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2010年8月20日(金)第4,314回 例会

近江商人の立身・出世観

宇  佐  美  英 機 氏

滋賀大学経済学部
教授
宇 佐 美  英 機 

1951年,福井県生まれ。同志社大学大学院文学研究科博士課程(前期)修了。国立大学法人滋賀大学経済学部教授。附属史料館長併任。近江商人経営論専攻。著書:『近世京都の金銀出入と社会慣習』『近世風俗志(守貞謾稿)』など。

 私は近江商人を日本近代史,あるいは資本主義社会の成立過程で大きく位置づけなければいけないと考えております。「売り手よし・買い手よし・世間よし」という「三方よし」が近江商人の精神であるという言説が流布しています。しかし,これは1988年に出された本の中に出てくるのが最初で,それ以前のあらゆる史料,あらゆる本の中で,そんな言葉はありません。

 つまり,「三方よし」という言葉,「売り手よし・買い手よし・世間よし」という言葉を歴史(史料)用語として信じる人が増えていることに危惧をもっています。

立身・出世が特質

 典型的な近江商人は①近江に本家(本宅)を置いて他国稼ぎをしていた②創業期には行商(旅商い)をしていた③商圏の拡大とともに全国に出店を設けていた④薄利多売で,様々な営業商品を取引していた⑤共同経営形態(当時の言葉で「乗り合い商い」「組合商い」)や複式帳簿などの近代的で合理的な経営を行っていた⑥勤勉・倹約・正直・堅実といった商人精神に支えられており,「陰徳善事」の実践者であった-ということになります。

 近江商人の特質というのは,私は「立身・出世」をうたうことにあると考えております。現在は「立身出世」と四字用語で使っていますが,本来的には「立身」と「出世」は違う概念であり,近江商人はそれをちゃんと違う概念で使っていました。

 近江においては,「立身」というのは店の中の職階を昇進していくことであり,その先に「出世」が待っておりました。「立身」を遂げて職階の頂点である番頭・支配人になるわけですが,そこでようやく別家・別家格になれるわけです。その別家になるということが「出世」です。だから,「出世」は別家・別家格になってのれん分けをされて独立自営の業者になるか,あるいは通勤別家となって終生,主家に仕えるという形になることです。奉公人たちは,別家になることを至上の目標として奉公に励んでいました。

 「立身出世」という四字用語で用いられるようになるのは明治になって以降です。教育社会学では,立身出世主義が近代化に果たした役割を高く評価しております。「末は博士か大臣か」が立身出世主義の最たる言葉でした。明治期の青年は「故郷に錦を飾る」ために,立身出世主義にとりつかれ,この結果,受験地獄をもたらし,学歴社会をつくりました。

 しかし,近江商人の社会では,そのこととは無関係に,富を得るという経済的・経営的な意味での立身・出世主義を地域社会に形成させました。そこでの目標は,決して「末は博士か大臣か」ではなくて,富至上主義でもありませんでした。

店則に高い精神性

 明治26年(1893年),初代伊藤忠兵衛が大阪糸店の開店に際して店則を制定しました。その店則の冒頭に記された「店法則趣意」の第1で「四恩を思ひ,以て立身出世の志しを励ますべし」と奉公人に訴えています。後のツカモトコーポレーションの一族である近江商人,塚本源三郎は自分の思い出として,式日には「番頭さんから立身出世第一の事から始めて……親子主従ひとつの体と同じ事に候へば,互いに助け合ひ,家業大切に相励み候はば,立身出世疑いなく候,しかるうえは,銘々老いての歓楽,且つは忠孝国恩を報じ候,道理にも相叶ひ申すべく候」と聞かされことを回顧しています。

 忠兵衛が四恩(父母・国王・衆生・三宝の恩)をうたうこと,あるいは源三郎が忠孝国恩を語るときには,そこには明治という時代が反映されていることは間違いありません。しかし,ここで重要なことは,「立身・出世」とは「親子主従ひとつの体」と考えて,「互いに助け合ひ,家業大切に相励む」ことによって達成されると言われていたことです。

 忠兵衛が経営した伊藤各店(本店・京店・西店・糸店)には,無給の「出世店員」と称される店員がおりました。明治30年(1897年)のころと思われる史料には,全体で100名の店員がおり,その6割は「出世店員」でした。給与をもらっている「雇用店員」もいたにもかかわらず,「出世店員」を選んだのは将来,別家になれる資格があったからです。現実には,働いている人間が全員,別家にまで到達することはなく,1割まででした。主家に忠実に奉公して,「立身・出世」の道を歩くのが奉公人の目標だったことが,この事例からも知ることができます。

「三方よし」を世界へ

 滋賀大学での講義で「青雲の志という言葉を知っているか」と学生に聞くと,「そんな言葉は聞いたことがない」と言われます。

 また,「立身出世をするということは諸君にとってどういう意味か」とアンケートで聞いたことがありますが,ほとんどの人から「人を押しのけて地位を昇ることだ。つまり,他者を犠牲にしていくから,自分はそのようにはなりたくない」という答えが返ってきました。「こういう青年たちが増えてきたのは,一体どこで教育が間違ったのだろう」と考え込んでしまいます。「立身・出世」をするということは,辛抱や苦難を自らのものとして自助努力をし,互いに助け合うことだと教えた近江商人の精神を今改めて見直す必要があると思います。

 誤解がないように申し添えますが,私は「三方よし」を否定しているわけではありません。これが近江商人の到達した精神だと思っています。「三方よし」が「もったいない」という言葉と同様に世界共通語になることを私は基本的には願っています。それゆえにこそ,学問的な根拠を正確に示していく作業が研究職にある私としては大切だと思っています。