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2011年8月19日(金)第4,360回 例会

福島第一原子力発電所 事故の様相

山 口    彰 氏

大阪大学大学院工学研究科
教授
山 口    彰 

1979年東京大学工学部卒業。’81年同工学系研究科原子力工学専攻修終了。’84年同工学系研究科原子力工学専攻博士終了, 工学博士。同年動力炉・核燃料開発事業団・大洗工学センター。’05年大阪大学大学院工学研究科 教授就任。

 原子力の研究をずっとしていました。大阪大学に来る前,今の日本原子力研究開発機構で,高速炉の安全性を一生懸命やっていました。安全性を語るときに重要なのは想像力と思います。こういうことが起きたら何が起きるのか,どう発展していくのか,想像力を働かせ,しっかり手を打っていくことだと思います。事故の真相は伝わってきていないところもあり,パズルのピースをつなげるとこういう絵姿じゃないかというところを,スライドを使ってお話させていただきます。

津波が大きかった

 原子炉の場合,安全性で必要な3つの機能と言われているものがあります。「とめる,冷やす,閉じ込める」です。地震直後,制御棒が自動的に挿入されて原子炉の核分裂がとまりました。「とめる」は成功したわけです。

 津波がやってきた直後,冷やす機能は,原子炉隔離時冷却系によって原子炉へ注水が続いていた。しかし,外部電源もなくなり,ディーゼル発電機も使えなかったことで,非常用炉心冷却系による冷却が不能になったわけです。直流電池が生きている間に外部電源を復活させる努力をしているうちにバッテリーがなくなり,原子炉隔離時冷却系ポンプも使えなくなった。

 こうなると,早く状態を回復させない限り炉心が損傷していきます。3月11日,地震のあった日の夜,原子炉建屋の線量が上昇しています。格納容器の圧力が同じくその日の夜に上昇しています。照明もなく,通信も使えず,電気もなく,プラントパラメーターも把握できず,余震が起き,津波警報が何度か起き,作業員の方は必死の作業を徹夜で行ったわけです。

 一生懸命ベントという格納容器の圧力を下げる操作をしようとしたが,本部と連絡するのも電話が使えなくて大変だった。手間取っていたところ,翌日6時50分に経済産業大臣による「ベント指示」がありました。しかし,ベントに成功したのは14時30分。ベントに成功した直後の15時36分に水素爆発が起きたわけです。

 いろいろな努力をしてベントはうまくいったが,原子炉建屋の水素爆発でだめになった。みんな壊され,振り出しに戻ってしまった。

 各原子炉に入っている燃料プールの燃料を全く水を供給しない状態で何日間冷やせるかというと,278日から一番短くて12日ですから,3月11日に地震が起きると23日までもつことになります。この認識は現場もあったはずで,原子炉を手当てしてからプールに向かうということだったわけです。

 3月16日,3号機にヘリコプターで自衛隊が水を放水した。地震の5日後です。原子炉すべて水素爆発した後になります。水は消防車などで注入していたので,とりあえず冷却ができていた状況で,17日から放水車を使って放水し,プールも何とか冷やせるようになりました。

 原子炉建屋は水素爆発なりで壊れたが,原子炉冷却が不安定ながらも何とかできている,事態が小康状態にあったわけです。放射性物質の放出も16日の段階で収まりました。緊迫感から開放され,プールに対応を始めました。

 不安定な状態が継続し,放射性物質の放出も低いレベルに抑制されている。燃料プールの冷却の見通しも立った。まだ事態は悪いが,さらに悪化する兆候はなかった。3月23日,電源が復活して給水ポンプを使って冷却を始めたことで,初めて炉心の温度がガッーと下がり始めた。原子炉,燃料ともに落ち着きを取り戻し,さらなる放射性物質の放出,あるいはリスクをもっと低減するところに目が向かったわけです。

 以上が事故の流れで,申し上げたかったのは,現場は相当深刻だった。3月23日までいろんな意味で心配だったが,23日から相当な安堵感が出て,現場の目がいろんなところに行き届くようになったと思います。

レベル7の意味

 国際原子力事象評価尺度をどう理解するべきかで,一つお話ししたいと思います。3月16日まで放射性物質が放出されていたが,それ以降,量はほとんどフラットです。だが,4月12日に日本政府が国際原子力事象評価尺度をレベル5から7に引き上げました。それに対し幾つか外国メディアの反応があります。原子力産業新聞に「レベル7はちょっと過剰じゃないか」というコメントも載っています。私も同感で,原子力事象の評価尺度は「これから生じるであろう住民,近隣国への影響などを考えて決める」。「専門家とメディア,公衆のコミュニケーションツール」が国際原子力機関の定義です。ですから,4月になってこういうふうにしたのは混乱を招き,チェルノブイリと同じという解釈が出てきたのは,少し問題だろうと思っています。

放射性物質を出さない

 東京電力が出している工程表にあるすべての作業は放射性物質をこれ以上出さないためにどうするか,そういう観点で並べられています。そういう目で見ると,それぞれの対策の意味が見えてくるかと思います。

 地震と津波ですが,やはり津波が大きかった。そして,電源がなくなった,水素爆発があった。こういうところがやはり重要で,これから安全性を向上させる技術を日本から出していかないといけないと思います。

 最後に,終息に向けた道筋として,ねらいは放射性物質を出さないということです。今後は高汚染水の除去,それから雷とか余震といった自然現象に対するケアを注視していきたいと思っております。