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2010年2月5日(金)第4,289回 例会

日本の難民受け入れについて

中 尾  秀 一   氏

財団法人 アジア福祉教育財団
難民事業本部関西支部 支部長代行
中 尾  秀 一  

関西学院大学社会学部を卒業後,(財)神戸YMCAを経て’96年難民事業本部に入職。難民定住支援,啓発事業,海外難民調査(アフガニスタン,ミャンマー,タイ,ケニア,タンザニア等)を担当。神戸大学大学院国際協力研究科後期博士課程単位取得退学。聖和大学人文学部,関西大学文学部,大阪樟蔭女子大学非常勤講師。

 どんな人のことを難民と言うか,唯一絶対のルールはありません。国際的な難民の取り扱いの中心に「難民条約」があります。亡命者は難民です。民族対立で内戦が激化し隣国へ逃れた人も難民です。世界で難民と呼ばれる人は約1,500万人と言われ,紛争が難民となる一番大きな理由です。自国が貧しく,外国に移った人は難民ではありません。基本的には移民の扱いになります。火山の噴火で自分の暮らしていた村が火山灰で埋まり隣国に逃れた人は,難民ではなく被災者です。

78年に受け入れ決定

 日本にとって難民とのお付き合いは,1975年にベトナム戦争が終わった直後のベトナム難民,ボートピープルの発生がきっかけです。75年5月11日,最初のボートピープルが千葉に到着しました。

 ベトナム,ラオス,カンボジア,このインドシナ三国から出てこられた難民の方をインドシナ難民と呼んでいます。ラオス,カンボジアでも,ベトナムと同じ時期に共産政権になります。共産政権の体制を嫌って,ラオス,カンボジアからも難民が出ます。

 日本にはベトナム戦争が終結した直後からボートピープルがやって来ましたが,最初の数年間は受け入れていません。しかし先進国として,アジアの一員として,難民の定住を認めるべきとの声が国内外で起こり,78年に閣議了解という形で,難民の方の受け入れが決まりました。翌年に,アジア福祉教育財団の傘下に難民事業本部という組織をつくって,そこに人も送り込んで,予算もつけて,難民の受け入れが始まりました。

姫路に最初の施設

 日本に住む準備をしていただくための最初の施設は,姫路にできました。兵庫県は,神奈川県に次いで難民の方がたくさん生活されている場所です。難民定住促進センターという施設が,姫路の郊外に79年から96年までありました。簡単なプレハブの建物です。

 05年までインドシナ難民の受け入れが続きます。定住許可数の内訳は,ベトナムから来られた方が全体の4分の3ぐらいで,8,600人ほどが日本で定住されています。

 姫路のセンターができて以降,神奈川県と東京と3ヵ所に定住の準備をしていただく施設ができました。半年間,日本で生活するための準備をしていただきます。最初の4カ月は日本語の勉強をして,お仕事とお住まいを紹介して日本社会に送り出してきました。

 日本での難民認定の申請者は200人,300人で推移した後,法改正で難民として認められやすくなったことで06年からかなり増え,08年は初めて1,000人の大台に乗り1,600人ぐらいになりました。しかし,実際に認定されるのは,数10人という単位です。

 国へ送り返すのは人道的に忍びないという判断を入管がした場合には,難民としては認めないが日本にいてもらう在留資格は出しましょうという時もあります。今まで認定されたのは500人ということです。他の先進国に比べ2桁,3桁ぐらい少ないです。

隣人として接して欲しい

 難民は団地でお住いの方が非常に多いです。家賃が安いということもあるのですが,残念ながら民間のアパートとかは外国人というだけで借りることが難しいです。

 日本で生活をするための準備は半年間しかありませんので,なかなか事務職につくのが難しく,製造業中心の就職になります。関西でも,お住まいの地域は姫路,神戸の長田,尼崎,八尾,そういう中小の製造業の工場がある町に集中しています。

 難民として日本で受け入れられますと,自動的に定住者という在留資格が与えられます。選挙権がない以外は大体日本人と同じ権利があると思っていいです。健康保険にも社会保険にも入れますし,生活保護も受けられます。学校にも行くことができます。勉強してお医者さん,学校の先生になられている方もいらっしゃいますが,そんなに多くないです。

 今,学校に行っているベトナムの子どもたちは大体,日本生まれの二世です。友達と遊ぶのも日本語で不自由ないのですが,ベトナム人,難民ということで,学校でいじめられる状況があります。お父さん,お母さんは経済的にしんどい。子どもたちは見ています。高い割合で「何で自分は日本人に生まれてこなかったんやろう」という壁にぶつかります。

 難民の方が皆で,お正月の集いをやったり,民族的な踊りを二世の子どもたちに伝えたりする活動を各地で頑張ってしていらっしゃいます。こういうことに出会えた子どもは「何や自分の祖国はええな」と,自分自身にも自信が持てますが,そういうチャンスがすべての子どもにあるわけではありません。

 私,普段難民の方からのいろいろな相談を受けています。お仕事が見つかりにくい問題でも,その方の技術とか能力ではなくて,外国人というだけで面接を受けられない,アパートを借りられない,子どもたちが学校でいじめられるという問題が多いんです。

 難民の方が抱えている問題は,われわれ受け入れている社会の問題だなと感じることが非常に多いわけです。難民の方が暮しよい社会,そういう少数で立場が弱い方が住みやすい社会は,結局われわれ日本人にも住みやすい社会だと思います。

 この関西にもたくさんの難民の方が生活されていますので,もし皆さんが出会う機会がありましたら,難民とか人種とかいうくくりではなくて,ひとりの人間としてその方を見ていただいて,一緒に生活する隣人として接していただけたらうれしいと思います。