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2011年4月22日(金)第4,346回 例会

社会人文学の未来

春 日  直 樹 氏

一橋大学大学院社会学研究科
教授
春 日  直 樹 

1953年東京生まれ。’78年東京大学農学部農業経済学科卒業,’81年大阪大学大学院人間科学研究科博士課程退学。奈良大学助教授を経て,’96年大阪大学人間科学部教授,
’10年一橋大学大学院社会学研究科教授。
代表作『太平洋のラスプーチン』(2001年,サントリー学芸賞受賞),『ミステリイは誘う』(’03年,日本本格ミステリー評論大賞候補作,大阪大学教育賞受賞)

 ここでいう社会人文学というのは,社会科学,並びに人文科学の総体です。いわゆる文系と考えていただければいいと思います。

 本日の話は2部に分かれます。まず,大学が変貌,そして社会人文学の地位が低下しているということが1部です。2部は,それに対してどう対処していくか,未来はどうあるべきかということをお話ししたいと思います。

 まず1部ですが,皆様方が卒業されたころの大学は,教養主義と言いますか,非常にのんびりした豊かなころだったのではないかと思います。今は,教授はいろいろと業績を上げ,資金を取って,国際会議を開き,学生を育て,できるだけ学位を出してやる,それが業績になっていきます。

 米英の大学が中心となって1980年代から推進してきた業績評価があり,大学を大きく変えました。トップダウン型の決定を強化していく,外部資金の調達,こっちのほうを重視するわけです。

 現代の研究所は,5年単位,3年単位,いわゆるプロジェクトでもって切れていく。同じ建物を訪ねていっても,研究所の名前が変わってしまっていて,スタッフもかわっている。そして,それを後押しするパトロンもかわっているということになります。

 そして,何よりも大学は,絶えざるランキング変動を意識せざるを得ないのです。この評価は,どうも理科系により適しているように見えます。これは研究業績が一般人にとって見えやすいことがあると思いますが,加えて数値化しやすいということだと思います。

 社会人文学は,従来は論文よりも1冊の書物を通じて,理論や思想を提起するスタイルをとってきました。しかし,理系中心のこの評価システムでは,書物の点数というのは労多い割に低いので,若い文系研究者たちは少しでも多くの論文を書こうと努めるのです。

今後の方向,4要素

 さて,これから第2部に入ります。社会人文学が業績評価主義によって弱体化しているのならば,現在のこの業績主義に自分を合わせようとすることはできないし,必要ないわけです。どういう道をたどるか。1つは,評価主義自体を社会人文学が評価していく,批判していくという方向です。社会人文学とはそもそも何なのかというのを根本的に問い直そうという考えです。そして,新しい社会人文学をつくり出していこうという考え方です。

 22世紀,評価主義が生き残るのか,社会人文学が生き残るのか,誰にもわかりません。社会人文学が生き残るとすれば,どんな姿でか,これを考えて実践していくしかないと思っています。そこで,これからの方向として4つの要素を挙げてみました。どれも状況をあらわすために,形容詞で書いています。

 1番目は,「遂行的(performative)」。

 2番目は,「想像的(imaginative)」。遂行性を表現するには,やはりimaginationを相当働かさないとだめなわけです。

 3番目は,「参与的(participatory)」。参与的であれと言います。これは必ずしも社会の変革に参与せよという意味ではありません。客観的な記述の立場を貫くということです。

 4番目は,「自然・人間の混交体的(nature-human hybrid)」。これは自然科学と社会人文学の境界を取っ払った上で,もう一度社会や人間について論じようという考え方です。

19世紀,社会科学者は万能

 振り返りますと,19世紀は,むしろ今で言う社会科学者のほうが万能で,当時の自然科学によく通じていました。一番有名なのはオーギュスト・コントで,今では社会学者とか言われていますが,彼自身はそんなことは思っていない。いろいろな当時の先端の科学を引用しながら,そして「Sciences humaine」ということを唱えております。これはいろいろな文系域を超えた立場から人間を考える科学をつくろうということです。

 いずれにしても,自然科学の成果に啓発されながら,社会や人間について新しい認識を提示してきた。これがもともとあった人文社会学の姿ではないかなと思うのです。

貴重な一片の真実

 最後に私の研究を紹介します。自然科学の営みを分析する際に,文系ではレトリック,筆力がものをいいますが,ひょっとすると理系でも同じではないかと考えました。あるいは理系は客観的真実を扱い,文系はその真実の人間にとっての意味を論じると言われてきましたが,ひょっとすると理系の研究も人間の意味世界と深い関わりを持つのではないか。

 科学はもともと到達すべく究極の真理,できるだけシンプルに世界を説明できる原理を求めるところから出発したということを決して忘れてはいけないということが一つ言えると思います。

 もう一方で,科学は宗教と同じく,推論とか飛躍を原動力としながらも,真理への到達が並大抵では実現できないということを示してきました。

 多くの時間と努力を費やした上で,断片的な獲得にとどまることを教えてくれています。そこに到達するまでが大変で,どんなに小さくても一片一片の真実が貴重なものであるということをわれわれに実感させるわけです。これこそ科学が私たちに示唆する貴重な行動指針ではないかと思います。

 最後に今後の社会人文学が目指すべき方向で一言。performative(遂行的)のp,imaginative(想像的)のi,participatory(参与的)のp,そしてhybridのhyを足し合わせますと,「PIPHY」になります。「BE PIPHY!」。これをもって結論にかえさせていただきます。