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2010年7月16日(金)第4,310回 例会

西郷隆盛 ラストサムライ

上 田    篤 氏

建築家 上 田    篤 

1930年大阪市生,’54年京都大学工学部,’56年同大学大学院卒業。’56年建設省技官。’65年京都大学工学部建築学科助教授,’78年京都大学客員教授,’87年京都精華大学教授。上田篤都市建築研究所等主宰。著書:「庭と日本人」「一万年の天皇」など。近著に「西郷隆盛 ラストサムライ」

 建築をやっている私が西郷隆盛についてお話させていただくわけですが,世の中これからどうしたらいいんだろう。もっと身近にわれわれの範となるべきモデルがあるだろう,というところで,西郷が出てまいりました。それから,私は西郷に興味を持って,昨年本を出させていただいたわけであります。

 西郷は皆さんもよくご存じだと思うのです。上野の山に西郷像があって,日本国民知らない人がいないぐらいなんですが,実は西郷のことはほとんどわかっていないというのが,私が今度本を書いてみてわかりました。

 よく言われるのは,維新最大の功労者,英雄であります。しかし,明治最大の反逆者でありながら銅像が立っているんです。

 戦争中,ほとんどの銅像は日本中からなくなりました。鉄砲の弾になったんですが,西郷は残った。

西郷が愛したもの

  西郷について取り組んだのは司馬遼太郎さんで,例の『翔ぶが如く』という小説を書きました。書いた後で,司馬さんはある座談会でこういうことを言っておられました。「西郷の本を書いてみたけれども,結局西郷はわからなかった」

 僕は,司馬さんは非常に正直な人だと思いますね。

 維新最大の功労者で,江戸無血開城をやった人であるにもかかわらず,維新が終わればさっさと故郷鹿児島に帰って百姓をやる。いくら明治政府が呼び出しても出ていかないということがありました。

 鹿児島には黎明館という維新の大資料館がございまして,皆さんにいろいろ聞いてみたのですが,結局西郷に関しては,維新中のものはいろいろあるけれども,明治になって,鹿児島に帰ってつくった私学校のことに関しての資料はほとんどないんです。

 西南戦争の後で全部政府が没収して,焼却しただろうということであります。

 また「岩倉使節団」というのがあったのをご存じだと思いますが,岩倉具視を団長にして,木戸孝允,大久保利通等,大方の政府高官連中が,西郷,板垣に日本のことを任せて,アメリカ,ヨーロッパに2年間出かけてしまったんです。

 表向きは外交交渉ということもありますが,日本をどういう方向にもっていったらいいのか,どういう国をモデルにしたらいいんだろうかということでした。

 さて西郷が愛したものがあるんです。何でしょうか?スイスの時計なんです。金時計。西郷の愛した金時計。

 岩倉使節団は,アメリカ,イギリス,フランス,プロシャなどに滞在したんですが,4番目のプロシャよりも滞在日数が多かったのは,スイスなんです。

 その岩倉使節団に先立って大山巌(西郷の従兄弟,日露戦争の英雄)が普仏戦争観戦武官として行っているんですが,大山巌は陸軍中佐の軍服を脱いで,私人となってもヨーロッパに留学したんです。行ったのはスイス。このことはあまり知られていない。

 なぜ行ったのか。彼は3年間スイスで軍事の勉強をしているんですが,このことは何も報道されていない。それから,西郷従道(隆盛の弟),村田新八(西郷の股肱の臣)もどうやらスイスに行っているんです。今回私がいろいろ調べたところ,どうも行っている形跡が高い。

スイスに入れ込む

 なぜなんだろう。西郷自身も岩倉使節団のときに,ヨーロッパに行きたいと言ったのです。ただ,大久保が行きたいというので大久保に譲っているのですが,恐らく西郷はスイスを見たかったであろうと思います。大山巌の3年間のスイス留学も,西郷は経済的にサポートしたんでしょう。つまり,西郷は尋常ならずスイスに入れ込んできたという事実が,完全に抹殺されているのです。

 私学校というのは事実上兵隊なんです。軍事をやっていました。砲兵学校もありました。この私学校は,まさにスイスの民兵をモデルにしているんです。

明治維新まだ終わらず

 スイスは農民の国で,国を守るというよりもスイス人は自分たちの郷土を守るんです。だから民兵なんです。

 スイスが民兵で国を守るというのは,まさに西郷が鹿児島でやった実験とそっくり。私は,西郷は相当スイスに対して思い入れがあったと思っています。

 西郷は,私学校をつくって,百姓を養成した。百姓をすごく大事にしたし,「敬天愛人」という有名な言葉がありますが,「天を敬い人を愛する」の人とは百姓のことなんです。

 実は,日本人もわかっていないと言わざるを得ないんですが,百姓は農民ではないということです。「百の姓」であって,何でもやる。「農業」もそのうちの一つでしかないのです。林業もやるし,漁業も,運送業も,金融業でもやるのが百姓なんです。

 百姓中心の国家があり得るということをスイスは示しています。例えば,スイスの時計というのは,ほとんど貧しい農家の副業として興っているんです。

 日本はもう一度スイスをみて百姓を中心にする生き方,西郷も考えた生き方を,考えて見る必要があるんじゃないかと思っています。

 日本は大国と威張っても,食糧も自給できない,エネルギーも自給できない。戦争どころじゃないですよ。

 私が申し上げたいことは,実は明治維新はまだ終わっていないということです。皆さんも一度お考えいただければと思います。