大阪ロータリークラブ

MENU

会員専用ページ

卓 話Speech

  1. Top
  2. 卓話

卓話一覧

2010年1月15日(金)第4,286回 例会

歴史から見たロータリークラブ

斎 藤  洋 一  君(外科医)

ロータリー情報委員長 斎 藤  洋 一  (外科医)

1933年宮城県生まれ。’59年東北大学医学部卒業。’64年同大学大学院医学研究科修了,医学博士。’73年同大学医学部助教授。’79年神 戸大学医学部教授,’95年同大学医学部附属病院長,’96年同大学名誉教授。同年大阪府済生会中津病院長,’03年同済生会中津医療福祉センター総長,現在 に至る。日本消化器外科学会長などを歴任。’97年7月当クラブ入会,’99年健康を守る会,’02年趣味の会委員長,’06年理事・友好委員長。

 ロータリー理解推進月間記念例会の卓話を仰せつかり,大変光栄です。前任者の四方さんが,新しく入られる方の職場を全部訪問されたと聞き,その務めを今のところ全うしています。私が訪問した折には「ロータリークラブは,1905年に38歳の青年弁護士ポール・ハリスが,社会・経済発展の陰で商業道徳が欠如する風潮に耐えかねて,3人の友人と仕事上の付き合いが親友関係にまで発展する仲間を増やしたいということで始めました」と話しています。今日,ポール・ハリスの胸像をここに飾っています。

歌で親睦

 1905年2月23日,シカゴのイタリアンレストランで,ポール・ハリスは石炭商のシルベスター・シールと洋服屋のハイラム・ショーレーに「正義や宗教の制限なしに,お互いの寛容な精神で集う親睦を持った組織をつくりたい」と打ち明けました。定款が作成されたのは1年後ということです。3月23日の第3回で,初代会長にシールがなっています。会員の事務所を持ち回りで会場にしようと話され,ロータリークラブのネーミングにつながったという記録があります。

 1906年にシカゴRCの定款がつくられ,物質的な相互援助としてスタート,その後の定款改定で次第に精神的な相互扶助に移っていきます。1909年にはシカゴに公衆便所を設置したという記録があります。

 ただ,親睦団体に奉仕の問題が入ると,親睦が壊れるという意見も出ました。会員の一部が売名的に動くと批判されました。この解消の一手段として,ロータリーソングの慣例ができました。

 シカゴRCでポール・ハリスが3代目の会長になりましたが,奉仕派の活動を推進したため,大変批判的な立場の会員が出て,途中で会長をやめます。この時,印刷屋のラグルスが「一緒に歌を歌って親睦を図り,そのエネルギーを奉仕に向けようじゃないか」と提案,クラブで歌を歌うことになったという記載がありました。

 1908年にサンフランシスコRC,1910年には全米で16のロータリークラブが生まれました。カナダ,アイルランド,イングランドにクラブが次々と結成され,1912年にロータリークラブ国際連合会,1922年に現在の国際ロータリーができました。

若い会員増加を期待

 日本は,三井銀行の米山梅吉氏が,ダラスRCに福島喜三次氏を訪ねた時に初めてロータリーと接触,帰国後,1920年10月20日,24名の会員で東京RCができています。福島さんが大阪に勤務されて大阪のロータリークラブ発足の機運が高まり,1922年に大阪RCが設立されました。最初は25名の会員でした。

 その後,日本でも各地区にロータリークラブが生まれました。1940年に軍部,右翼の圧力があり,日本のロータリーは国際ロータリーを脱退しています。しかし戦後,1949年に東京RC,大阪RCが国際ロータリーに復帰しました。現在,日本全体で2,314クラブ,会員数は9万7,000人になっています。

 クラブの人数はどのぐらいが適当であるかも大きな問題です。人数が減りますと,クラブとしての活動が阻害されます。メンバーを増やしていくことは大変,重要なことです。大阪RCは現在,平均年齢が66歳で,若い会員が増えることを期待していかなければならないと思っています。

 ロータリーは「奉仕の精神」が大変,重要ですが,地域,民族,宗教が異なった場合,奉仕の概念の調整が大変難しいところがあると考えられます。理解が共通でも,表現の方法,実践活動に差が生じます。

 「ロータリーの綱領」は1951年にできました。シカゴRCは相互扶助と親睦が中心でしたが,その後,クラブ奉仕・職業奉仕・社会奉仕・国際奉仕と,内容を明確にして活動が行われています。

 「四つのテスト」があります。ハーバート・テーラーが,破産に瀕した企業の再建をしたときに,会社の社員に対する戒めとしてつくり上げたと言われています。ある点では企業,あるいは組織のあるべき姿を物語っているのではないかということで,ロータリーの中に入れられました。

 日本語訳は,1954年に東京RCの手島知健さんの提案で,日本の各地のロータリークラブから公募したものです。この日本語の解釈には,いろんな意見が出ています。例えば「Is it the truth ?」の「真実かどうか」で,「真実」は真理であって,大変に厳しい概念が必要です。大阪ですと「ほんまかいな」というのも真実になるわけで,解釈が大変難しいのではないでしょうか。

大阪からニコニコ箱

 国際ロータリーのテーマは,会長がその年度に強調すべきプログラムを簡単な言葉で表現したものです。特別月間は,ロータリーの特別な部門,分野の奉仕活動を強調するためにつくられた月間で,本日は1月の「ロータリー理解推進月間」ということになります。

 ニコニコ箱は1936年に大阪RCでこのネーミングで始まり,全国に広がっているという逸話があります。このクラブでは現在,年1千万円近い皆さんの浄財が寄せられています。

 最後に,ポール・ハリスの言葉で「手を携えて共通の仕事に精を出しなさい。意見の違う問題について論議することを避けなさい。そうすれば友情というご褒美が出る」という言葉をお伝えして,私の話を終わりにしたいと思います。