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2011年11月25日(金)第4,372回 例会

中東情勢の読み方

二藤部 義 人 君(ニュース提供)

会 員 二藤部 義 人  (ニュース提供)

1952年生まれ。中央大学法学部卒業。’77年3月共同通信社入社。’88年テヘラン支局長として8年間続いたイラン・イラク戦争の終戦を取材。’92年~95年ロンドン支局員。’98年~’01年バンコク支局長。外信部長として9.11米中枢同時テロ,米軍などによるイラク攻撃などの取材を統括。その後ニュースセンター,編集局,ビジュアル報道センター長を経て,’10年6月から大阪支社長。
当クラブ入会:’10年10月

 中東研究者の中では昔から「将来を予想するな。必ず外れる」と言われています。その代わり「(下地があれば)起きたことに対する解説はできる」。これも中東研究者の中で言われていることです。ですから,きょうは予想はしませんが,何か起きたら,ご自宅,もしくは職場で解説できるようなキーワードを伝えたいと考えています。

イスラム教を知る

 一番中東研究が進んでいるのは米国です。その米国ですら,パレスチナ問題が解決できない。米国はイラクから年末に撤退する予定ですが,まだ大規模なテロが起きています。アフガニスタンも,簡単に平定できると思ったら,タリバンが再び勢力を増やしてきて,そうは簡単に事が進まない。

 中東を知る最初のキーワードは,「イスラム教」です。いろいろ誤解されていますが,イスラム教誕生以前は暗黒時代と呼ばれていました。イスラム教ができ,初めて規律を保てた。その前は暗黒時代。キャラバン襲撃や殺人など,とんでもない時代でした。

 3代カリフの死後,4代目をめぐってトラブルがあり,本流はスンニ派,一部はシーア派と分かれました。シーア派の特徴は,敵が来て,「お前はイスラム教徒か」と聞かれたとき「違います」とウソをついていい。生き残りのために認めているんです。

 それから,イスラム教は環境で変化します。うろこのない魚は食べてはいけない,となっていますが,インドネシアではイカ,エビなどを食べています。イランはチョウザメのキャビアが有名です。どう見てもうろこがあるとは思えませんが,イランにとってキャビアは重要な輸出産品。ホメイニ師時代に「顕微鏡でよく見たらうろこがあった」というようなことになっています。

国境を越えた共同体

 ただ,絶対変わらないものがある。それは,アラーへの信仰,礼拝,喜捨,ラマダンで断食,メッカに行く巡礼。共通点は,イスラム教徒が集団で行動して,お互いの連帯を認識し,共同体の一体感を高めている,ということです。聖典はコーランだけです。聖職者は必ずコーランを暗誦しています。イスラム教国である限り聖職者同士は話し合うことができる。国境を越えた仮想の共同体「ウンマ・イスラミーヤ」というイスラム共同体が出来上がるんです。ここに生まれるのが,イスラム教徒の不満が全体の不満に変わっていくということです。怒りとか政治信条を,国境を越えて共有していく特徴があります。

 イスラム諸国にはパレスチナ問題,イラク,アフガニスタンと不満があります。欧米諸国と比べますから,自分のアイデンティティーはどこにあるのかというところで,放っておくと反米,嫌米感情が生まれる。これらの点が潜んでいるので,自由な選挙をすると,イスラム過激派が伸張する土壌があります。

 冷戦時代には,米国と旧ソ連に分かれて,それぞれの陣営に武器を輸出していました。冷戦終結後は,旧ソ連に代わってイスラム過激派が「仮想敵」となり,テロ対策を理由に強権的な政策を続ける各国政府を米国が頼りにしていたというのがあります。

パレスチナ紛争

 次のキーワードは「パレスチナ紛争」です。なぜパレスチナ問題が起きたかというのは割愛しますが,1993年のオスロ合意でパレスチナ暫定自治宣言がありました。イスラエルのラビン首相と,パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長がホワイトハウスまで出かけて米国のクリントン大統領に押されるような形で握手をした。これは画期的な出来事で,僕もちょうどワシントンにいて,本当にこれで平和が来るのかと思って喜びました。その後イスラエルとパレスチナ双方で反和平派が暗躍します。反和平派がイスラエルを攻撃したり,イスラエルの反和平派は自分のところの平和勢力の足を引っ張ったりして,オスロ合意も今はもう機能していません。

 和平は,自転車と同じです。倒れないようにこぎ続けなければ,必ず不平不満が出てくる。また,9.11みたいな温床にもなりかねません。今のイスラエル政権は,パレスチナの間に高くて長い安全フェンスみたいなものを築いていますので,ますます和平問題が困った状態になっています。

中東に関心を

 最後にイラン問題に触れます。イランは1979年に革命があったのですが,当時,テヘランの米国大使館を,444日,学生が占拠します。50人の米国外交官が拘束されました。米国はこの恨みで,ずっと反イラン外交をやってきた。私がイランにいたときに様々な方に会いましたが,実は親米感情もあるんです。ここでは米国が外交をちょっと間違っているのではないかと感じています。ハタミ政権など割と穏健な政権ができたときに米国が手を差し伸べずに放っておいたツケが,今,出ていると思います。

 今回,「アラブの春」と言われて,チュニジアからエジプトに行って,エジプトからリビアに移って,今やイエメンに来て,まだデモが続いていて予断を許さない状況です。我々日本人としては,火種をできるだけ取り除くような積極的な和平外交をしなければ,自身にツケが回ってきます。中東で何かあるとブーメランのように返ってきます。中東についてもっと関心を持っていただいて,日本の政治家もしっかりと中東外交をやっていただきたいと思います。