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2011年3月18日(金)第4,341回 例会

ワッハ上方15年の歩みとこれから

伊 東  雄 三 氏

大阪府立上方演芸資料館
前館長
伊 東  雄 三 

1947年8月大阪生まれ。’71年3月関西学院大学法学部卒業。同年4月毎日放送入社。主にテレビ制作局スタジオドラマ制作,他に藤山寛美,ミヤコ蝶々舞台中継。’07年4月ワッハ上方館長就任。’10年12月同職務終了。本年3月末まで残務整理等で勤務中。

 ワッハ上方は,15年前の平成8年(1996)に設立されました。大阪府で,演芸資料館をつくろうという基本構想があったのです。
 なぜ難波の千日前に建てたかということですが,今の吉本興業の本社ビルの土地は,千日前の難波花月の向かい側で,そこは金毘羅宮の分社の土地だったんです。その土地が空いており,吉本興業が取得されました。
 吉本興業と金毘羅さんとの約束は,吉本興業が文化施設の入るビルを建てるのであれば吉本興業に土地を譲りましょうというものです。そのビルの4階~7階にワッハ上方が入りました。
 建物自体は,ワッハ上方演芸資料館が入る特殊な施設として,中に劇場もあって,演芸場もあればレッスンルームもあってと,一般の商業ビルとしては転用できない建て方になっております。ある種,大阪府のオーダーメイドの新築ビルとしてオープンしました。

資料の宝庫,6万点

 上方演芸の振興のために,関西の放送局にも協力要請がありました。そこで在阪の放送局は,開局以来のテレビ・ラジオの演芸番組を提供しましょう,無料で演芸番組を見ていただこうという,演芸ライブラリーというシステムをつくり上げたのです。資料館自体は有料ですが,演芸ライブラリーは無料という画期的なスタイルでスタートしました。
 放送局だけでなくて関西のいろいろな演芸関係者,興行会社,制作プロダクション,吉本興業,もちろん松竹芸能,米朝事務所等々,いろんな関西の芸能に関わるところが皆協力をしましょう,それで,皆で大阪のこの伝統である上方演芸を支えていきましょうというシステムが出来上がりました。
 これは画期的な大阪モデルと思うのですが,全国でも注目されて,「笑いの殿堂」ということでスタートいたしました。
 4階には展示室と小演芸場,去年までは5階にワッハホールというのがありました。7階にはレッスンルームがあります。
 4階の展示室ですが,一般府民の方から寄託,寄贈を受けた約6万点近い演芸資料を,ここに常設展及び特別展という形でズラリと展示しております。どんなものがあるかといいますと,皆さんよくご存じの砂川捨丸・中村春代さん,捨丸さんが鼓を持って漫才されてましたが,その鼓が寄贈されました。演芸資料的には非常に貴重な世界に1つしかないもので,これが第1号の演芸資料として今でも展示されております。
 落語も,皆さんよくご存じの初代桂春団治が高座でも小道具で使われていた結構大きな懐中時計とか,2代目桂春団治が着ていたユニークなデザインの着物・羽織とか,横山エンタツ・アチャコの縁の品とか,大阪の誇る漫才作家の秋田実先生の直筆の漫才台本とか,いろんなものが大阪には残っておりました。
 大阪府がテレビを通じて寄贈を呼びかけたのですが,どんどん皆さんから寄せられまして今や6万点に達しておりまして,文化財産の宝庫になっております。

「殿堂入り」顕彰事業も

 それから,演芸番組が3千本。各局でかつてつくっておられたラジオ・テレビの演芸番組のより優れたものを毎年各局から提供していただいて,それをきちっと著作権も処理,精査して,今や永久保存しようとデジタル化作業も行い,約3千本を並べております。一般の方がお越しになって,コンピューターで全部検索して自由に見ることができます。
 こうした資料は,大阪の貴重な文化財産だと思いますので,それをいかに守り伝え,生かしていくか,一番のポイントです。なくしてしまうと二度と元に戻らないものです。
 「上方演芸の殿堂入り」という顕彰事業もしております。これは,大阪府知事名による表彰事業で,14回までやりました。上方演芸のそうそうたる方のお名前が出ております。大体お亡くなりになった方を中心にしておりましたが,昨年からは存命中の方でもこの大阪に功績のあった方を表彰しようということで,桂米朝師匠を殿堂入りさせていただきました。さらに特別展とか,落語会といった関連事業を中心にやらせていただきました。

笑い,大阪の文化

 ワッハ上方は,ちょうど5年間,NPO法人で指定管理を受けてやっていました。当初は大阪府の直営といいますか,文化財団の運営によってスタートしたのですが,指定管理制度が導入されて以降,放送局が中心となったNPO法人ニューウエーブ大阪というものを立ち上げました。それにNHKさんも協力していただいて,当時の関西の民放の社長が理事になり,皆で支えていこうと,NPOを立ち上げたのです。
 この1月にお亡くなりになりました喜味こいし師匠からは,「ワッハ上方というのはやっぱり大阪の文化やから,大阪の顔やからなくしたらあかんで」とひたすらそれをおっしゃっていただきました。
 上方の歌舞伎,文楽,そして,漫才,講談,浪曲と,関西大阪には本当にいろんな情を伝える芸能が山ほどございます。大阪弁は豊かなニュアンスの心を伝えるものですから,大阪にはそういう大阪弁を使った上での豊かな芸能文化が発展してきたんだと思っています。
 大阪は商人の町です。その現場で育ってきた大阪の笑いが,落語であり,漫才であり,喜劇であるという,そういう大阪人の持っている豊かな笑いの感性といいますか,笑いの年輪が大阪の情ではないかなというふうに私は思い,この4年間,上方演芸資料館の館長を務めてまいりました。やはり笑いの持つ文化力,笑いの心が大阪の文化だな,大阪のパワーだなというふうに思っております。