1940年生まれ。2002年8月30日入会。現在地区職業奉仕副委員長。理事・職業奉仕委員長,ロータリー情報,プログラム,米山奨学会委員など務める。日本板硝子材料工学助成会・理事長
1945年生まれ。2004年8月27日日入会。健康を守る会委員長,会員選考,プログラム委員など務める。大阪府立成人病センター・総長
1930年生まれ。2002年5月31日再入会。副会長(2回),理事(ロータリー財団委員長・社会奉仕委員長),ロータリー情報委員長,2004大阪国際大会では危機管理委員長をつとめる。四方事業ファンド・代表取締役
出前授業は石川会員が大阪市教育委員長をなさっているときにスタートしましたので,もう4年になります。私がこの取り組みに参加させていただきましたのには,中学3年のときの体験があるからです。佐賀県の全中学校から代表が雲仙に集まり,集合教育が行われました。そのとき,安川電機の安川第五郎さんがお見えになり,お話をされました。 そのときに,「考えろ」ということをおっしゃいました。「きょうは何をして遊んだか」「きょうは何を勉強したか」「明日は何を勉強しようか」と,考えなさい。要は時間軸で考えなさいとうことです。テーマは何でもいい。家,学校,町,国のことでもいいとおっしゃいました。ノートが残っておりまして,本当にびっくりしました。 これは非常に驚いたことで,当時昭和30年ですが,私は実存主義にかぶれていました。ボーボワールだ,ボードレールだ,カミュだ,サルトルだと,難しげな本を読んでは議論をしたものです。それがコロっと変わりました。時間軸で物事を考えるということは,現在というものを意識させるものだなというふうに感じました。学校の先生以外の方がこういうことを教えてくれるんだなと思いました。 現在はどうかというと,日本の将来の人材は少し心配です。市教育委員会の指導主事とお話ししますと,責任ある立場になりたくないという生徒が多い。しかもその生徒たちは優秀な生徒のほうが多いそうです。私どもの会社でも,研究所の若手に「何がやりたいか」と聞くと,何も答えが出てこない。何個かテーマを出すと,すぐ答えが出るようなテーマを選ぶ。彼らはパソコンと電話で仕事をしようとします。自分たちで実験道具をつくるとか,現場に行って話を聞くとか,汗をかくとかというのが苦手な若者が多いです。基本的には学校,家庭教育であり,我々にも責任があるなと感じています。 このたびの出前授業で私がやっておることは,やっぱり安川さんに言われた「考えろ」ということを伝えています。生徒たちは記憶能力には差がありますので,「試験の成績はばらつくかもしれんけど,考えることで負けるな」と言います。このほかに聞くのが,「何のために生きるのか?」です。なかなか答えが出ません。結局,引っ張っていきたいところは,「幸福になりたいから生きているんだと思いなさい」ということです。続けて,「幸福とは何か?」と考えさせます。いろいろなことを彼らは考えますが,結論は,「楽しいこと,うれしいことを感じられるような人生であるんだろうと私は思います」と。ただし,「阪神が3連勝したからうれしいなとかというのはいいんだけども,自分が行動をして,その結果としてうれしいな,楽しいなということが大事なことなんだ」ということを教えます。そのほかに,「あなたたちは大人かい?子どもかい?」というような質問をしながら進めます。ときに眠がる生徒もいますので。 来年になりますが,奥田吾会員に頼んで高等学校にも拡大する取り組みをしています。さらに今月の29日に,出前授業で行った花乃井中学校の宮田校長先生からのご依頼で,「大阪ロータリーの先生方のお話は非常に良質である。ぜひ先生方を教育してくれ」と。35人の教職員を6つに分けてグループディスカッションをすることになりました。現在,出前授業には20名のご登録がございますが,ぜひご協力をお願いしたいというのが私の本日のお願いでございます。どうもありがとうございました。
出前授業とは,このロータリーよりも以前に何回かやらせていただいたことがあります。大学でささやかながら教鞭をとっていた場から見ますと,何を伝えたらいいのかというのが大変難しい。先輩が非常に心に残ることを言ってくれました。「堀君,教えるのは知識と違う。知識は学生のほうがよく知っている。志だ。志を教えることが一番大事だ」と。それが私の頭から離れません。 学生に限らず私たちが「何のために生きているか」というと,庄野さんが今おっしゃったように「幸福になるために生きているのではないか」と。「幸せ」というのは何で図るかを考えると,普通は「健康」「人間関係が豊か」「財産,地位に恵まれている」などが挙がってきます。皆さんは内心賛成されながらも,「そんなものではない」と思っておられる方がほとんどではないでしょうか。 しかし,健康でないと何事もできませんし,人間関係に恵まれていないと不幸ですし,そこそこの社会的地位,財産がないとやっぱり何もできません。あながち否定するものではないと思いますが,「それだけではない」というのがどこかにあるわけです。それは何か。私は覚えやすいように「GICS/HHP」と言っています。HHPは,ヘルス,ヒューマンリレーションシップ,プロパティーで,先ほど申し上げた3要素です。 これを否定するつもりはないのですが,これはある状態を表しているだけで,生きているというのがなかなか出てこない。私が考える「生きている」というのは,「G」は「ゲイン」,自分の外の環境から何かを学ぶということです。知識,体験,要は刺激です。「I」は「イノベーション」。その刺激を受けて自分なりに何かを発露するというか,これが本当の意味の啓発ということだと思います。「C」は「コントリビューション」,庄野さんも「行動する」ということをおっしゃいましたが,行動しないとダメです。行動によって得られた幸せ感というのがある。 毎日小さなことでいいのです。知識でもいい,びっくりでもいい,勉強でもいい。その後,それによって自分がイノベーション,小さなイノベーションでもいいんですが,「あっ,そうか,そういうことがあるんだったら,いっぺんこういうふうに考えてみよう」と。それがあって,そして,「それでは,」というのでコントリビューションであると。これが,実は生きてるということの一番の証ではないかと思います。最後の「S」は「ステート」。ステートというのはアキュミュレーションの結果,今得られたスタティックな状態なんですね。これは別に生きてなくても,ある意味残るものです。生きている証にはならない。日々生きてる,あるいは生かされてるというのは,その「GIC」,そして,その結果ステートというのが残る。 出前授業で大事なのは知識を与えることではありません。「I」です。子どもにどういうイノベーションを与えたかなんです。これが一番の本質であり,難しいところでもあります。彼らにすぐ翌日コントリビューションを求めているわけじゃない。大きくなってコントリビューションしてくれたらそれでいいと思います。出前授業に行き,きょうはどれぐらいのイノベーションを与えられたかなということで刺激になり,実はその刺激は,私のまたゲインになっているというのが出前授業の本質ではないかなと思っています。
人間は昔から本能に由来する5つの欲望を持っておると言われます。一方で「理性」とか「知性」と呼ばれる知的能力もあります。人間は,欲望と知性・理性のはざまでずっと苦悩してまいりました。そして,苦悩を克服するために哲学や宗教が生まれました。苦悩を克服するためには,本来は「徳」と呼ばれるものを身につけなければなりません。 戦争に負けた日本は占領政策で教育勅語が廃止され,学校でも歴史・地理とともに道徳を教えることは禁じられました。国民が常識として持つべき「徳」と「正義」が揺らぐと,価値基準がなくなります。5欲(食欲・睡眠欲・性欲・名誉欲・財欲)のうち,価値基準がなくなった日本の社会では,財欲とか名誉欲を満たすものが価値が高いと思われるような,ゆがんだ社会になってきたのです。 私のキーワードは「人は他人から肥やしをもらって育つ」です。身につけてるもの,食べるもの,知識もすべて他人からいただく。経験も同じです。同時に「自分は他人にとってよい肥やしか」という気遣いも求められます。他人からもらう肥やしには質と量があります。幅広い肥料をもらうほど人間の幅が大きくなります。一定の職場だけで一生を送った人は,その中でしか肥料をもらえません。 そのような背景のもとで一般的に申し上げると,学校教育も相当にゆがんだものになりました。私が出前授業で見た生徒,先生は,これが中学校かと思うような様子でした。義務教育の公立中学では,能力の差と進路の差を一切無視して,3年間同じ教育を全員に対して行います。このために中学校での少年非行が非常に多いわけです。 私が出前授業したのは天満中学校2回,花乃井中学校1回です。天満中の場合は少人数グループの対談形式で,孫たちと語り合うような努力をしたつもりでした。素敵な生徒もいましたが,全体的に迫り来る活力を感ずることができませんでした。花乃井中の場合は教壇に立って話をしましたが,全員が着席するまで5分ぐらいかかりました。先生は何も言わない。クラスのリーダーと思われる男子生徒が呼びかけて,やっと席に着きました。ところが,寝ている生徒もいる。荒れる学級という話は聞いていましたが,残念でした。 「国家の滅亡は多くの場合,道徳の頽廃と宗教の軽侮の次に来る」,これは英国のスウィフトの言葉です。「国家の価値は結局,国家を組織する人民の価値である」,これはジョン・スチュワート・ミル,英国の哲学者の言葉です。中国では昔から「国は人を以て本(もと)となす。人安ければ国安し」という言葉もあります(書経)。 英国のブレア元首相がよく使ったので有名になりましたが,ミシュレというフランスの歴史学者が言った言葉,「政治の第一課は何か,教育である。第二課は教育である。第三課と言えばそれも教育である」。国民の質を高めれば,それだけ国家は繁栄するわけですから,教育が政治の基本であるということは,当たり前のことです。 日本の将来を思うとき,外国でも通用する英才教育が必要と痛感しています。一方で,一様に愛すべき子どもたちが,精神的に思考的に立派な人間になってほしいです。今,「知育・徳育・体育」のうち,徳育が非常に弱くなっています。国家が国民によって立つことを考えれば,いつまでも教育改革を一部の専門家にゆだねてはならない思います。