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2011年8月26日(金)第4,361回 例会

フランクリンと福沢諭吉~何を基準に比較するか

平 川  祐 弘 氏

東京大学名誉教授 平 川  祐 弘 

1930年生まれ。’53年東京大学教養学科卒業。修士論文『ルネサンスの詩』博士論文『和魂洋才の系譜』。著書に Japan’s Love. Hate Relation ship with the West(UK : global Oriental 発行)他多数。

 私は比較文学が専門ですが,比較というのは2つ以上の言語や文化を知り尽くして初めて可能なわけでございます。きょうは私自身が日本語と英語を半々ずつ使ってお話ししようと思っております。頭の体操とお考えくださって,気楽にお聞きくださいませ。

どちらが何倍偉いか

 本題の「フランクリンと福沢諭吉~何を基準に比較するか」に入ります。ベンジャミン・フランクリンは,アメリカ人にとって一大偉人です。福沢諭吉は,日本人にとって一大偉人です。私が本日提起する問題は「フランクリンと福沢とどちらが偉いか」という問題です。皆様の多くは,世界の最大の国の最大の偉人といわれるフランクリンは福沢より偉大であるとお考えでしょう。私もほぼ同意見です。しかしながら,アカデミックな比較研究では,抽象論でなく,フランクリンは福沢よりどれほど偉いか,何倍偉いか,その答えを数字で示さなければならない。

 長い間フランクリンは,福沢よりも3.6倍の価値がありました。ところが1980年代の半ばから,フランクリンは1.4倍でした。近ごろは毎日変動がありますが,きょうはフランクリンは福沢の0.7倍です。ご存じのように,フランクリンはアメリカの100ドル紙幣に印刷され,福沢諭吉は日本の1万円紙幣に印刷されております。福沢の価値はついにフランクリンに追いつき,追い抜いてしまった。

 この話はジョークのようですが,無意味な指摘ではありません。歴史上の偉人といわれる人は,いつも偉人だったわけではないのです。彼らの多くが歴史に地位をとどめているのは,外在的な理由がたまたまあったからという場合が多いのです。世界的な偉人であるためには,まず何よりも偉大な国の人でないと分が悪いのです。

どちらの自伝がおもしろいか

 アメリカで一番有名な自伝は『フランクリン自伝』で,日本で一番おもしろいのは,福沢の『福翁自伝』です。「2人の自伝のどちらがおもしろいか」という比較も,すこぶる難しい。2人が異なる言語文化圏に属しているからです。2冊は驚くほど多くの共通点を持っている。2人の自伝作者の生涯も似ているということです。

 フランクリンは福沢より129歳年長で1706年にボストンで生まれ,印刷工になり,イギリスヘ行き,フィラデルフィアヘ戻ってから物を書き出しました。科学的実験も行なった。アメリカ独立の際は,政治家・外交家として活躍しました。若いころアメリカはイギリスの植民地であった。1790年に亡くなるときは,米国は近代国家となりつつあった。満足裏に生涯を終えたと思います。

 福沢は1835年に大坂で侍の子として生まれ,19歳のとき長崎へオランダ語を学びに行きます。1855年に緒方の塾に入り,1858年に江戸へ出ます。通訳として維新前に3回西洋へ渡った唯一の日本人で,『西洋事情』という本を出して,啓蒙家・教育者として活動しました。福沢が生まれたとき日本は封建国家でしたが,1901年に亡くなったときは,近代国家になって,満足して死んだのだと思います。

 最後に,「何を基準に比較するか」という最初の質問,その答えに移ります。

 2人の自伝のいずれがよりおもしろいか。私の答えはこうです。自伝を英語で読むと,フランクリンの方が面白い。しかし日本語で読むと『福翁自伝』の方が断然おもしろい。

 東京女子大で2人の自伝の比較の話をしたところ,日本語で読んだ学生のほとんどが『福翁自伝』のほうがおもしろいという。すると,同僚の先生方は不満なんです。世界最大の国アメリカの最大の偉人フランクリンの『自伝』は,18世紀アメリカ文学の最高傑作。東京女子大の学長だった斎藤勇先生も,高木八尺氏(政治学者)も,大塚久雄氏(経済学者)も,フランクリンを絶対的に尊敬しているわけです。2冊を同じ土俵にのせて比較するなんてことはしない。西洋は,そのように日本と隔絶して立派なものと思われていました。

何を物差しにして測るか

 政治学者の丸山真男は,「戦争犯罪人でもナチス・ドイツのA級戦犯は責任をとって立派だけれども,日本の戦争犯罪人は卑屈である」という論を1946年に展開して,名声を博しました。しかし,比較研究をする際には「何を基準に測定するか」が大切なのです。

 戦争犯罪人の人格について,中立的な比較の基準はあるのでしょうか。ニュルンベルク裁判を傍聴し,東京裁判では判事を務めたレーリンクというオランダ人がいます。この方は客観的に両者を見ているわけです。『レーリンク判事の東京裁判』という本の中で,レーリンクは,「ナチス・ドイツの被告と違い,日本人被告には威厳がありました」と語っております。

 以上の例でわかると思いますが,比較研究をする際には,「何を物差しにして測るか」で結論が全く違ってくるのです。

 これから先のグローバリゼーションの世界では,英語が公用語になるわけです。日本語で世界の文化を測るというわけにはいけませんから,われわれはなかなか難しい戦いを強いられる。そうすると,西洋側の価値基準に従っている人は,岩波書店とか朝日新聞とか,そういうところでは評判がいい。日本の政界でもある程度までは出世できるんです。私は岡田克也という人を教えたことがありますが,1年生のときから朝日新聞の社説のような模範答案ばかしを口にしておりました。皆さんお笑いですが,日本の言語空間がおかしいから,その模範生が民主党を形づくっているわけです。

 「この人,本当に学者なんだろうか」と考える方がいらっしゃるかもしれませんが,このへんで終わりにさせていただきます。