないように,腰を据えて協力する必要があります。

混沌とする世界

 先日公表された中国の軍事予算ですが,この5年間に2倍以上になっています。北朝鮮のミサイルも射程が伸びています。そういう意味で,東アジアのパワーバランスは注視せねばなりません。冷戦後も新しい世界秩序はできず,かえって複雑,不安定になりました。経済のグローバル化で国家間の依存関係は深まりましたが,テロ,破綻国家など新しい主体が出てきている。新興国の台頭によるパワーバランスも経済的にも変わってきました。

 大きな戦争の可能性は低くなりましたが,1ヵ所でもどこかで紛争が起きれば,すぐ世界に波及します。今回のアラブの春のように,インターネット等の技術で個人が影響を与えることができる。他方,民主主義国はまだ世界の過半数ではない。核や,地球規模の環境破壊,貧困の問題は相変わらずです。

 そういう中で日本はどうするのかというと,まず自分の国の独立は,まず自分で守るという決意を持って,防衛努力の強化が必要です。また,PKOなどで,国際法に基づいた秩序をつくる努力を重ねることも大事です。経済では,戦後,日本は官民一体となって他国へ進出していきました。今後もアジア太平洋の自由貿易圏をつくるために,FPAとかEPAとかTPPなどを通じて,我々が自由に貿易できる体制,望むルールをつくりながら参画する必要があります。文化面でも,知的,科学技術交流で拠点となる役割があります。

新しい日本人像を

 そのためには新しい日本人というものが必要です。自分の歴史と文化を認識した上で,海外の文化,言語を学び,両方の目で物事が見える,複眼思考を持った人間をつくる,コミュニケーション能力をしっかり持っていく,そういう新しい日本人像を,もっと進めていくということが今後の課題ではないかと思います。

 現在の日本を中心にして,世界に貢献する国家としていろいろやることがいっぱいあります。また,アジアで民主主義国としてここまで経済発展をした国としての経験というものは,世界に大いに参考になりますし,それを使っていただいて豊かになっていただく必要があると思います。