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2011年12月2日(金)第4,373回 例会

2011年東日本大震災の被災体験
および被害調査とその教訓

吉 田   望 氏

東北学院大学 工学部 環境建設工学科
教授
吉 田   望 

1949年生まれ。京都大学大学院工学研究科博士課程。’77年京都大学防災研究所研修員,’79年佐藤工業(株)入社。中央技術研究所建築研究部,’81年原子力室,’82年同事案耐震特別研究室。’85年~’96年の間にブリティッシュコロンビア大学で学ぶ。’02年応用地質(株)入社 技術本部。’05年東北大学工学部環境土木工学科教授などを経,現職。

 専門は地盤の地震時の挙動で,主に液状化,地中構造物,杭などの研究をしています。そういう意味で言いますと,若干私どもの仲間の笑い者でございまして,「何で地震の研究者が被害に遭うのか」と言われています。よく研究したつもりだったんですが,残念ながら津波は想定外でした。きょうは東日本大震災の被災体験と,地震の被害調査,復興を見て感じたところをお話しさせていただきます。

3月11日,大地震と津波発生

 3月11日,私は大学の研究室(5階建ての3階)にいました。本が30冊ぐらい落ちた程度だったので,すぐ被害調査に出ました。ところが,携帯や財布を入れたポーチを家に忘れていたので,一度帰らなくてはなりませんでした。私の家は大学から東にあります。砂押川を渡る必要があったのですが,津波が上がってきて,今にもあふれそうだというので,帰宅後は大学に戻れず,国道45号沿いの歩道橋に避難しました。

 国道45号の奥のほうから津波が流れてきました。津波は周期があって,30分から1時間したら引き上げるので,軽い気持ちで歩道橋にいたのですが,全然引かない。実はこの地域は低くて,昔は砂押川の洪水常習地域だったんです。歩道橋の上には,およそ100人ぐらいの方が避難していました。結局,手こぎボートで救い出されたのは夜中の午前1時半ごろです。

地震直後の教訓

 大学の避難所に移動し,家に入れたのは3日後になってからです。その間で困ったのが,停電,水道,ガスも全部なし,一番役に立たなかったものの代表が,災害伝言ダイヤルです。公衆電話に並んで一度かけましたが,後で聞いてみると誰にもつながらなかった。要するに,地震の直後は電話がつながらないんで,伝言ダイヤルもつながらなかったようです。

 それから,もう1つだめだったのがテレビ。解説者が「落ち着いてください」と言う。しかし,落ち着いて何をするかという指示がない。改善してほしいのがテレビ,ラジオが全部地震情報で,避難所の小さい子どもは見られない。見るだけ悲惨になる。局同士で話し合って,あるところは音楽,あるところはスポーツと,そういうのがあると非常によかったなと思います。

建物被害の共通点

 仙台市の建物被害は全壊がおよそ2万2千戸,大規模半壊が1万5千戸です。宅地被害ということで,地盤が壊れることによって壊れた家がおよそ2千戸あります。地域別,造成年代別でみると,1978年の宮城沖地震で被災した地域は今回も同じように被災しています。古い造成地がかなり被害を受けているというのが特徴です。

 市内を64カ所に分けると,’67年以前の宅地は34カ所ありますが,うち被災数が’78年で13,今回は23。’78年の地震よりもかなり多くの宅地が被災している。それが1989年以降ですと,被災の数が少なくなっている。このお話をすると,造成地が危険だと単純に思われる方もいらっしゃるんですが,被災していない造成地もかなり多い。ですから,一概に造成地が危いというわけではありません。

 そのうちの緑ケ丘と折立(おりたて)の2カ所の被害を簡単にご紹介したいと思います。地形図を見ると分かるのですが。これらの造成地は要するに谷を埋めてつくった造成地で,深さがおよそ8メートルとかそれぐらいの盛土で,谷を埋めて盛土したところが被害を受けています。対策として地滑り抑止杭という杭を打ちました。杭によって,次に崩壊しないようにするんです。しかし,今回また被害を受けてしまいました。

 僕たちは調査に行くときに,1978年の被害地の地図を持っていきます。現地の人とお話しして,「これ’78年と同じですよ」と言うと,皆さん知らない。’78年のときに全壊になって,家を撤去して更地にしてそのまま売りに出されているということです。ですから,土地を買うときには,過去を調べて買わないといけない。これは地震に限ったことではありません。今までずっと調べてきて,同じところで同じように被害が起きます。

課題山積の被災地

 復旧ですが,実はまだ私どもが工学的に考えて一番ベストな解決方法を提示する段階になっていません。何を考えなきゃいけないかと言うと,宮城県は大体周期37年と言われていて,要するに40年後ぐらいにまた地震があるということです。宅地の被害は基本的に個人の問題です。道路が壊れると役所の問題になりますが,宅地の問題は個人の問題になるんです。そこのバランスをどうとるかということが非常に難しい問題で,なかなかいい解決策というのがありません。

 今のところわかっていることは,古い造成地になるほど危険ということです。かつ,一たん被害を受けたところはまた被害を受けます。地元の人に聞くと,地震の通り道とかいうような被害のお話をされることもあります。ほんの数センチ地盤が動いただけでも,家屋は大被害を受けます。ですから,地盤はやはりちゃんとつくらないといけない。

 被災地で今,困っているのは,地域の被害で国や県のお金を出すためには,地域全体の住民の合意が要る,という点です。ところが,地域が被害を受けたといっても,個々の家を見ると住める家がいっぱいある。いかにして地域全体が合意するか,に非常にご苦労をされています。 (映像使用)