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2011年5月27日(金)第4,349回 例会

震災復興に向けて

辰 野    勇 氏

会 員 辰 野    勇 

1947年生まれ。大阪府立和泉高等学校卒業。本業の傍ら,琵琶湖成蹊スポーツ大学客員教授や,社会福祉法人・東大寺整肢園理事などを務める。アイガー北壁日本人第二登,マッターホルン北壁登攀。コロラド川をカヤックで日本人初下降,黒部川峡谷カヤック初下降など。スポーツ普及・次世代育成にも積極的で,今回の震災では真っ先に社員とともに被災地支援に出向いた。当クラブ入会は’05年9月。

 今から16年前の1月に,皆さんの記憶にも新しい阪神淡路大震災が起こりました。

 地震直後というか,その日から現地に入って,まず生存者の確保と遺体の搬出をずっと行いましたが,現地では皆さん寒い夜空に焚き火で夜を明かしておられたため,2,000の寝袋を助かった方々に配り,家をなくした方には,テントを400~500張り配りました。

 しかし,本当に焼け石に水というか,幾らでも必要なんですね。そのとき思い浮かんだのが,一社では無理やなと。これはアウトドア業界全体に声をかけようということで,「アウトドア義援隊」という言葉が頭に浮かびまして,それをファックスに書いて業界の知り得る限りに送ったわけです。

 そうしましたら,日ごろ商売の上では競合相手の方たちから次々と支援の申し出がありました。まず物資ですが,アウトドア用品はすぐ使えました。それから,義援金,人手など。それで随分喜んでいただきました。

アウトドア義援隊

 今回,3月11日に東日本大震災が起こったときに,もう1回アウトドア義援隊をやろうと思い立ったのです。今はインターネットという便利なツールがあります。全国に配信しましたら,次々と義援物資の協力をいただいたわけです。

 山形県の天童市にある工場跡地を無償で提供していただくことになり,そこに届いた義援物資の仕分けを始めました。米とか食材,粉ミルク,オムツ,生理用品等々。

 天童市の小学生,中学生,高校生,大学生はもちろんのこと,近くの主婦の方もボランティアで仕分けをしてくれました。小学生の子のお母さんから,「ありがとうございます。この子も非常にいい経験をさせてもらっています」と言われて,かえって恐縮しました。

 皆さんテレビでもご覧になったと思いますが,大きな避難所は早い時期から自衛隊とか大がかりな支援が入っています。ところが,比較的小さな規模のところには,なかなか手が回っていません。

 宮城県の南三陸からちょっと入ったところの登米(とめ)の小学校跡の体育館を使わせていただいて,ここでさらに細かく仕分けして,小さな車に分けて現地へお届けする。当初は何を持っていっても喜んでくれました。使い古した上着であっても,毛布であっても。ところが刻々とニーズは変わっていきます。

 ところで,ボランティアを今この段階で現地に送ると大変なことになるとか,混乱するとか思う人がいますが,そんな混乱は起こりません。

 2トントラックで150台分,300トンの物資をひと月ぐらいで配り終え,瓦礫撤去と掃除のボランティアを募って石巻を中心に行いました。あるときは大体1,000人ぐらいの規模で,現地に入って学生たちがやっております。

 義援物資も,ニーズと,送られてくるものとのミスマッチが起こるようになります。そういう場合は買い求め,配って回ることになりました。最後の最後は,お1人1万円というわずかなお金なんですが,赤ちゃんからお年寄りまで1人ずつ手で配って回りました。この辺は大阪の合理的な考え方なんですが,ガソリンも手に入ってちょっと無理すれば買い物にも行ける状況になったとき,やっぱり役立つのはお金やと。

モデルハウス建設へ

 今後どうわれわれが義援活動していくかということなんですが,実は仮設住宅の建設が今非常に遅れているのです。

 そこで,われわれは,宮城の登米の近くのボランティアと一緒に,「仮設が無理なら本格的な建物を建てよう」と,地元の木材を使い,地元の大工さんに家を建てていただく予定です。大体20人ぐらいから生活でき,お風呂,トイレ,台所と食堂を共有する集合住宅みたいなものを1棟建てることにしています。

 そして,今の原発の問題も含めて,再生可能な自然エネルギーでのソーラーとかバイオとか,そういったもので自己完結できるモデルハウスをつくります。「1軒ぐらい建てたって何の役に立つの」ということだと思いますが,焼け石にしずくでも100も1,000も集まれば力になり,それをできるだけ皆さんに知っていただきたいと思っております。

ライフジャケット有効

 今の若い人たちにボランティアの話をしましたら,「行っていいんですか」みたいなことを聞くから,「誰の許可を得るんですか。必要とされている人がそこにいるのに」と。皆スポイルされて管理される生活に慣らされていますから,そういう被災地に助けに行くことすら誰かの許可を待っているという,こういうとんでもない時代に入ってきていると改めて自覚したわけです。

 今回の津波では,われわれのようにアウトドアをやってる人の中で,海岸に住んでいた人がライフジャケットを着けて助かったというケースがいっぱい出てきまして,よし,来るべき東南海地震に対してわれわれ準備しておこうと思っています。

 これからまだまだ長丁場ですが,被災は時間との戦いです。被災して72時間の間にどれだけ助け出せるかが一番大事なことで,今回もまさに被災した3月11日の夜を越せなかった人がものすごく多く,低体温症で亡くなられました。これにいち早く対応する,もしくはあらかじめ準備をしておくことが大事なことだと思います。今後も支援の仕方はいろいろあると思います。受け入れる側とニーズ,その橋渡しの一助ができればと思っています。