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2011年9月9日(金)第4,363回 例会

日本とインドネシアの関係
―信頼のおけるパートナーとしての両国の歴史

Ibnu Hadi会員(外交官)

会 員 Ibnu Hadi会員 (外交官)

1960年生まれ。インドネシア大学・経済学部卒業。オーストラリア・マッコーリー大学にて経済学部修士号取得。’86年インドネシア共和国外務省入省後,在香港インドネシア共和国総領事館・経済担当副領事,在大阪インドネシア共和国総領事館・経済担当領事,駐米インドネシア共和国大使館・経済担当参事官を経て,2010年に在大阪インドネシア共和国総領事館・総領事着任。’10年10月当クラブ入会。

 本日は,皆様にインドネシアについてお話しさせていただくことを大変うれしく思います。戦後から現在まで,日本とインドネシアが築いてきた親密なパートナーシップについて,お話ししたいと思います。

インドネシアと日本の歴史

 1942年,日本はインドネシアに侵攻しました。インドネシアの人々は,日本をオランダの植民地支配からの解放者として歓迎しました。日本はインドネシアを統治しているとき,インドネシア語を国語として認め,学校建設を進めました。

 占領時代は暗い過去ですが,日本はインドネシア人の愛国心を目覚めさせてくれました。また,スカルノという国のリーダーに高い地位を与え,後の独立につながりました。日本が連合国に降伏すると,インドネシアは’45年8月17日に独立を宣言。スカルノが初代大統領となりました。’62年に第3夫人としてデビ・スカルノ(旧名・根本直子)と結婚しました。

 1958年に,日本とインドネシアは平和協定を結びました。国交が開かれ,インフラ,交通,経済活動など様々な分野で共同プロジェクトが進められました。アンペラ橋やホテル,デパート,博物館などが’60年代に日本とのプロジェクトで造られました。

 1967年,スハルトが新大統領になりました。スハルト政権時代に,日本のインドネシア投資は全盛期を迎えました。ただ,外国資本の増大で社会情勢が悪化し,学生による反対運動が強まりました。当時,日本はインドネシア最大の投資国であったことから,’74年に日本首相の田中角栄氏が訪れたとき,大規模な学生運動が起こりました。同様の外国投資に対する反対運動は東南アジア各地で起こりました。この事件を教訓にし,日本企業はインドネシア人の感情に配慮し,現地社会と協調するため努力しました。

 1997年に,インドネシアを含むアジアの国々で経済危機が起こり,日本の企業活動にも大きな影響を与えました。’97年の第1四半期に7.7%だったインドネシアの実質GDP成長率は,’98年の第3四半期にはマイナス17.4%まで落ち込みました。経済危機の中,日本は当時の大蔵大臣である宮沢喜一氏の主導で,24億ドルの融資を決めました。スハルト大統領の辞任後,インドネシアは完全な民主主義国家となりました。

インドネシアの今

 現在インドネシアは,インド,アメリカに次ぐ世界第3の人口を持つ民主主義国家です。高い経済成長を続け,新興国として存在感を高めています。

 (映像のナレーション)「豊かさの象徴,自動車。今年上半期インドネシアで販売された自動車は,去年より80%増加しました。購入しているのは,約8千万人の中間層と呼ばれる人々です。天然資源の輸出や好調な工業生産の恩恵を受け,続々と貧困から抜け出しています。今年のインドネシアの経済成長率の見込みは6%。金融危機のダメージを最小限にとどめました。それは,そもそもこの国の金融が未発達だったからです。マネーの力を借りず,世界4位の人口から生まれる巨大な消費量を成長の原動力にしてきました。そして今,世界の金融機関がインドネシアに群がっています。海外の金融機関は,高利回りをうたうさまざまな金融商品を提供し,2億人をマネー経済に引き込もうとしています。これまで貴金属などで財産を蓄えてきた富裕層を投資に振り向けようとしています」

 経済発展のほかに,インドネシアには美しい自然と独特の文化があります。昨年は,24万5千人もの人が,有名な観光地の一つであるバリを訪れました。

インドネシアと日本のこれから

 インドネシアと日本は様々な分野で協力しています。2008年に調印されたインドネシア・日本経済連携協定もその一つです。この協定は,2国間の貿易と投資の促進と,競争力の強化を目的としています。2005年の日本とインドネシアの貿易額は3兆3,100億円でしたが,’10年には3兆8,000億円になりました。また,この協定のもと,およそ800人のインドネシア人看護師や介護士が現在日本に来ています。

 日本とインドネシアはともに地震国であることから,防災面でも協力しています。’04年にインドネシアで「ツナミ」災害が起きたときには,日本から多くの支援をいただきました。一方で,今回東北で起きた震災に対して,インドネシアからも様々な支援がされています。6月にはユドヨノ大統領が現地視察に気仙沼を訪れています。

 多くの日本ブランドが,インドネシアで売られています。特に自動車,家電製品,消費生活用製品,工業製品において,日本製品のシェアが高いです。小売店も進出しており,例えば無印良品(MUJI)の店は,中間所得層にとても人気があります。

 1942年に日本がインドネシアに侵攻してから現在まで,両国はよい時期,悪い時期も含めともに歩み,親密な関係を築いてきました。今後も両国の協力関係が強化されることを希望しています。

 私は2010年1月に大阪に着任しましたが,日本とインドネシアの関係は歴史的にも非常に古く,また,両国間にはしっかりとした基盤があるので,協力関係の維持,さらなる関係の強化という任務において,とてもやりがいのある国です。特に関西においては,企業,行政,教育機関など,皆様が非常に温かく受け入れてくれ,とてもうれしく思います。心より感謝しています。(映像使用)